小林竜司とは?
皆さんは小林竜司をご存じですか?小林竜司とは「東大阪集団暴行殺人事件」に関する重要な人物であると共に、その壮絶な過去や男気のある人間性などが、世間からの興味を集めている人物です。小林竜司という人間がどのような人生を歩み、どうしてこのような残虐非道な犯行に及ぶまでに至ったのかについて、深く掘り下げていきましょう。
「東大阪集団暴行殺人事件」の主犯
小林竜司とは、2006年6月19日に起きた集団暴行殺人事件の主犯となる岡山出身の人物です。この事件は、被害者の男性2名が集団によってリンチされ、その末生き埋めにされて殺害されたという大変痛ましい内容です。これほどまでに残忍な犯行にもかかわらず、世間からは加害者側への同情の意見もあります。
一体どうして加害者であるはずの人間が世間の同情を集めているのでしょうか?それは、この事件の被害者と加害者の複雑な関係にあるからでしょう。最初は個人間のトラブルから始まったそうですが、次第にお互いの仲間を巻き込んで大ごとに発展したようです。それでは、事件の概要について詳しくご説明いたします。
小林竜司は裁判で死刑が確定
意外なことに事件の発端となる出来事に小林は関わっておらず、後から加わった形になります。それどころか被害者と面識もなかったそうです。それにも関わらず事件に関与した人物の中で一番重い死刑という判決が下されました。その理由としては、小林が主体となって被害者らの殺害を指示したことが分かったからです。
一体どうしてそれまで面識のなかった相手を殺害するに至ったのか、事件の詳しい内容は後に詳しく説明いたしますが、小林の友人が切っ掛けとなるトラブルに巻き込まれ、その際に頼ったのが小林でした。こうして彼は事件に関与することになってしまったのです。友人を助けるためとはいえ、超えてはいけない一線を越えてしましました。
小林竜司の生い立ちは?
かなり残虐な犯行内容とは裏腹に、その生い立ちは同情すらしてしまうほどに辛いものでした。世間からこの事件の加害者側への同情が集まる一因として、このつらい過去とそして友人を思う強い気持ちが世の人々の心を打つものがあったからなのでしょう。そんな小林の過去を詳しくご紹介していきます。
小林竜司の生い立ち①父親からの虐待と弟の世話
被害者をリンチの末生き埋めにするという残忍な犯行とは裏腹に、その幼少期は苦労が多かったようです。父親はパチンコに明け暮れ、小林にも暴力を振るうなどと、とても親子仲が良い関係だったとは言えなかったようです。親の愛が必要不可欠なこの時期に、むしろ危害を加えられてきた小林の少年時代は過酷なものだったでしょう。
さらには、弟の世話までをも押し付けられ、幼い小林竜司は父親の暴力に耐えながら弟たちの世話をするという日々を送っていました。まだ親に甘えていたいであろう年頃に甘えさせてもらえず、弟たちにとって父の代わりのような役目を果たさねばならないプレッシャーは、小さい少年には重荷であったに違いありません。
親の虐待が子供に及ぼす影響
親の虐待が子供に及ぼす影響は、生涯にわたって子供を苦しめます。発育不良や知的発達の遅れに加えて、心理的なトラウマが生じ、中には攻撃性を持ってしまう場合もあります。幼いころに親から暴力を振るわれていると、無力感や絶望感を抱きます。その気持ちを克服するために自分を親と同一化し、暴力を振るうようになってしまうのです。
また、トラブルを暴力で解決している親を見て育つため、トラブルに見舞われたときにはその解決法として暴力を振るう事をその姿から学んでしまいます。もちろん虐待を受けたすべての子供がそうなるわけではないのですが、何かしらの問題を抱える事には間違いありません。小さな子供を取り巻く環境というのはそれほど重要なものなのです。
小林竜司の生い立ち②いじめ
しかし、それだけに留まらず学校でもいじめを受けていたそうです。そのきっかけは小学校でお漏らしをしてしまったのが原因と言われています。その出来事がきっかけで小学生から中学生までクラスメイトからいじめを受ける事になってしまいました。きっかけはごく些細なものだったのです。
誰しもが経験しかねない事が原因でこんなにも長い間いじめられる事になってしまうとは、子供特有の何気ない悪意と集団心理は恐ろしいものです。家でも学校でも虐げられることになり、決して気が休まることはなかったでしょう。幼い時期のこうした経験は、彼の心に暗い影を落としたことでしょう。
小林竜司の生い立ち③友人への男気
そんな幼少期を過ごしてきた小林だからこそ、自分を気にかけてくれる仲間を思う気持ちというのは人一倍強いものがありました。今回の事件に加担した理由も、その大切な友人の一人から助けを求められての事でした。大切な友人を守るため、取り返しのつかない罪を犯してしまうのです。
彼のした行為は決して許されるものではありませんでしたが、友のためにここまでの事をできる人間はそうはいません。大切な友の為ともあれば、自分の人生を投げ出す覚悟で誠心誠意尽くす彼の男気は世間の人の心にも刺さりました。彼の友に対する健気な気持ちがもっと別の形で表れていれば彼の人生は今と違っていたのかもしれません。
小林竜司の生い立ち④母を愛する優しい子
父親との間には虐待を受けてきてきたため愛情が育まれなかったようですが、母親との関係は良好なものだったようです。出頭する際も母親に同行してもらい、出頭する直前に母親に対して「母さんの子で幸せでした」とメールを送るなど、母親に対して深い愛情を抱いていたのが分かります。
父親からは愛されていたとはとても言えず、唯一自分を愛してくれる母に特別強い愛着を持つのも当然と言えます。実は、母親も父親から同じく暴行を受けていました。同じ男から暴力を振るわれるというつらい経験を共有した二人。その間にはいつしか強い絆が芽生えたのでしょう。
小林竜司と佐藤勇樹の友情
小学生から中学生までの長い間いじめられてきた小林。その時に支えてくれた友人というのが佐藤勇樹でした。小林が事件に関わることになったきっかけは、その佐藤から助けを求められたことがきっかけだったのです。彼にとっては恩返しの気持ちから、友人のために立ち上がることを決意したのかもしれません。
佐藤勇樹という人物はとても優秀な生徒で、高校では生徒会長を務めるほどでした。また、地元の成人式では代表して宣誓を行っており、その際には地元の広報誌で「感謝の気持ちを忘れない」、「強い力を持ち、命を大切にする」、「自分の意志をしっかり持って行動する」という様な事を語っていました。
佐藤は小林が父親からの虐待を受け辛い時に支えてくれた
事件の詳細については後述しますが、佐藤はとあることをきっかけにトラブルになった友人に付き添って行った先でリンチを受け、ヤクザを騙った相手から現金を強請られているという状況に陥ってしまいました。命をも奪われかねない状況に陥った恐怖は計り知れません。友を頼るのも当然のことと言えます。
佐藤は、父親から虐待を受け学校でもいじめにあっている辛い時に支えてくれた数少ない大切な友人です。そんな大切な友人が危機に陥っているともなれば、いてもたってもいられなくなるのも当然の事でしょう。こうして小林は、事件に巻き込まれることとなってしまったのです。
小林竜司が起こした東大阪集団暴行殺人事件
それでは、彼らが起こした事件の具体的な内容についてご説明していきます。東大坂集団暴行殺人事件は、同じサッカーサークルのメンバーである藤本翔士と徳光優多という二人の人物を中心に、最終的には沢山の人物を巻き込んで起きた事件です。一体何が起こってしまったのか、詳しくご説明致します。
事件概要①発端の集団リンチ事件
発端となるのは、この事件の加害者である徳満優多とその友人の佐藤勇樹が事件の被害者である藤本翔士と岩上哲也を含む5人の人物に集団で暴行を受け、その末動けなくなったところを車に乗せられ、5時間ほど連れまわされた挙句にガソリン代として5000円を奪われるという事件でした。
それだけに留まらず、藤本らは徳満らに50万円を要求したそうです。この際にヤクザの知り合いがいることを仄めかし、「払わなかったら殺す」「海に沈める」等と強請りました。この時点で、友人同士のケンカの域をはるかに超えていたといえるでしょう。まだ若い彼らにとっては相当恐怖する出来事だったでしょう。
事件概要②集団リンチ事件のきっかけは藤本と徳満のトラブル
そもそもの原因なるのは、藤本と徳満との間に起きた恋愛トラブルでした。徳満には当時想いを寄せていた女性がいたのですが、その相手には既に恋人がおり、その恋人こそが藤本だったのです。彼女が藤本と交際していることを知りつつも、告白メールを何通も送り、次第に彼女の気持ちも傾いていきました。
ふたりはそれまで仲の良い友人でしたが、藤本は徳満が自分の彼女にアプローチをしていることを知り、大層怒り、ついには殴り合いの喧嘩になります。しかし、それだけでは気が済まず、前述の集団リンチへと繋がります。その際に要求した50万円は、この所業に対しての慰謝料という名目でした。
徳満は藤本の恋人にメールをしただけだった
徳満は、藤本の恋人に何度も「付き合ってほしい」などという内容のメールを送ってはいますが、それ以上の関係はありませんでした。藤本はこの事に対し慰謝料という名目で50万円を要求していますが、当然この程度の事では慰謝料は請求できません。ではどういった場合なら可能なのでしょうか?
一般的に浮気などによる慰謝料が請求できるケースは既婚者や婚約関係にある者に限られ、その上で肉体関係がなければ請求できません。以上の事から考えても、やはり徳満の行為は人の心を傷つける行為であったことは確かですが、慰謝料を請求するというのは横暴であったと言えます。
事件概要③小林竜司に助けを求めた徳満たち
藤本らから強請られた徳満らは、佐藤の中学時代の同級生の広畑智規と小林に助けを求めます。話を聞いた小林は、一度は被害届を出すように言ったのですが、広畑によって報復を提案され、3人はその提案に乗ることを決めました。こうして恐ろしい事へと発展してしまうのです。
実は、一度被害届を出すようにアドバイスを受けた二人は、実際に被害届を提出していました。しかし仕返しの提案を受けたためにそれを取り下げてしまったのです。この時にうかつに誘いに乗ったりせず、きちんと警察に任せていれば、このような重大な結果を招かずに済んだかもしれません。
事件概要④報復の集団リンチ開始
広畑が計画を立て、必要な人間を小林が集めることになりました。当事者である二人には約束の50万円を払うと嘘をつき、藤本らをおびき寄せる役目が与えられます。作戦の詳細は、土地勘のある岡山まで被害者らをおびき寄せ、そこを集団で囲み暴行をするというものでした。
目には目を歯には歯を、といった形でリンチされた相手に対して同じ形でやり返すというのが当初の計画でした。おそらくこの時点では、被害者二人を殺害することは想定していなかったと予想されます。ただの喧嘩の延長だという認識だったのでしょう。中には遊び感覚で暴行を楽しむ者も居たようです。
第二の現場へ移動
第一の現場は公園だったようですが、通行人に目撃されてしまい、以前に小林が働いていた会社の産業廃棄物処理場に現場を移します。この産業廃棄物処理場こそが、後に被害者である二人の遺体が発見された現場になります。小林は、夜にはこの辺りに人が来ないことを知っていたためこの現場を選んだようです。
もしこの時に現場を目撃されていなければ、現場を人目のつかない産業廃棄物処理場に移すことなく、彼らの報復は暴行するのみで終わっていたのでしょうか。この事件は、いろいろな要素が重なって殺人という最悪な結果を招いてしまったのでしょう。何か一つでも違えば、結果は違うものになっていたのかもしれません。
事件概要⑤藤本を生き埋めに
小林は、ヤクザとのつながりのある人物を生かしておくのは危険だと判断しました。そこで、仲間の一人に対して現場にあった重機を使い深さ1.5メートル程の穴を掘るよう指示します。そして既に瀕死の状態である藤本を穴の横に無理やり立たせ、運転手役で藤本らに同行していた会社員に向かって藤本を警棒で殴るよう強要します。
その後、涙ながら指示通りに殴った会社員に、さらに藤本を穴に突き落とすよう命令します。ここまで執拗に命令するのは、殺人に加担させることで後に通報されるのを防ぐ目的があったためでした。殺されることを恐れた会社員は藤本を穴に突き落とし、重機を使い生き埋めにされました。彼の死因は窒息死だったそうです。
事件概要⑥岩上も生き埋めに
藤本を生き埋めにした後、一同は一度現場を離れることにしました。暴行をうけ、かなり憔悴した状態にあった岩上を監禁し、小林はこの後の事を知り合いの元ヤクザである岡田浩次に電話でアドバイスを求めました。被害者らのヤクザとの交際は嘘だったそうですが、皮肉なことに小林には本当にヤクザの知り合いがいたようです。
電話を受けた岡田は一度は岩上を連れてくるように促しますが、瀕死の状態であるという事を聞き「埋めればいい」とのアドバイスをします。岡田からのアドバイスを受けた小林は仲間の一人を連れて現場に戻り、岩上を生き埋めにしました。彼の死因も窒息死だったそうです。
事件概要⑦生き残った会社員が警察に出頭し事件発覚
会社員は、警察には絶対に言わないことを約束させられ、その後に無事解放されました。しかし、いつまた命を狙われるとも限りません。このまま黙っておくのは得策でないと判断したのか、6月22日に東大阪市の布施警察署に届け出てしまいました。こうして事件が明るみになります。
元々この件には関係のない筈でしたが、運転手役として駆り出されてしまったばっかりにこのような恐ろしい体験をしたどころか、友を手にかけた後悔は一生続くものです。彼にとってトラウマになりかねない、自分の命を狙われる以上に恐ろしい体験だったことでしょう。
小林竜司が逮捕されるまで!一度は逃亡するもその後の行動とは?
遂に犯行が知られてしまった訳ですが、彼は直ぐに自首することはなく、一度は逃亡を図りました。そこから3日後に自ら出頭するのですが、その間どんな行動をとり、自首に至ったのでしょうか。通報から逮捕に至るまでの詳細の情報を詳しくご説明いたします。
小林竜司の逃走①指名手配 される
会社員の届け出により、小林は警察に追われることになりました。捕まることを恐れ、当初は逃走を図ったそうです。このことを受けて警察は彼を指名手配しました。残念ながら逃走している間の事については明らかになっていませんが、後の発言からまだこの事件を終わらせるつもりは無かった事が窺えます。
取り返しのつかない事態を引き起こしてしまい、後には引けなくなったのでしょう。逃走している数日間の間、彼はどのような気持ちで過ごしていたのでしょうか。若い二つの命を手にかけてしまったことを、既に悔いていたのでしょうか。逃走している間にどのような気持ちの変化があったのかは不明ですが、どうやら母親と関係がありそうです。
小林竜司の逃走②母親へ連絡
届け出があった6月22日の時点では逃亡していましたが、翌日の6月23日になったら母に対して「俺が二人殺した。逃げた1人を殺してから自首する。」と電話をしています。この電話を受け、母は自首をするように促します。息子の突然の告白に、彼女はきっと困惑したことでしょう。
逃げた一人というのは、おそらく会社員の事と予想できます。当初は最初の事件とは関わっていないことから、暴行のターゲットにはしないつもりだったようです。しかし、警察に通報されて気持ちが変わってしまったのでしょうか。それとも2人も殺めて感覚が麻痺してしまったのでしょうか
小林竜司の逃走③母親とともに自首
6月25日の午前1時ごろ、母親らと共に玉野警察署に出頭します。付き添いは小林たっての願いでした。警察へ向かう道中には、母に対して感謝するとともに「死刑にならんかったら出てこれるから。長生きしてな。」とも言っています。この発言からも、彼の母を思う気持ちが表れています。
しかし、残念なことに彼の願いは叶う事はありませんでした。それどころか、自分のした行いのせいで普通以上の苦労をさせてしまう事になるというのは、この時は知らなかったのでしょう。生涯大切にしてきた母への思いもむなしく、その気持ちとは裏腹に自分の犯した罪が彼の愛する母の首を絞めることになるのでした。
小林竜司が起こした「東大阪集団暴行殺人事件」の裁判と判決
こうして事件は収束を迎えることとなりました。捕まった犯人たちの判決はどのようになったのでしょうか?この判決に、世間では重すぎるという意見もあります。しかし、その殺害の方法は残虐なものであり、この判決を妥当ととらえる人も少なくありません。では、その詳しい内容をご紹介していきましょう。
小林竜司たちへの判決①小林竜司は死刑
発端となる出来事には関わっておらず、被害者とも直接の面識はありませんでしたが、事件に関与した人間の中で一番重い死刑判決を受けてしまいます。その理由としては、実際に被害者の暴行及び殺害を現場で指揮したのが小林であったからです。人の命を奪うという決断をした責任は彼の想像以上に重かったようです。
彼の裁判中の態度は礼儀正しく真面目なものでした。仲間の罪が不当に重くなってしまったりしないように、仲間の裁判では積極的に事件の内容を話しました。大切な友達のために自分を犠牲にしてでも守る、という姿勢が感じられます。普通であれば、自分の裁判で不利になってしまうからと口をつぐむ者が多いのにもかかわらずです。
小林竜司たちへの判決②広畑智規は無期懲役
次に重い判決を下されたのは広畑智規です。暴行を直接行った訳では無いものの、主体となって犯行の計画を立てたことから主犯格とみなされ、無期懲役を言い渡されました。彼としてはそこまで深く考えての発言じゃなかったのかもしれませんが、結果的に人の命を奪う事になってしまった責任は重大なものです。
また、事件後の態度にしても、仲間に対して自分の事は話さないよう念を押すなど、小林と違い往生際の悪さが窺えます。暴行に加担しなかったのも、彼なりの罪を逃れるための行為だったのかもしれませんが、実行しなかったからと言って罪を逃れることはできないようです。
小林竜司たちへの判決③徳満優多は懲役11年
そして、徳満優多には懲役11年が言い渡されます。そもそもの発端となる出来事は彼が起こしたものですが、被害者の殺害に関しては小林の指示のもと行ったことが認められたため、殺人罪にも問われていないそうです。彼も藤本の恋人にメールを送った時点では、その行動がまさかこんな顛末を迎えるとは予想できなかったことでしょう。
些細な恋愛の問題がここまで大事になってしまうとは、暴力の連鎖というのは恐ろしいものです。やられたからと言って、やり返すのは正義ではないという事を身をもって経験した彼は、これからどのような人生を過ごすのでしょうか。犯した罪を悔い改めて、手にかけた二人に対し償うためにも、更生して真っ当に生きていって欲しいものです。