実力を評価した監督は竹内涼真さんをヴェルディユースへ推薦。その後、彼は、憧れのヴェルディユース選抜試験に合格。
狭き門で100人中2~3人しか合格できないほど。そんな中竹内涼真さんは試験に受かったのでその実力は確かだと言えます。
ネガティブになってしまった竹内涼真のサッカー高校時代
東京ヴェルディユースに昇格した竹内涼真さん。生活はまさにサッカー一色。そんな中、彼は壁にぶち当たることに。順調だった彼がなぜネガティブになってしまったのでしょうか。
二軍で試合に出れずネガティブに
本気でプロを目指すエリートが集まった東京ヴェルディユースでは、竹内涼真さんの実力でも敵わず、2軍で試合に出られないことが多かったです。
当時は強い選手が集まった黄金世代と呼ばれており、「日本クラブユース選手権」で2連覇するほど強く、竹内涼真さんはインタビューで当時の自分を以下のように振り返っています。
「その時はネガティブだったんですよ。プロになる人は普段からポジティブ。僕はネガティブで、失敗したら考えちゃうし、ケガも多かったし、そこに気づけなかったので高校3年間は良くない3年間だった。もう無理かな、と思うのが先だった」(引用:日刊スポーツ)
サッカーを嫌いにならない為にサッカーを辞める決断
怪我なども重なり、苦悩が多い日々を過ごした竹内涼真さんは、サッカーを嫌いになりたくないという理由でプロへの道を諦めました。
このときの決断が違っていれば、今の竹内涼真さんを見ることはなかったといっても過言ではないのではないでしょうか。
竹内涼真の大学時代のサッカーと芸能界への道
悩みながらサッカーを続ける中で、大学へ進学後、芸能界の道に進む決断をするのですが、なぜ急に芸能人になろうとしたのでしょうか。デビューの裏には何があったのでしょうか。
サッカーでのスポーツ推薦で立正大学へ
東京ヴェルディユースに所属したこともあり、サッカーのスポーツ推薦枠で立正大学に進学。
プロへの道をすでに諦めかけていた竹内涼真さんでしたが、推薦で入学させて頂くからには1年はサッカーを続けるという決意がありました。
右足首の怪我の影響もあり引退を決意
在学中もサッカーを続ける中で、20歳のときに右足首を骨折。これが分岐点となり、きっぱりとプロへの道を諦めました。怪我をし、さらにネガティブに自分を追い込んでしまいました。
その後芸能界の道へ
サッカーを辞めた竹内涼真さんは、やるからには好きなことをしたいと思い、俳優を目指すことに。2013年1月、女性ファッション誌「mina」のオーディションがあることを知り、応募。
グランプリを取るんだ、とイメージし挑んだ結果、見事グランプリを受賞。芸能界の道が切り開かれました。
さらにデビュー前から夢だった仮面ライダーのライダー役に抜擢。芸能界に進んだことで彼の夢の一つが実現されています。また、同じくライダー役に抜擢された菅田将暉さんに関する記事はこちら。