工藤静香とは?
他の人には出せない色香を乗せたあの声…耳元であんな声出されたらやばいですよね。個性の塊であり80年代のトップアイドル工藤静香さんは未だにカラオケで履歴を見れば【慟哭】や【くちびるから媚薬】が歌われている歌手。インスタグラムではいまだ色香を惑わせた姿を見せてくれています。
芸能活動ややはり旦那である『木村拓哉』で話題に上がる方が多い彼女ですが、宝石関連のデザインやアート活動も工藤静香がしているって知ってましたか?
工藤静香のプロフィール
大阪万博が開催された昭和45年の春、4月14日に誕生した工藤静香さん。彼女は子供のころから既に劇団に所属して舞台に出たりと活動しています。昭和59年に国生さゆりなども出場したセブンティーンコンテストにでて特別賞を受賞しています。
衝撃を受け「木村拓哉ロス」に陥ったり炎上を起したファンも多かった木村拓哉との結婚を発表されたのは平成12年。工藤静香の親御さんとの同居でスタート。娘さんも2授かっています。次女のデビューはニュースになっていましたね。
私の母もかなり落ち込んでいましたが皆さんの周りはどうでした?私自身は木村拓哉の結婚より慎吾ママのおはロックに夢中でした。マヨチュッチュは本当に衝撃でした!
工藤静香の経歴
昭和59年のコンテスト受賞した翌年にレコードデビュー(当時まだレコードだったんですね!)。その翌年には皆ご存じ「おニャン子クラブ」の38番で活躍しだします。当時の工藤静香は番組で自分から「私バカだモーン」などの発言でおバカキャラであったり大好きなバイクの話でヤンキーキャラだったりしたみたいです。
ソロデビューは昭和62年、おニャン子の番組の最終回と同日発売であった「禁断のテレパシー」。そこから怒涛のようにヒット曲を量産し「女性アイドルの四天王」と呼ばれるように。紅白は昭和63年から7年連続出場し、平成3年の紅白では後に旦那となる木村拓哉さんと対戦しています。
女優としても5連続(役1年半)連続出演をの活躍ぶり。バラエティーにも精力的に出演し、、特にとんねるずとの共演が多かった。石橋に至っては工藤静香のことを「姫」と呼んでいる。
工藤静香の作る料理がやばい?
「郷ひろみ・松田聖子」「近藤真彦・中森明菜」「田原俊彦・中山美穂」挙げだすときりがない沢山の炎上を巻き起こした20世紀の大物カップル。その最後の大物カップルを代表したのが工藤静香と木村拓哉。じつはお揃いのタトゥーもはいってるんです。
出来ちゃった婚でもあり結婚後は主婦と育児に精を出していた工藤静香。主婦として頑張る工藤静香の料理がなんだか「やばい」と世間がざわついたのだ。
事の発端は工藤静香のインスタグラム投稿
話題になる原因がインスタグラムなどのSNS投稿からってのは最近はありがちですね。今回「やばい」と世間をざわつかせ炎上する原因になったのも工藤静香のインスタグラム投稿が発端です。
ソロデビュー30周年記念で開設したインスタグラム。現在は非公開になっていますがリクエストさえ送ればすぐ承認されるようです。
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