楠田枝里子とは
多くの方は、楠田枝里子さんはフリーアナウンサーとして記憶しているのではないでしょうか。
しかし、彼女もデビュー時は日本テレビの社員でした。そのような彼女の経歴などをまずご紹介します。
楠田枝里子のプロフィール
楠田枝里子さんは、1952年1月12日の生まれです。出身は三重県の伊勢市です。お伊勢さんで有名なところです。
最終学歴は東京理科大学の理学部です。その中の第一部応用化学科というところを卒業後、日本テレビに入社されました。
お誕生日からすると、大学進学時は1970年頃になりますが、当時の女性の大学進学率は20%弱でまだ少ない頃です。その時世に四大卒、しかも理系となるとかなりの才媛ぶりがうかがえます。
また楠田枝里子さんの弟さんも現在外科医をされているので医学部出身です。ご一家そろって優秀なようです。
楠田枝里子の経歴
彼女は、1974年に日本テレビに入社後、1981年秋までそちらでアナウンサーとして活躍しました。その後はフリーアナウンサーとして転身します。
現在は60代後半となる楠田枝里子さんですが、60代のアナウンサー一覧を見ても20代や30、40代に比べるとその人数は減っています。
また男性に比べると女性の数は少ないのですが、その中で精力的に活躍している楠田さんは稀有な存在です。
エッセイストやファッションアイコンとしての活躍も
フリーになった後は「なるほど!ザ・ワールド」や「世界まる見え特捜」の司会やエッセイスト業をこなし、数々の本を出版しています。
化学を一般の人にも分かりやすく説明した「気分はサイエンス」や「不思議の国のエリコ」は文系の人でも楽しく読めます。
ほかにもさまざまなジャンルのエッセイを発表指そ、その数は30冊以上にも及びます。またベストドレッサー賞やベストヘアー賞の受賞歴もあり、独自のファッションなども常に注目されています。
三重県観光大使も務める
楠田枝里子さんは地元・三重県の仕事も現在、きちんとこなされています。2006年からは三重県観光大使、2010年からは伊勢市観光大使の役目も担ってらっしゃいます。
拠点を東京に移しても、地元の仕事もおろそかにしない姿勢は彼女の誠実さや育ちの良さの現れです。
楠田枝里子の現在は?テレビで見かけなくなった理由は?
華々しい経歴の彼女ですが、最近は以前ほどテレビに出演されていません。不思議に思われている方もいるででしょう。
そのきっかけとなったのはある番組の降板です。その際の詳細を見ていきましょう。
楠田枝里子といえば「世界まる見え!」
楠田枝里子さんは1990年から続くドキュメンタリーの「世界まる見え」の進行をしていました。
楠田さんだけでなく、所ジョージさんやビートたけしさんも進行役をしていて、彼らの軽快なやり取りは非常に人気でした。
楠田枝里子さんは番組の立ち上げから2009年の秋までの約19年間、一度も番組を休むことなく懸命にご自身の役割を果たされました。
楠田枝里子が降板した理由は?
長期間、番組に出演していた楠田枝里子さんですが、2009年の秋に番組を卒業されています。
その理由は番組を若くしたいと制作者に言われたからです。この理由には彼女自身も大変衝撃的だったようです。
現在の年齢から考えると彼女はこの時50代後半。若くない女性は不要なのか?とまで考え、自分で自分を追い詰めてしまったようです。
一部降板理由に誤報も
この際、あるスポーツ誌が「楠田枝里子さんがギャランティの値下げ交渉に腹を立てた」ことが降板理由と報道しましたがこちらは誤報です。
当時、不景気の煽りを受けて各テレビ局が億単位で予算を減額しようとしていた時期です。名探偵コナンの小五郎役の初代声優さんや複数の有名アナウンサーが冠番組を降板していたのもこの頃です。
その理由は、すべてのト報酬のトラブルではないかと憶測が飛び交っていました。このような背景が楠田さんとお金を結び付け、誤報が生じたのではないかと考えられています。