桔梗は日本を含め東アジアに広く分布され、日当たりのよい野原に自生していますが、近年そのような場所が減少し、野生の品種は環境省の絶滅危惧Ⅲ類に指定されています。古来より日本人に愛され親しみのある桔梗ですが、意外なことに絶滅が危ぶまれているのが実態です。
悲劇の桔梗紋を持つ歴史上人物
古くから日本人に愛されている桔梗は家紋のモチーフとなり、桔梗紋は多くの有名人に使用されています。歴史上人物のなかには非業の最期を遂げた人々も多く、悲劇の家紋と呼ばれます。桔梗紋を持つ歴史上人物とその最期を紹介します。
桔梗の家紋①明智光秀
明智光秀は織田家の重臣でしたが、本能寺の変を起こし主君織田信長を自害させます。一時的に天下を獲ったものの、その後羽柴秀吉に山崎の戦いで敗れ、落ちていく途中に暗殺されたということです。謀反を起こした光秀が、また謀反を起こした家臣に裏切られたとも伝えられ、皮肉な最期だという説もあります。
本能寺の変で一時的に光秀が天下を取ったことを表し「三日天下」という言葉が生まれました。実際には3日ではありませんでしたが、天下は長くは続かないという意味合いで現在も使われます。
桔梗の家紋②坂本龍馬
坂本龍馬が使用していたのもまた、桔梗紋でした。明智光秀の子孫だからということなど諸説あります。幕末期に活躍し、明治維新に多大な影響を与えた龍馬ですが、最期は悲惨で京都の旅籠近江屋で暗殺されました。
龍馬が使用していたのが「組合い角(かく)に桔梗紋」という紋です。2つの正方形の角と辺を交差させた特徴的なこの紋は、坂本龍馬が使用していたということで有名な家紋です。現在も歴史上の人気者の坂本龍馬ですので、この家紋を知っている人も多いでしょう。
桔梗の家紋③加藤清正
加藤清正は安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名で肥後熊本藩初代藩主となりました。しかし突然の発病により、謎の死を遂げています。あまりにも突然だったため毒殺説もあり、死因となった病気には腎虚や梅毒、ハンセン病など諸説あります。
桔梗の家紋④大村益次郎
大村 益次郎は「丸に桔梗」紋を使用していました。幕末期の長州藩の医師、西洋学者として活躍し、事実上の日本陸軍の創始者とされ靖国神社には銅像も建造されています。しかしその最期は刺客に襲撃され、その傷から敗血症になり命を落としました。
安倍晴明の五芒星と桔梗
陰陽師、安倍晴明は五芒星紋を使用したことで有名です。五芒星は五角形の桔梗の花の形と重なることから「晴明桔梗」と呼ばれています。別の呼び方ではペンタグラムや五星線などがあり、世界中で使われている図形でもあります。
安倍晴明と五芒星の紋
五芒星はこの世に存在するあらゆるものを木・火・土・金・水の5つの元素にあてはめる陰陽五行説の考え方を形にしたもので、魔除けの呪符とされました。安倍晴明は五行の印としてこの五芒星紋を使用しました。
安倍晴明が使ったことから五芒星は「晴明斑紋」や「晴明桔梗」とも呼ばれます。しかし、安倍晴明が作ったわけではなく、日本ではすでに奈良時代から魔除けとして使われていました。世界でも古くは紀元前3000年頃のメソポタミアの書物に五芒星が確認されています。
桔梗の形と五芒星「晴明桔梗」
五芒星は「晴明桔梗」とも呼ばれています。桔梗の花を図案化した桔梗紋の変形として、家紋にも使用され、京都府の晴明神社では五芒星を社紋とし、鳥居や井戸、絵馬、お守りなどにも見られます。
万葉集では桔梗は朝顔?
古くは万葉集に登場している桔梗。およそ4500首ほどある万葉集のなかで5首が詠まれています。いずれも「桔梗」という言葉は出ておらず、「朝顔(あさがほ)」と詠まれています。万葉集の「朝顔」は桔梗、木槿(ムクゲ)とする説があります。
7世紀後半から8世紀後半に掛けての万葉時代に「朝貌(あさがほ)の花」といわれていたのは桔梗、槿、昼顔などとするほか、朝咲く美しい花の一般的な総称であるとする説があります。現在朝顔と呼ばれている朝顔の花は平安時代以降に中国から渡ってきたもので、奈良時代にはまだなかったと考えられています。
山上憶良 巻8-1538
萩の花尾花(おばな)葛花(くずはな)なでしこの花をみなへしまた藤袴(ふぢはかま)朝顔の花
秋の七草を詠んだ歌として有名な山上憶良の一首です。ここで「朝顔」と詠まれているのが桔梗だということです。
作者不明 巻10-2104
朝顔は朝露負(お)ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり
(朝顔(桔梗)の花は、朝露にぬれて咲くというけれど、夕方の光の中でこそ美しく咲き勝ることよ)
この歌で、夕方のほうが美しいと詠まれている「朝顔」は、桔梗か木槿(むくげ)だと考えられます。木槿も夕方は勢いが少し弱い感じなので桔梗のほうが有力です。確かに桔梗の濃い色合いは、夕方の光に照らされてなおいっそう輝きを増して見られます。
作者不明 巻10-2274
臥(こ)いまろび恋ひは死ぬともいちしろく色には出(い)でじ朝顔の花
(恋に苦しみ、命を落とすことがあろうとも、朝顔(桔梗か木槿?)の花のようにははっきり態度に出して人には知られまい)
この歌の「朝顔」はどちらかというと存在感のある木槿説のほうが有力のようです。桔梗は「いちしろく」(いちじるしい)とは遠い姿の花です。草原にひっそりと咲くイメージの桔梗より、木槿の華やかさのほうがこの歌の「朝顔」に合います。
作者不明 巻10-2275
言(こと)に出(い)でて云(い)はばゆゆしみ朝顔の穂には咲き出ぬ恋もするかも
(恋しさのあまり胸の内を口に出せば、縁起の悪いことが起こりそうなので、朝顔(桔梗)の花のように人目に立たぬようにしよう)
桔梗をひっそりと咲くイメージとし、目立たぬように想いを内に秘めている心情を詠んだ歌です。若干ネガティブなイメージとして桔梗を捉えているようですが、人目を偲んでという在り方を美徳としていた時代の潮流からは、桔梗を美しく表した一首といえます。
作者不明 巻14-3502
我が目妻(めづま)人は放(さ)くれど朝顔のとしさへこごと我は離(さ)るがへ
(私の愛しい妻を皆は引き離そうとするけれど、朝顔(桔梗)のように大切にして何年でも決して離れることはありませんよ)
可憐に咲く桔梗の姿が思い出される歌です。花言葉のなかった時代に詠まれていながら、桔梗の花言葉「永遠の愛」にぴったりの一首です。愛しい妻への心情が桔梗を通して伝わります。
桔梗の花が楽しめる名所
秋の七草として親しまれる桔梗。開花時期は6月から9月頃、新暦では夏の候となります。この頃に桔梗が美しく咲く姿を見ることができる名所を紹介します。花言葉「誠実」や「勝利」などを思い起こしながら眺めると、いっそう花を楽しめそうです。
桔梗を愛でられる名所は各地に多く、その繊細な美しさを求めて桔梗ファンが集います。桔梗の群生する光景をたのしめるスポットから、期間限定の特別拝観としているお寺まで、さまざまあります。その一部を紹介します。
桔梗の寺 天得院
京都屈指の紅葉の名所・東福寺。その塔頭のひとつ天得院は、桔梗の寺として知られています。杉苔に覆われ庭に咲く桔梗が楽しめる6~7月と、紅葉が美しい11月の年2回のみ、特別拝観を行っています。
桃山時代に作られた当初から桔梗が植えられていたという天得院。こぢんまりとした枯山水庭園には300本以上の桔梗が植えられていて、一面に咲く桔梗は見応えが満点です。
自然界そのままの桔梗が群生している姿を再現
桔梗の花のシーズン6月~9月のうち特別拝観を6月~7月のみとしている理由は、残りのシーズンは桔梗のために使う期間としているからです。ここでは桔梗の自然な生態を維持しています。植樹されたような洗練さではなく、まばらに点在する桔梗は桔梗自体が間合いを取って生えてくる姿です。
拝観期間は枯れた花を摘んだりといった手入れをし桔梗を楽しんでもらい、拝観が終わったら、人の手を入れず花をそのままにしておいて、種が自然に地面に落ちて目が出るのを待ちます。そのため桔梗が自生する姿を楽しめるのです。
晴明桔梗も印象的 晴明神社
安倍晴明を祀る晴明神社は、京都一条戻橋にあった晴明の屋敷跡に建立されています。桔梗を楽しめる桔梗苑があり、境内には桔梗苑も含めておよそ2000株の桔梗が植えられています。6月中旬から9月頃に渡り、コバルトブルーと白の可憐な花が咲き誇る景色は見応えがあります。
鳥居、晴明井などいたるところに晴明桔梗が掲げられ、御守りや御札、絵馬などにも晴明桔梗が印されています。桔梗の開花している期間限定で授与される「桔梗守」は桔梗の花があしらわれている可愛い御守りです。
明智光秀ゆかりの「桔梗寺」 谷性寺
京都府亀岡の古刹谷性寺(こくしょうじ)。創建は平安時代と古く、明智光秀ゆかりの寺で「光秀寺」とも呼ばれます。6月~9月のシーズンには光秀が家紋として使用した桔梗が咲くことから「桔梗寺」ともいわれています。
夏には境内に光秀を偲んで植えられた桔梗が咲き誇り、桔梗寺と呼ばれるようになりました。さらに、近隣の土地に植えた桔梗が現在では5万株にまで拡がり、全国最大規模の桔梗の名所となりました。青紫色に加え、白やピンク、八重の桔梗も見ることができます。
桔梗の花言葉は気品に満ちていながら悲しい一面もあった
誠実さをイメージさせる花言葉をいくつも持ちながら、桔梗の花言葉が怖いといわれる背景には悲しい言い伝えがありました。しかし、桔梗の花の美しさには何の因果もないことで、古来より人々に愛されてきた人気の花ゆえの噂なのかもしれません。
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