菊容子殺害事件の真相は?犯人藤沢陽二郎の現在や石ノ森章太郎との噂も

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本格的な女優デビューは1968年、「でっかい青春」という学園ドラマです。菊さんはこれに女子生徒役で出演しました。決定的なブレイクは、1971年にドラマ「好き!すき!!魔女先生」でつとめたヒロインの月ひかる役。これがきっかけで清純派女優として人気を集めるようになります。

その後、NHKのクイズ番組「連想ゲーム」にレギュラー出演がはじまると、ますますお茶の間のお馴染みの女優として親しまれるようになりました。

菊容子さんは石ノ森章太郎の愛人だった?

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清純派女優で売り出していた菊さんの殺人事件は世間に衝撃を与えました。さらに世間を騒がせたのは、菊さんが「好き!すき!!魔女先生」の原作者、漫画家の石ノ森章太郎さんの愛人であったという噂でした。

菊容子は漫画家石ノ森章太郎のお気に入りだった

菊さんと石ノ森章太郎さんは彼女が10代のころからの付き合いでした。菊さんがモデルをしていた少女雑誌の「少女クラブ」で石ノ森さんが漫画を連載していたのです。石ノ森さんは菊さんを気に入っていました。

菊容子さんに「菊池洋子」は、「さんずいがあるのは縁起が悪い」として芸名「菊容子」を与えたのも石ノ森さんでした。

数々の石ノ森作品に抜擢も!

石ノ森さんはお気に入りの菊さんを数々の自分の作品に出演させています。「好き!すき!!魔女先生」のほかに、「人造人間キカイダー」「変身忍者 嵐」に出演しています。

「好き!すき!!魔女先生」の月先生役に菊さんを推薦したのも石ノ森さんだといわれています。石ノ森さんが菊さんを気に入っているという話は、特撮界では有名なことでした。

石ノ森章太郎自らの著書で告白

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菊さんの死後、石ノ森さんはのちに書いたエッセイで、「愛人の女優が殺された」と書いています。また、「菊容子は自分に枕営業していた」などとも告白しています。

藤沢さんも石ノ森さんの作品中に何度か出演していますが、そんな彼とのゆがんだ三角関係にも言及しており、これは清純派女優として売り出していた菊さんのファンに大きな衝撃を与えました。

菊容子さんの愛人?石ノ森章太郎さんの人物像

自らの著書で菊容子さんが自分の愛人であったことをカミングアウトする衝撃的な行動に出た石ノ森さん。特撮界隈では「特撮の神」としてあがめられていました。その人物像とは、どのような人物だったのでしょう。

手塚治虫「鉄腕アトム」のアシスタントも

1938年に宮城県で生まれた石ノ森さん。幼少期から絵を描くことが好きで、高校時代に仲間を集めて「漫画少年」に投稿していました。この投稿が手塚治虫の目に留まり、高校2年生の頃に「鉄腕アトム」のアシスタントに抜擢されます。

その後、高校在学中に手塚治虫の仲介で「漫画少年」にてデビューすることになります。デビュー作は「二級天使」。高校卒業後に上京し、本格的に制作活動に打ち込むようになりました。

数々の名作を生み出す

上京してから石ノ森さんは数々の名作を生みだします。代表作は「サイボーグ009」。一番最初のヒット作品であり、生涯にわたり書き続けた作品でもあります。完結する前に彼が死去したため、漫画版は未完に終わっています。

「サイボーグ009」に並ぶ代表作が「仮面ライダー」シリーズです。東映特撮作品の原作と漫画化を担当したもので、これを機に特撮界に名をはせることになります。一部の作品では監督もつとめています。

姉の存在

石ノ森さんの家族で一番彼の夢を応援していたのが3歳年上の姉・由恵さんでした。石ノ森さんが上京後も、彼女は一緒に下宿のトキワ荘に住み、弟を支え続けました。美人な由恵さんはトキワ荘のマドンナ的存在でした。

もともと石ノ森さんが漫画を描き始めたのも、幼いころから病気がちであまり外出できない姉に、外の世界を絵にかいて見せてあげたいという思いやりからだったといいます。彼女なしでは漫画家の石ノ森章太郎は存在しなかったといえます。

医療ミスによる姉の死去

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しかし、支えだった由恵さんは23歳という若さで他界します。原因は、以前から患っていた喘息の発作をおさめるためのモルヒネの大量投与という医療ミス。恋も夢も実現できず、あまりにも早すぎる死でした。

由恵さんとの死別はのちの石ノ森さんの作風にも影響しています。彼の作品中の女性はどこか悲しげで儚い女性が多いのは、由恵さんがモデルになっているためともいわれます。美人な菊さんに惹かれたのも、どこかに姉・由恵さんの存在があったからなのでしょうか。

石ノ森章太郎の人柄

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石ノ森さんの仕事の速さには定評があり、人の5倍のスピードで原稿を書き上げたというほどです。しかし、アシスタントの仕事をせかしたり腹を立てたりすることのない、寛大な人物だったといいます。

また、子供が生まれてからは、さらにハイスピードで大量の原稿を書き上げ、空いた時間で子供をあやしにいくという子煩悩な父親の一面もありました。

菊容子さんの祟り?石ノ森章太郎に起きた不吉な数々

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まわりから頼りにされる名漫画家だった一方で、菊さんの愛人疑惑があった石ノ森章太郎さん。菊さん死後には、石ノ森さんのまわりで数々の不吉な出来事がおこるようになります。

菊容子さん亡き後に不吉な現象が…

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菊さん亡き後、石ノ森さんの周りでは、アシスタントが不慮の事故にあったり現場で不可解な事故が続きました。さらに石ノ森さん自身も体調を崩すなど、不吉な出来事が重なります。

あまりにも不吉なので、なにか悪い霊の仕業ではないかと疑われるようになりました。そこで、スタッフで霊媒師に頼んで除霊をしてもらうことにしたのです。

霊媒師からは名指しの指摘も!

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除霊にやってきた霊媒師は、石ノ森さんにむかって「若い女性の霊が憑いている」と指摘しました。しかもその霊媒師は菊さんの名前を直接出してきたのです。

霊媒師が言うには、菊さんは石ノ森さんに憑りつき、「誰も私に気づいてくれない。元の身体に戻りたい。助けて先生」と訴えかけているということでした。

その後改名した石ノ森章太郎

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霊媒師が言うことが本当かどうかはさておき、石ノ森さんの周りで不吉な出来事が続いたことは事実です。彼がそれまで「石森章太郎」と名乗っていたのをこの時期に「石ノ森章太郎」と改名したのも、菊さんの祟りから逃れるためだという話もあります。

本当に菊さんの霊が憑いていたかどうかはわかりませんが、こういった心霊現象はいたるところで起きています。心霊現象について他の出来事も知りたい方は、こちらの記事もご覧ください。

芸能人が関わったほかの殺人事件

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痴情のもつれがこじれた結果、殺人という結果になってしまった本事件。この事件が世間をこんなにも騒がせたのは、殺されたのが人気女優だったからということが大きいです。

テレビの向こうで活躍する人物が関わる事件は、多くの人に衝撃を与えます。芸能人が関わったほかの殺人事件は、どんなことがあったでしょう。

女優毛利郁子による殺人事件

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菊容子殺人事件の6年前、1969年にも芸能界が関わる殺人事件がありました。女優の毛利郁子による殺人事件です。現役の女優が殺人という罪を犯した最初の事件となりました。

一度目の出産と子との離別

女優としての毛利さんのスタートは25歳でした。女優を始めたのち、年上俳優男性と同棲中に子を身ごもり、出産します。しかし、デビュー当初のグラビア系の活動の過去を知る男性の母親が結婚に猛反対しました。

男性の母親は生後2か月の子どもを可哀そうだと連れ去ってしまいました。毛利さんは子どもと引き裂かれ、男性とも別れることになったのです。そのような状況でも彼女は女優業を続けていきました。

水田照正さんとの不倫

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毛利さんが水田さんと出会い、交際を始めたのは彼女が30歳の頃。当時水田さんには家庭がありましたが、それを彼女に隠しての交際スタートでした。ただ、彼の家庭のことを毛利さんが知った後も、二人は交際を続けました。

36歳で彼女は水田さんの子を身ごもり、出産します。しかし、水田さんは子の認知をせず、養育費も払わずに離れていきました。彼女は1人で子どもを育てはじめました。

水田さんを刺殺し、懲役5年

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子どもが2歳になるとき、水田さんが彼女の前に姿を現しました。2人でドライブ中に子の認知の話になり、「自分の子は自分で負え」という水田さんの言葉に激昂した彼女は、隠し持っていた包丁で水田さんを刺し殺しました。

我に返った彼女はすぐに助けを呼びますが、水田さんは出血多量で死亡しました。裁判では、子どもがまだ小さいことも考慮して懲役5年という判決になりました。

罪を重ねた克美しげる

1960年代にヒット作品を生み出した克美しげるさん。彼もまた、殺人事件を犯した芸能人のひとりです。彼は殺人事件だけでなく、他の罪も重ねていました。

歌手としてのブームと転落

1960年にレコードデビューした克美さん。1963年のテレビアニメ「エイトマン」の主題歌、翌年リリースした歌謡曲「さすらい」の2つの作品が大ヒットし、1965年から2年連続で紅白歌合戦にも出演しました。

しかし、その後ヒット曲が出せず、人気は低迷していきました。それでも彼は何とか芸能界に残ろうと、音楽関係者への接待を続け、1000万円もの借金を背負うことになります。

貢がせたホステスを殺害

当時克美さんには奥さんがいましたが、「妻とは別れた」と嘘をつきホステスと交際していました。毎月30万を貢がせ、そのお金を借金返済と生活費に充てていました。

いよいよ芸能界に戻れそうというとき、克美さんにとってこのホステスの存在が邪魔になりました。口論となり「世間にすべてばらしてやる」と言われた克美さんは、彼女の首を両手で絞めて殺害しました。

懲役と出所後に重ねた罪

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この事件で克美さんは懲役10年の判決を言い渡されました。ただ、7年の懲役後に仮出所。音楽事務所を立ち上げ、再婚。自ら指導者としてカラオケ教室もひらいていました。

しかし、その6年後に今度は覚せい剤不法所持の罪で逮捕されます。この事件では懲役8か月の実刑判決となりました。それでも出所後に音楽業界に戻り、2000年代まで音楽活動を続けていました。

菊容子殺人事件の悲しい真実

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これまで書いてきた通り、菊容子殺人事件は、勘違いが重なったことによる不幸な事件だったといえます。本当は愛し合っていたはずの2人が、片方は亡くなり、片方はその罪を背負い生きていくことになりました。

勘違いの末に激昂し菊さんを殺害した藤沢さんでしたが、彼も愛する人に手をかけてしまうほど追い込まれていたのでしょう。自殺にも失敗して終わった彼にも、計り知れない後悔が思われます。今後、このような悲しい事件が起こらないことを願ってやみません。

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