小学生から芸能活動を開始
堂本剛は小学生の時から芸能活動を行っていました。当時は仕事の度に新幹線で奈良と東京を往復する生活をしていましたが、14歳で故郷を離れて上京するという決断をします。
14歳という年齢で家族や友達、慣れ親しんだ奈良を離れるというのは辛い決断だったようで、心に相当の負担が掛かっていたのかもしれません。これもパニック障害を引き起こした要因のひとつである可能性が高いです。
死にたいと思い続けた5年
堂本剛は1997年にパニック障害で闘病中であると衝撃の告白をします。この年はKinKi Kidsのアーティストとしてのデビュー年です。
その為、自分達がジャニーズを引っ張って行かなければならないという責任感や使命感、周りからの期待など様々な要因が彼にのしかかっていて、それがパニック障害に繋がっていました。
この重圧はとても大きく、18歳から23歳までの5年間は毎日死にたいと思っていたようです。
辛すぎて10代の頃の記憶が無い
堂本剛の過ごしてきた10代は彼にとってあまりに辛く、もはや記憶に無いそうです。このような精神状態が続けば堂本剛がパニック障害を発症しても何ら不思議はありません。
堂本剛は人前に出るのは苦手だったようで、自分の性格に合わない仕事をしていた事もパニック障害の発症に繋がったのかもしれません。
また、アイドルとして着飾った自分と本当の自分との葛藤が辛かった事も、パニック障害の要因のひとつと言われています。
コンサート中の過呼吸や体調不良で倒れることも
人前に出る事が苦手な堂本剛がコンサートに一番負担を感じていて、それがパニック障害の一番の原因ではないかと思われる事件が発生しました。
まず、2000年夏のコンサートツアーでナゴヤドーム第一部公演の途中に過呼吸の酷い発作を発生してしまいました。また、2003年5月の「Dome F Concert」の途中にも体調不良で倒れたのです。
このコンサートでの出来事がきっかけで、堂本剛はジャニーズの公式サイトで過換気症候群およびパニック障害での闘病中であるという事を公表しました。
堂本剛を支えた堂本光一の存在
パニック障害に苦しむ堂本剛を支えたのが相棒である堂本光一です。堂本光一は1979年1月1日生まれで、兵庫県の芦屋市出身です。堂本光一も堂本剛と同じく姉が勝手に履歴書を郵送した事がきっかけのようです。
堂本剛も堂本光一も姉が勝手に履歴書を送った事がきっかけで、運命的な出会いをしたのが奇跡のように感じられます。
パニック障害の本を読んで堂本剛をフォローしていた
思い遣りの心が非常に強いと言われている堂本光一は、パニック障害に苦しむ堂本剛を陰でずっと支えてきました。
堂本剛が精神的に危ないと思うような部分は自分が率先して担当したり、発作の危険がありそうな時はフォローするなど常に気を配っていたのです。
またパニック障害について詳しく理解する為に、パニック障害の本を読んで知識を深める事に努力を惜しまなかったようです。
堂本剛はソロ活動へ転身しパニック障害改善
そのような周りの支えもあり、少しずつパニック障害が改善する兆しが見えてきたのですが、ある事がきっかけで堂本剛は完全にパニック障害を克服する事になります。それがソロ活動の開始です。
現在の堂本剛は他のジャニーズとは少し違った髪型や少し奇抜なファッションを楽しむ姿をファンに見せています。また歌に関しても、KinKi Kidsとは一線を画すような歌詞が特徴となっています。
ありのままの自分を表現できたから?
イメージが違うという事でKinKi Kidsとしての堂本剛のファンであっても、ソロ活動をしている時の堂本剛のファンではないという方もいるかもしれません。
しかし、このソロ活動は重圧から解放され、自分のやりたい事が出来る為に堂本剛にとっては大切な場所でした。そしてこの事がパニック障害の克服に確実に一役買っているのです。
周りを意識せずに自分自身のありのままを曝け出す事が、パニック障害の改善にとても重要だったのです。
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