人体の不思議展の闇6選|ヤバすぎる標本内容を解説

男性の人体模型
寝ころぶ女性の遺体

1996年から2011年頃まで日本各地で開催されていた、「人体の不思議展」。遺体を標本にして様々なポージングをさせたうえで、その遺体を展示するというなんとも恐ろしい展示会です。

そして、人体の不思議展は、加工方法や遺体の供給方法があまりに闇深いため、世間からは好奇心と共に批判も殺到しました。人体の不思議展は、どういった部分に闇を感じさせるのでしょうか?

この記事では、人体の不思議展にまつわる闇と、人体の不思議展の展示内容や現在の様子を詳しくお話しします。

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人体の不思議展は中国の団体が関与する遺体標本展示会

黄色い蝶の標本

人体の不思議展は、解剖学者・グンター・フォン・ハーゲンスが提案した展示です。遺体に特殊な加工をして、そのまま標本として展示するという内容で、標本化された遺体はスポーツをしていたり、様々なポージングで展示されました。

初めて人体の不思議展が提唱されたのは1993年で、それ以降海外や日本各地でも定期的に開催されていました。しかし、1998年に一度閉館。その後中国の団体が関与して、2011年頃まで「新・人体の不思議展」として日本を含む各国で開催されました。

では、人体の不思議展の遺体はどのような手段で加工され、展示されていたのでしょうか?また、人体の不思議展が開催中止になった経緯についても詳しくお話しします。

人体の不思議展発祥は解剖学者のグンター・フォン・ハーゲンス

解剖学者

人体の不思議展の提唱者は、解剖学者のグンター・フォン・ハーゲンスです。ハーゲンスは1993年に自身の運営する団体プラスティネーションと日本側との契約を経て、人体の不思議展を開催しました。

人体の不思議展で展示されている遺体は、遺体から水分を取り除いて、樹脂に置き換える加工方法を経て標本化されています。この手法はハーゲンスが提案したプラスティネーションという加工方法で、遺体の品質維持や半永久的な保存に特化しています。

ハーゲンスは、遺体を入手しやすいという理由で中国遼寧省大連市に遺体加工工場を設立して、そこで人体の不思議展に展示する遺体を中国人に加工させていました。当時遺体加工工場は10カ所以上あったそうです。

日本では1995年から人体の不思議展が各地で開催していましたが、契約上の問題で1998年に一度開催中止されました。

中国の団体が関与して「新・人体の不思議展」として2011年まで開催

美術館を訪れる人々

1998年に一度開催中止となった人体の不思議展ですが、2002年から中国の団体が関与して「新・人体の不思議展」として再び開催されました。「新・人体の不思議展」は2011年まで、日本各地で開催されています。

2002年からの新・人体不思議展では、ハーゲンスではなくハーゲンスの設立した遺体加工工場で働いていた中国人がメインとなって、展示会を開催しています。ハーゲンスの加工工場があった大連市の市長は、この遺体を使ったビジネスでかなりの大金を稼いだともいわれていますよ。

2010年頃から人権団体より開催中止を求める声も

虹色の画面に輝く反対意見

2002年から日本各地を含む各国で開催された新・人体の不思議展ですが、2010年頃からその展示内容に批判が集まり、2011年には開催中止が発表されています。

ハーゲンスが提唱し始めた当初は、学術的・芸術的な観点から遺体の仕組みを知ろうという魂胆だったのですが、徐々に遺体の提供方法や加工方法について世間から疑問が集まって、遺体を標本として展示するのはいかがなものなのかと批判が殺到。結果として、新・人体の不思議展を含める人体の不思議展は開催中止の運びとなったのです。

人体の不思議展は、大人だけでなく子供も遺体の本質と触れ合える、神秘的なものでした。それゆえ好奇心から遺体の提供方法を知りたいと感じる人も増え、日本側が遺体の提供方法について中国に質疑応答したところ、真相を答えることを拒否されたのです。

もしも遺体の提供方法が違法なものであれば、国内で展示することは非常にリスキーでしょう。人間の尊厳は、死後も守られるべきものであって、遺体だからといってぞんざいな扱いをしていいわけではありません。そういった人権保護の観点から、人体の不思議展は開催中止をやむなくされたのです。

人体の不思議展の闇深い展示内容

展覧会の内装

人体の不思議展では様々な遺体が標本として展示されていますが、どれも闇深い標本ばかりです。標本化されている遺体の中には妊婦や行方不明になった女子大生など、遺体になった経緯を知るとゾッとするものが多数ありました。

中には生きたまま遺体を加工しているなどの噂もあり、人体の不思議展の標本は想像を絶する闇に包まれています。

ここからは、人体の不思議展にまつわる闇を見ていきましょう。

人体の不思議展に関しては闇が深くヤバいと言われる噂が多く囁かれています。

行方不明の女子大生の遺体を標本化か

本を読む女子大生

人体の不思議展では、中国の立法府に陳情に行ってそのまま行方不明になった女子大生の遺体が標本化されているという噂が浮上していました。

中国人民大学に通っていた当時23歳の女子大生・李寧さんは、賃貸問題でショッピングモール職員と訴訟になり、8年以上不服申し立てをしていた母親・樹蓮さんを家族にもっていました。李寧さんの母・樹蓮さんは2009に北京に陳情に行きますが、そのまま当局に連行されて失踪し、自ら命を絶っています。

母親の遺体を見た娘の李寧さんは、自殺であるはずなのに遺体に傷があることに疑問を持ちます。事件から数年経っても何も事実が分からないことを陳情に行った李寧さんも、また当局に連行されて失踪してしまったのです。

そして、人体の不思議展に展示されている遺体は、失踪した李寧さんにそっくりでした。展示されている遺体が李寧さんのものという噂は、事件をかぎつけた外野が李寧さんの写真と遺体の写真を合成してインターネットにアップしたことから広まったものであり、信憑性は定かではありません。

しかし、火のないところに煙は立たないといいますし…この一件を含めて、人体の不思議展は展示内容全てが闇に包まれているのです。

有名アナウンサーの妊婦の遺体を標本化して展示

妊婦のお腹

人体の不思議展では、妊婦の遺体も標本化されて展示されています。この遺体は、中国のアナウンサー・張偉傑のものといわれています。

張偉傑は1998年に失踪して、それ以降、動向不明のまま監禁・殺害されたといわれている謎の人物です。張偉傑は中国・大連の市長の愛人で、市長の子供を身ごもっていました。妊娠を機に張偉傑は自分こそが市長の本妻だと言いふらすようになり、立場を危ぶまれた市長は張偉傑を捨てました。

その後張偉傑は数回にわたって大連市庁前でパニックを起こして、監禁・連行された末に殺害されています。そして、人体の不思議展に展示されていた妊婦の遺体は、以下の根拠から張偉傑のものではないかといわれています。

・ハーゲンスの遺体工場設置許可を下したのが大連市長本人
・加工場の責任者に市長の本妻がいた
・張偉傑が失踪した当時妊娠8ヶ月で、展示されていた妊婦の標本も妊娠8ヶ月
・妊婦遺体の入手有無について質問した数日後に人体の不思議展開催中止がアナウンスされた

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