工藤静香のプロフィール
1970年(昭和45年)4月14日生まれで、現在49歳になります。芸能界では歌手、女優として活躍して、ジュエリーデザイナーや画家といった肩書を持っています。
日本の東京都で育ちました。歌手としては昔はアイドル歌謡曲を、現在はJ-POPをジャンルとしています。
身長は161センチメートルで、血液型はB型です。板橋区の都立高校に入学したのち、品川区にある音楽学校に編入しまたしたが、中退しています。気になる家族、兄については後程ご紹介します。
工藤静香の経歴
本州の最北端、リンゴやねぶた祭りが有名な「青森県」出身の父親と、髪を切りパーマを当てたりする美容師の母親が両親で、生まれた地は青森県ですが、その後すぐに家族で上京しました。
子供の頃に、子役、俳優をマネジメントする東京都豊島区に本社を置く劇団に所属しており、15歳になると集英社の「seventeen」が主催する美少女コンテストで、特別賞を獲得しました。
同コンテストに出場していた、他の2名の美少女とユニットを結成して、歌手アイドルとしてデビューを果たしました。昭和の超人気アイドル「岡田奈々」に関する記事はこちらです。
あのグループに所属
現在でも芸能界で活動する女性タレントを輩出して、その後のアイドルグループに大きな影響を与えた、伝説とも呼ばれる「おニャン子クラブ」にも所属しました。
この時、現役の高校生でしたが、不登校気味になっていることやバイクが好きな事を公言して、徐々に不良少女のイメージがついていきました。
同グループ内に所属する、他アイドルのソロシングルの楽曲で、コーラスに選ばれて段々と歌手としての片鱗を見せ始めました。
ソロで活動
番組が終了すると同時にグループは解散となり、更に自身初のソロ楽曲「禁断のテレパシー」を世に放ち、オリコン堂々の1位を獲得して、以降は1人でトップ歌手、女優としての道を歩むことになりました。
この頃のトップアイドル4人「アイドル四天王」の1人として名を馳せることになり、とんねるずの冠番組でレギュラーを務めたり、その後も数々の名曲を世に放ちました。
90年代も、XJAPANの「YOSHIKI」と交際して世間を賑わし、2000年にはSMAPのキムタクこと「木村拓哉」との間に子供を授かり、結婚を正式発表して現在に至ります。
工藤静香の兄は亡くなっていた?
工藤静香と同じ父と母、つまり同じ両親を持つ人物がいました。その人物は工藤静香の兄にあたる人物です。工藤静香もメディアでなんどか自分に兄がいる事をほのめかすコメントを残しております。
しかし兄がいるといっても、厳密にいえばいた、と言った表現が相応しいでしょう。実は兄は昔に亡くなっていたのです。その気になる兄の詳細、兄の死因について迫っていきます。
工藤静香の兄の死因はバイク事故
兄妹と両親と一緒に生活していた、工藤静香がまだ物心つくまえ、幼気な少女の時に、兄はバイクを運転していたところ不慮の事故に遭ってしまい、命を落としてしまいました。
工藤静香がまだ幼気な少女の時なので、普通に考えれば兄とは相当年齢が離れていることが伺えますが、実際はそこまで年齢が離れていない兄妹のようです。
小学高学年、中学生のときに不良となっていて無免許で運転して事故を起こしてしまった。あるいはバイクに轢かれてしまって命を落としてしまった、どちらかになりますが詳細はハッキリとしていません。
工藤静香がインスタで兄について言及
去年平30年の12月年の瀬に、工藤静香のInstagramで、事故に遭って早すぎる死を迎えた兄についての思いを語たりました。
写真に写っていたのは、不吉な花というイメージが強い「ヒガンバナ」でした。長い間その花をしっかりと見つめる事が出来なかったこと、見れる様になったのは最近のことだと明かしました。
その理由は、亡き兄の思いが強かったためだったと言います。工藤静香にとって兄という存在は相当大きいものだったのでしょう。
実は愛犬のべべちゃんが亡くなっていたことも報告
またInstagramでは、兄の事だけではなく、おととし平成29年の9月には、愛犬の「ぺぺちゃん」が天国に召されたことも明かしました。
その愛犬はラブラドールレトリバーであり、Instagramでも圧倒的なプロポーションを放つ工藤静香と、忠誠心と賢さ、美しい毛並みを放つ愛犬の2ショット写真を掲載していたこともありました。
当然、愛犬も彼女にとって家族同然であり、兄が不慮の事故に遭って命を落としてしまった時と同じくらい、深い悲しみと寂しさを感じたはずです。