梶原一騎の娘・白暁燕誘拐殺害事件の真相!残虐すぎる手口と犯人の動機とは

受け渡し場所に犯人現れず

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犯人が身代金の受け渡し場所として指定してきたのは、とある霊園でした。警察は受け渡し場所へと向かいますが誰も現れることなく、周囲を確認したところ、新たな身代金要求のことが書かれたメモ紙があっただけでした。

母親は娘のために犯人の要求通りにしますが、現金の受け渡しは失敗に終わってしまいます。お金を手に入れることができなかった連中は腹いせに梶原一騎の娘に集団暴行をして度重なる暴行の末彼女は殺害されてしまいます。

女子高生1人に大の大人の男数人で暴行をされてしまっては当然力で勝てるわけもなく、また彼女は指を切断されていますので出血から貧血なども起こしていたことも推測でき抵抗する体力は殆どのこされていなかったのでしょう。

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その後角材に手足を縛り付け遺体をドブ川に遺棄された事件になります。当時梶原一騎の娘の白暁燕はまだ16歳で彼女の中にも将来の夢は満ち溢れていたはずですがその夢も命も無残に奪われることななりました。

警察が犯人グループのアジトへ乗り込むも主犯格逮捕ならず

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事件発覚から数日後、警察は犯人グループのアジトを突き止めることに成功します。そこで、警察は犯人グループを襲撃しますが、犯人グループ7名のうち、4人は逮捕することに成功します。

しかし、事件の真相を知っているであろう肝心の主犯格3人が逃亡してしまい梶原一騎の娘の発見も犯人逮捕も大幅に遅れてしまいました。警察の失態ともいえます。

この時、全員を逮捕することができていれば真相を知る人物に自殺されることなく、梶原一騎の娘の死の真相は全て明らかになっていたかもしれないことを考えると残念でなりませんが警察はもちろん諦めたわけではありませんでした。

白暁燕は見つからず人質開放をテレビで訴える

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アジトを突き止め、突入し4人を逮捕することに成功した警察ですが、肝心の被害者の行方は分からないままでした。しかしまだ梶原一騎の娘が生存しているという希望はありました。警察は一筋の希望にかけ梶原一騎の娘が無事でいることを考慮し、居場所を知る目的で母親や犯人の身内をテレビに出演させます。

人質となっている、梶原一騎の娘白曉燕の開放や逃げている主犯格の3人の自主を訴えていました。しかし、このテレビ出演からマスコミの報道は過熱していきマスコミが白冰冰ら親子の住む家の扉を破壊してしまう事態も発生しました。

当時は、メディア等で訴えかけたり新聞などに掲載することにより犯人を動きを抑制させるという動きが主流だったそうです。梶原一騎の娘が誘拐された時も同様の方法となりますが、これが裏目となる場合もあります。

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日本でも誘拐された子どものことが報道され犯人を抑圧するつもりが逆に犯人を刺激してしまい子どもが殺害されてしまうという痛ましい事件がありました。報道で真実を伝えることは大切なことですが報道の在り方は日本でも世界でも課題の1つと言えるでしょう。

銃撃戦で犯人は自殺

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逃亡している連中には自首や投降を促すのではなく見つけ次第射殺するようにとの命令が下されていました。梶原一騎の娘が誘拐されてから4か月後逃亡中の主犯格を発見しますが、ことはうまくいかず警察官800人との間で銃撃戦が繰り広げられることになりました。

この銃撃戦により警官2人が死傷することになり、3人の内1人は6か所近くの銃弾を浴び自ら命を絶つことを選択して事件の真相の口を閉ざします。

この銃撃戦が行われる前の6月と8月に同じように誘拐事件を企て身代金を奪うことに成功し犯人たちは更に逃亡することになります。身代金の支払いに成功している為被害者は無事解放されています。

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最初の銃撃戦から3か月後には2度目の銃撃戦となり警察が周囲を囲んでいたので、逃げ切れないと悟った高天民は梶原一騎の娘の事件の事を話すことなく自ら拳銃自殺を図ります。

残る主犯は立てこもり事件を起こす

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主犯格3人のうち自殺を図った2人は真相を墓まで持っていきます、そして残りの1人の陳進興は南アフリカ大使館駐在武官官邸に5人の人間を人質に立てこもり事件を起こすことになります。

2度の銃撃戦と立てこもり事件を経てこの事件はようやく終息へと向かうことになりました。また、この誘拐事件に関する他の記事はこちらをご覧ください。

梶原一騎の娘・白暁燕誘拐殺害事件について当時の日本報道は?

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産まれる前に、娘の白曉燕と離れ離れに暮らすことになりましたが、この事件は日本ではどのように扱われたのでしょうか?梶原一騎の娘誘拐事件の日本での報道の様子などについて見ていきます。

台湾で一番の凶悪事件とされる

梶原一騎の娘の出来事は、被害者へ行った数々の非人道的な行いから台湾の歴史の中で最も残忍で凄惨な凶悪事件と呼ばれています。台湾ではあまり残忍な事件が発生しているなど聞かないため、梶原一騎の娘の事件は台湾だけでなく世界に衝撃を与えます。

殺害事件というのは、被害者の無念はもちろん被害者遺族も大切な家族を失った悲しみを一生抱いて生きていく事になります。そして犯人も人の命を奪った責任を一生罪の十字架として背負うことになります。殺人は被害者も加害者も報われることのない犯罪になります。

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