里中まりあとは?射殺されたAV女優
若くして亡くなる女性は世の中にたくさんいます。里中まりあさんもその一人、21歳の若さでこの世を去りました。自分からこの世を去ったわけではなく、射殺と言う無残な殺され方で世間を震撼させました。なぜ、彼女がこのような事件に巻き込まれる事になったのか、里中まりあさんとはどんな人生を送ってきたのか見ていきましょう。
里中まりあ射殺事件とは?
少し触れましたが、彼女の死因は銃で撃たれたこと、射殺です。もちろん、事件にもなり犯人も捕まりました。彼女の職業がAV女優だったことと、犯人の素性がこの事件を大きくさせたのです。事件の経緯はどうだったのでしょうか。
里中まりあ射殺事件①大阪市内のホテルで事件発生
彼女に最悪な事態に巻き込まれたのは1999年3月22日のことでした。場所は大阪天王寺区、「ニューヨーク」のホテル一室で起こります。宿泊の有無を確認に行ったホテルの従業員が発見しました。
発覚した時には、考えられないことに顔の正面に1発の銃痕があったそうです。銃が関わっている事件は、一般的な事件では考えられません。現実で21歳の女性の身に起きた出来事に、当時の同世代の人達にも衝撃的な出来事でした。
里中まりあ射殺事件②事件三日前に何者かに連れ去られていた
予兆があったのは3日前です。目撃情報から、彼女の自宅であるマンション前から車で連れ去られたのです。暴行も加えられていたとの目撃証言もありました。この証言は事件前に分かっていた情報で、彼女の行方がわからなくなった関連性も含めて捜査が行われていました。
里中まりあ射殺事件③犯人は暴力団関係者!
約1ヶ月後の4月17日に容疑者が逮捕されます。逮捕されたのは、山口組系組員、寺田幸雄(てらだゆきお)でした。寺田は50歳で彼女とは親子ほど歳が離れています。逮捕された時には堺市内にあるホテルに隠れていたようで、警察が洗い出し逮捕に結びつきました。
里中まりあ射殺事件④ドラック関係のトラブルによるもの?
事件の概要が明らかになるまでは、里中まりあさんはドラッグを使用していたという噂が絶えませんでした。周りからも、挙動不審な行動が目立つことも言われています。そのためドラッグを売りさばいている暴力団との関係も捜査対象になり、ドラッグ関係のトラブルに巻き込まれているのではないかと見られていました。
里中まりあの生い立ちとは?転落していった人生
AV女優の道を選んだ、里中まりあさんの人生を振り返ってみましょう。今はそれほど、AV女優と言っても偏見の目は薄れつつあります。しかし、彼女がいた時のAV業界は黒い噂も多くあり、どのように自ら飛び込んで行くきっかけがあったのか気になります。
里中まりあの生い立ち①近所でも評判の美少女だった幼少期
里中まりあさんの幼少期は、近所でも評判の可愛い子でした。小さいながらにクラッシクバレエを習い、犬が大好きでした。友達の犬を散歩に行くなど、友達とも良好な関係が見られました。彼女の簡単なプロフィールです。
- 里中まりあ(さとなかまりあ)
- 【本名】桑畑由紀子(くわはたゆきこ)
- 1977年12月15日生まれ
- 東大阪市出身
- 身長158cm、スリーサイズ83・57・86
里中まりあの生い立ち②中学生でグレ始める
女性の転機は人生で何度も訪れます。彼女にとってはそれが中学生の時でした。よくある話ではありますが、髪の毛を茶色に染めて、スカードを短くして自分をアピールし始めました。この頃から喫煙もしていたようです。また、本人が自身の初体験を仕事中に聞かれた時に14歳をと発言しています。
里中まりあの生い立ち③トリマー専門学校を中退
ご存知の通り、中学校までは義務教育のため、彼女もなんとか卒業までこぎつけました。卒業後にはトリマーの専門学校に通い始めたのです。しかし、わずか半年もしないうちに中退してしまいます。専門学校は彼女でなくても挫折を味わう人が少なくありません。彼女に限定したことではなく、誰にでも起こり得ることです。
里中まりあの生い立ち④フリーター中にホストにハマる
学校に行かなくなった彼女はフリーターになり、繁華街で遊ぶようになります。そこで二度目の転機となるホストクラブに行ったのです。きらびやかで自分を出迎えてくれる世界、彼女が溺れるのに時間はかかりませんでした。幼少の頃から可愛いともてはやされていた自分を取り戻したかったのかもしれません。
里中まりあの生い立ち⑤年齢を偽って風俗店勤務へ
ホストと言えば、貢がされるイメージがどうしても拭えません。例外にもれず彼女のホストに貢いでしまったのでしょう。なんと、17歳で年齢を偽り風俗店に入店したのです。1995年2月の事でした。
しかし4ヵ月後には場所を替え、大国町のイメクラに「ゆうき」と言う名前で入り有名になります。20歳と年を偽り、風俗のグラビアの雑誌に掲載されました。取材したときは、正座して受け答えをする清純そうな女の子に見えたそうです。
里中まりあの生い立ち⑥ストリッパーデビュー後AV女優の道へ
1年後にはストリッパーとなり劇場へ登場します。当時の名前は「里中まみ」として出演していました。そこからどんどん出世し1997年AV女優としてのデビューを果たします。1997年3月名前は「里中まりあ」と改名したのはこの時でした。
彼女は数々の風俗業を転々としていますが、色々な風俗の形が日本にはありました。彼女は、イメクラ、ストリッパーからAV業界に飛び込んでいますが、もう1つノーパン喫茶という存在もありました。詳しく知りたい方はぜひこちらもご覧ください。
里中まりあの生い立ち⑦デビュー後も素行の悪さが目立つ
彼女の素行の悪さは、実はまだおさまっていませんでした。悪い癖としか言いようがないのですが、ストリッパーデビューした頃から、段々とわがままになり、行動も見るからにおかしな点も増えてきました。
せっかくの仕事を平気でほったらかすなど奇行が目立ち始めたのです。呂律がまわらないこともあったそうで「シャブをやっている」と囁かれていたのも、この時からでした。周りには暴力関係者がちらほら見え隠れして、怪しい気配が漂っていました。
里中まりあ射殺事件のその後!犯人への判決内容は?
彼女の生い立ちがわかった所で、事件がどうなったのか気になるところです。里中まりあさんの生い立ちを辿った今は、やはり日常で頻繁に起こる事件ではないことを再認識して頂けたでしょう。逮捕された犯人と動機、関係性について見ていきましょう。
里中まりあ射殺事件のその後①山口組・寺田幸雄容疑者を逮捕
逮捕されたのは、山口組の「寺田幸雄」と言う所までお伝えしました。銃刀法違反の容疑で捕まり、取り調べが始まります。殺害現場となったホテルは警察もマークしていた場所で、覚せい剤の取引をしていた疑惑もあったようです。
里中まりあ射殺事件のその後②銃の暴発によるものと殺意を否定
なぜ、銃刀法違反なのでしょう。取調べ中も一貫して、寺田は殺意があったことは認めませんでした。銃が暴発してしまったと証言を変えません。故意にやったのか、事故だったのかで刑の重さもだいぶ変わってくるでしょう。銃をかまっていて都合よく顔面にあたるものなのか、当時の捜査も確たる証拠が出ないため難航したようです。
里中まりあ射殺事件のその後③懲役17年の実刑へ
最高裁まで争った、この事件の結末は、懲役17年の実刑でした。最後まで寺田は、殺人については避妊するも認められなかったようです。内容は殺人や銃刀法違反などでした。また覚醒剤も絡んでおり、彼女と覚せい剤の関係もずっとついてまわることになります。
寺田幸雄はすでに出所済み?
寺田が逮捕されたのは1999年4月です。もし刑務所で何事もなく全うしていたならばすでに、出所していると見て間違いないでしょう。しかし、当時で50歳、17年の刑期を終えた頃には77歳です。山口組系にいた人物として、注目が集まっていますが、今はどうしているのか分からないままです。
里中まりあさんなぜ暴力団員と一緒にいたの?
ここまでの事件を見てきて、素朴な疑問を感じませんか。なぜ、彼女は寺田と一緒にいたのでしょう。親子ほど年の差も離れ、雑誌のインタビュー時には「年下が好き」と答えていた彼女、暴力団とつながるような要因があったのでしょうか。
里中まりあさんはドラッグを買っていた?
接点が見当たらないわけではありません。考えられるのは、周りからの評判通りドラックを暴力団から手に入れていた可能性です。彼女は罪に問われてないので、本当のところは分かりませんが、ストリッパー時代から激ヤセしたとの証言も多数あったようです。
里中まりあさんは暴力団組員と交際していた!
もう一つは、寺田と付き合っていたと言う話です。年下好きと公言していても好きになった人は別な場合は多々あります。半同棲状態で付き合っており「おっさん」と呼んで慕っていたと言います。暴力を振るわれることがあっても、好きで離れないほど周りが見えていなかったようです。