加藤朝香とは?玄倉川水難事故の生存者!
生き残りの加藤朝香と聞いてピンと来なくても、玄倉川水難事故と聞けばピンとくるかも。加藤朝香は以後、河川や海等の水辺でのレジャーの安全性を全国的に見直す機会にもなったあの玄倉川水難事故での生き残りなのです。
加藤朝香が生き残った玄倉川水難事故で13名が死亡!
簡単に説明すると、18人が川沿いで宿泊し川の氾濫により13人が命を落とした、史上最低の水難事故です。その中で加藤朝香は生き残りました。
ところが、助けの手を差し伸べる等、関わった方々へのリーダーの振る舞いや、自然の驚異に対する知識の甘さ等で「DQNの川流れ」と2chを中心に世間に揶揄されました。事故の大きさはもちろん、犠牲者に対する世間の冷ややかな声によって有名に。
加藤朝香のブログで生き残ったことを自慢していた?!
13人の命を根こそぎ奪った玄倉川水難事故。加藤朝香は当時5歳。幼い中、運よく引き上げられ生き残りました。玄倉川水難事故当時は罪のない母を亡くした子とし、本人に炎上等は無かったのですが、ある日、加藤朝香自らの発言により炎上してしまうのです。
加藤朝香は生き残り自慢をしていた?!
当初は、事故における状況や大人らの振る舞いについて、大きな波紋が。世間から冷ややかな視線を送られており、DQNの川流れとつぶやかれる程に。引き上げられた加藤朝香を始めとする子供らにおいては、むしろ可哀そうだと炎上する等の大騒ぎはなかったようです。
ところが、10年の歳月を経、加藤朝香が中学生の時にブログ開設を機に、名前は伏せましたが当時の詳しい状況をブログに綴ったり、本人の身元が読者に特定された故に彼女が玄倉川水難事故での生き残り、加藤朝香であると分かり、炎上の発端に。
母の死を悲しむも炎上?!
母を失い、妹を失って、自分は生き残り、なぜこのような不幸が私の家族に起こるのか悲痛な声をあげるブログの内容。ところが、加藤朝香の思いとは裏腹に、読者たちは自分の父の自業自得とし、責めるなら父を責めろと一瞥。
合わせて、救済に関わった方たちへの感謝の思いや、他に命を落とした方における謝罪等は一切に触れずにいたので、加藤朝香は同情よりも反感を買うことになり炎上してしまいます。
加藤朝香は生き残り自慢以外にも未成年飲酒など問題が?!
ブログの内容で批判を受け、炎上してしまった加藤朝香。ところが他にもブログには未成年なのにも関わらずお酒を口にしたことをほのめかしていたので、当時幼かった加藤朝香には非は無いとは言っても、炎上は免れなかったようです。
加藤朝香の現在は?学生時代は不登校気味だった?
そんな加藤朝香のブログが大炎上したのも今から約10年前の話。今日の行方は?炎上したブログの行方は?合わせて、ブログ開設当時の加藤朝香の行方も明らかに。