玉井さんの現在は?川越総本部毘沙門天リーダー結婚の真相は?

玉井さんはたった一人で川越総本部毘沙門天の頭を務め、数十秒のビデオがアップロードされたことでネットで大人気になった人物です。この記事では、玉井さんがここまで有名になった理由と現在について詳しく解説しています。結婚の噂や乗っていたバイクについてもご紹介していきます。

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玉井さんとは?

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玉井さん(本名玉井弘之さん)は暴走族の組織「川越総本部毘沙門天」の頭を務めていた人物で、暴走族の特集のビデオに1人のみで出演をしていました。わずか数十秒ながらその映像はネット上で話題となり一躍有名となりました。

川越総本部毘沙門天に所属していた玉井さん

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この人物が所属していた暴走族の組織「川越総本部毘沙門天」とは、埼玉県川越市で誕生したといわれる規模の大きい集団で、一度は解散してしまったのですが玉井さんがトップとなってたった1人のみで再び結成しました。現在はもうすでに完全に解散をしました。

逮捕された先輩のために頑張る埼玉最強の男

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川越総本部毘沙門天でトップをやっていたということや、警官に捕まってしまった先輩のために1人で立ち向かって行ったこともあって、玉井さんは埼玉最強の男との呼び名もあり、その当時の未成年の人たちには憧れを抱かれる人物でした。

玉井さんが所属していた「川越総本部毘沙門天」とは

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一度は解散してしまったものの、玉井さん1人のみの手で復活した暴走族組織「川越総本部毘沙門天」は、数多く存在をしていた暴走族の集団の中でも相当に大規模な組織でした。より詳しく川越総本部毘沙門天について見ていきましょう。

大規模な暴走族だった

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川越総本部毘沙門天が有した勢力は、川越街道埼玉方面、東武東上線沿線をほぼ手中に収めていたとまで言われる程に強大でした。大人数ながらもきちっと統制が取れた集会での走りは、他のグループの追随を許さない圧倒的なものだったようです。

1970年代初めに結成される

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川越総本部毘沙門天が発足をしたのは1970年代の初めごろです。川越総本部毘沙門天は、暴走族の全盛期に存在をしていた暴走族の集団の中でも古くから活動を続けていた名門のグループでした。

勢力を拡大し埼玉で知らない人はいないほどに

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勢力を広げていった川越総本部毘沙門天は周辺の暴走族らを圧倒する程の強さとなって、埼玉エリアだけに留まらず東京の一部も手中に収めました。この時点で、埼玉の中では知らない人がいないとまで知名度が広がっていました。

全日本狂走連盟にも加入しさらに勢力拡大

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1970年代の中ごろにかけて暴走族の組織同士の間で勢力争いが激化すると、暴走族の組織同士が手を組んで更に大きな組織を作るようになりました。全日本狂走連盟(全狂連)はそうして生まれた連盟の1つであり川越総本部毘沙門天も勢力の拡大のため全狂連に参加し、東京や茨城にまで勢力を広げました。

当時は全狂連の他にも、C.R.S連合や東京連合、神奈川レーシング連盟、関東連合、キラー連合、などといった暴走族の歴史に名を残すような大きな連合がどんどん誕生していったといわれています。

玉井さんはなぜ有名になったのか?

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かなりの勢力を広げた川越総本部毘沙門天ですが、玉井さんはその全盛期のトップだったという訳ではありません。しかも玉井さんが頭となって再び結成された川越総本部毘沙門天も彼1人のみでの復活です。なのになぜ彼がこんなにも知名度が高まったのか、その発端は暴走族と何の関係もなさそうなニコニコ動画でした。

たった1人で暴走族のビデオに出演

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川越総本部毘沙門天を復活させた後、暴走族を特集するビデオに出演する機会が玉井さんに訪れました。他の暴走族は少人数でもチームとして出演する中、彼はただ1人のみで川越総本部毘沙門天の頭(ヘッド)として出演しました。その1人だけども頑張ってやってやる、という姿勢がネットの一部で「カッコいい」と話題になりました。

川越総本部毘沙門天! 頭やってる玉井だぁ! 1人だけどよぉビっとやってるからよぉ喧嘩ならいつでもやってやるよぉ! いつでも来いコノヤロー! それからよぉパクられてる先輩の為にもよぉ!頑張るからよぉ!

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