夏目漱石とは?日本を代表する文豪の1人
夏目漱石は1867年(慶応3年)に江戸牛込馬場下横丁(現在の新宿区喜久井町)で生まれました。本名は夏目金之助です。日本を代表する文豪の1人ですが、作家としてデビューしたのは38歳の時です。
千円札にも描かれた作家の夏目漱石
1984年発行の千円札の肖像としても知られる夏目漱石。有名な文豪は他にもいますが、『こゝろ』『坊っちゃん』『草枕』など、誰しもが聞いたことのある代表作が多々あることから選ばれたといわれています。
夏目漱石の代表作は日本で一番売れている本『こゝろ』
『こゝろ』は、ふしぎな魅力の先生と私が鎌倉で出会い物語が始まります。その慕っていた先生から届いた一通の分厚い手紙に描かれていた先生の告白とは。哲学とサスペンスで読み手を夢中にさせる、まさに名作です。
夏目漱石が亡くなった翌日に解剖され脳と胃を摘出
大正5年11月に最後の胃潰瘍を発病し、12月9日に夏目漱石は息を引き取りました。死後の遺体は、東京大学医学部解剖室で長与又郎医師の執刀によって解剖が行われ、脳と胃を摘出しました。
夏目漱石の脳は東大に保存されているって本当?
夏目漱石の脳は東京大学医学部にホルマリン漬けで保存
夏目漱石の脳は、現在も東京大学医学部にあります。透明で口広のガラス瓶の中にホルマリンにつけられて保存されています。
夏目漱石の脳は人よりも発達していた?
夏目漱石の脳の重量は1425グラムと平均よりも多少重たく、人より発達していたのか、と言われていますが、脳自体が大きいのではなく前頭葉が人より発達していたことがわかっています。
夏目漱石の脳はアインシュタインよりも重い?
ちなみに偉大な天才科学者であるアインシュタインの脳は1230グラムと記録されており、享年76歳のアインシュタインは加齢による脳の萎縮もあっただろうことから、夏目漱石の方が重たかったとされています。
『漱石の脳』に夏目漱石の脳について詳しく書かれている
斎藤磐根著書の『漱石の脳』には、鋳型標本から最新のプラスティネーションまで、記憶装置としての不思議な精神空間でいま目覚めようとする、死者たちの物語が192ページにわたり書かれている。
夏目漱石の脳が東大にある理由とは?
1916年「明暗」の執筆中に体内出血を発症し自宅で死去しました。冷たい遺骸となった漱石は寝台車に載せられて東京帝国大学医科大学の病理解剖室に運ばれることとなりますが、その経緯について紹介します。
夏目漱石の妻である鏡子の希望で解剖され東大に寄贈
遺体を解剖して原因究明を行うことは本人の遺志に叶うと妻鏡子の希望で解剖されました。また、その臓器は将来の医学に役立ててもらいたいと東大に寄贈されました。
愛娘・雛子の突然死が関係している?
5年前、娘の雛子が突然死をしたときに、解剖などの処置をとらなかった。結局、その後も死因が不明のままに終わったことをずっと後悔していました。
寄贈の際には夏目漱石の脳だけではなく胃も寄贈された
文豪で精神疾患や多数の病気を抱えていた夏目漱石の解剖は、解剖にあたった解剖医としても興味のある部分だったのかもしれません。解剖の際、脳だけでなく胃も摘出され寄贈されました。
東大にはさまざまな人物の脳が保存されている
東大には他にも、旧ソビエト連邦の指導者スターリンや同志レーニン、中華人民共和国の毛沢東などの脳も保管されています。
夏目漱石の他にも脳を保存されている人物がいる?
昔から著名人、特に指導者層や特異な人物の場合、死亡後に研究解剖されることは多々あります。世界中で保存されている脳について紹介します。
アインシュタインの脳は世界中で保存されている
アインシュタインの脳は解剖医であったトマス・ハーヴィーによって盗まれ、脳の調べ方が分からず、脳のスライスの標本をほうぼうの脳研究者に送り付けたことから世界中で保存されています。
人類学者のポール・ブローカの脳はパリで保存されている
前頭葉の言語を司る領域を発見した外科医で人類学者のポール・ブローカ。ブローカの脳はパリの人類博物館で保存されているそうです。
著名人は死後に脳を保存されることが多い
著名人の脳ミソは重さや発達具合が一般的な人と比較してどうなっているのか、死後も研究されることがあります。また亡骸は今も手入れしつつ現存しています。現代版のミイラといったことろです。
夏目漱石にまつわる雑学を5つ紹介!