小悪魔な素質をもった彼女に放浪されるのも、男性らは楽しんでいたのかも…?そんな彼女のモテエピソードは一体どんな内容なのでしょうか?
加賀まりこの若い頃①姉の大学に潜入し男子にあんみつを奢らせる
彼女の小悪魔っぷりは、すでに小学生の頃に顕現していたのだとか。かなり若い頃から自分の魅力に気付いていた模様。お姉様の通う明治大学に忍び込み、男子学生らに“あんみつ”を奢ってもらっていたのだそうです。
甘味一つで美少女とお近づきになれるのなら安い物。ちなみに彼女は寺山さんに声を掛けられた時も“おしるこ”をご馳走になったそうです。若い頃、甘い物に目が無かったのかも…?
加賀まりこの若い頃②川端康成を手玉にとる
数々の大著を残した文豪・川端康成も、若い頃の加賀まりこに夢中だった模様。なんと彼女の為に、映画の原稿を書いてくれた事があったと告白しました。
朝ご飯を共にするなど川端さんが彼女を可愛がっていたと分かるエピソードを話しましたが、若い頃の彼女にとって川端さんは高齢だった為、恋愛感情を抱いたことは無かった模様。
加賀まりこの若い頃③元彼石坂浩二を友人に紹介
彼女の先輩女優・浅丘ルリ子は、1971年に俳優・石坂浩二と結婚しました。2人の仲を取り持ったのは加賀まりこでしたが、実は石坂さんは加賀まりこの元彼でした。
「石坂さんがルリ子さんの大ファンで、デートしたいと言っている」と伝え、二人の仲を取り持ちました。元彼が別の女性を…なんて少し複雑な気もしますが、未練は無かったのでしょう。
加賀まりこの若い頃④布施明とも熱愛の噂
1972年に彼女は、未婚でありながら子どもを出産します。この頃交際していた布施明が、当然子どもの父親か…となりますが、お互い公言していないので真相は不明。
子どもを授かりシングルマザーとして育てていく事を決意しましたが、残念なことに生まれて7時間後に亡くなってしまったようです。
人気俳優らとの浮名を流した加賀まりこ…最近で言うと人気女優・広瀬すずも数々の芸能人との浮名を流しています。広瀬すずの歴代彼氏についての記事は、こちらからご覧いただけます。
Contents
加賀まりこは60年代のファッションリーダーだった
持ち前の可愛さもさることながら、加賀まりこはおしゃれな服を着こなす60年代のファッションリーダーでもありました。猫のようにまんまるな目を強調するメイクも、小悪魔要素を強調していますね。
加賀まりこが若い頃に流行ったファッション①ミニスカ
ミニスカが日本で初めて流行したのは、ちょうど若い頃の彼女の全盛期とも言える60年代でした。ファッションリーダーの彼女はもちろん、流行であるミニスカを履きこなしていました。
加賀まりこが若い頃に流行ったファッション②派手めなカラー
60年代は日本でもビートルズが流行っていた、と言うと分かりやすいでしょうか?カラフルで個性的な服が流行した時代でもあり、ビビットカラーの服も増えておしゃれの幅が広がった年代でもあります。
加賀まりこはファッション誌に引っ張りだこ
ミニスカもビビットカラーも良く似合った彼女は、雑誌に引っ張りだこ。読者は彼女に憧れ、そして彼女をファッションリーダーとして確立していったのです。
加賀まりこの名言
長く生きれば生きる程、困難にぶつかったり人との関りの大切さを実感しますよね。75歳の彼女がこれまでの残してきた重みのある名言を、ぜひ人生の参考にしてみては如何でしょうか?
名言①悩むって大事な事
誰だって「自分がどう在りたいか」なんてすぐに決められません。
でも悩むって大事な事。
人生の中で答えが出ない疑問にぶつかる事は何度もあるだろうし、誰もが経験するでしょう。答えのない疑問に焦る時間もあるでしょうが、すぐに答えを出す必要って無いんです。
生きていくうちに自分の中で、自分だけの答えをきっと見つけていく…その為には、度々その疑問を振り返ることが必要なのです。
名言②世間体を物差しにしない
世間体っていうものを、物差しにしてどうするの。
というのが母の教えだったのです。
お父様リスペクトの彼女ですが、お母様の影響も強く残っていた事がこの言葉から分かります。人と多く関わると、自分の意志が迷子になる瞬間って誰もが経験しますよね。
周りの物差しで自分をはかって、自分が自分でなくなってしまうような感覚。芸能界で活動を始めた彼女にも、心の中でこんな葛藤があったと伺えます。
名言③つまらない事にこだわらない
プライドだとか恥ずかしいとか、そんなつまらない事にこだわらないで、仕事も恋愛も、自分からどんどん扉を叩くの。
そうすれば、もっともっと新しい扉が、開いてくるわよ。
自分が前に進む為に一番大切にしなければならないモノは一体何なのか?取捨選択の名言ですね。彼女が新しいドアを開き突き進んできた過程で、自分の中のちっぽけなプライドや羞恥心を捨てる事もあったでしょう。
“新しい扉”を開いていく思いの前では、握りしめていたプライドなんてちっぽけな存在なのです。
名言④戦争もいらないし、原発もいらない
生きて行く上で、たまたま私たちはこの地球に、つかの間お邪魔しているだけじゃない?
着飾ったり、気負わなくてもいいと思う。
だから戦争もいらないし、原発もいらない。
ちょうど太平洋戦争で日本各地に爆撃が落とされる中…彼女は防空壕の中で産声を上げました。自我を持ち始める年齢には終戦を迎えていたでしょうが、両親からじかに聞く戦争の話は重く苦しい内容だったのでしょう。
“地球につかの間お邪魔しているだけ”というのは、自分の生に感謝しているのだと読み取れます。いがみ合い先人からの教えを忘れ、再び過去の過ちを繰り返さないようにしたいものです。
名言⑤人が自分に何かしてくれると思ったら大間違い
恩きせがましくものを言ったり、人が自分に何かしてくれると思ったら大間違いよ
自分で道を切り開いてきた彼女にとって、“他力本願”の考えは相いれない生き方なのでしょう。また優しさや思いやりとは、人に見返りを求めてするアクションではないと考えられます。
例えばモテ街道を歩いてきた彼女ですから、好意を寄せる男性から贈り物や食事などのアクションを受けた事は数知れないはず。しかし「御馳走したのになぜ付き合ってくれないんだ」と言うのは確かにお門違いな気がします。
モテる事を「良かった」と感じていなさそうな彼女は、そういった見返りを求める人たちのアクションに疲れてしまったのかもしれませんね。誠実な方とお付き合いをして来た事が伺えます。
加賀まりこの現在は?小悪魔は誰の手に?【最新情報】
若い頃の彼女…もとい、こんなにも可愛らしい小悪魔に好意を寄せられたら、心が揺れてしまうのは必須でしょう。彼女が好意を寄せた男性は、一体誰なのか?
演出家・清弘誠と事実婚
彼女の心を射止めたのは、『渡る世間は鬼ばかり』などの人気ドラマをプロデュースした元TBSの演出家・清弘誠(きよひろ まこと)でした。清弘さんは加賀まりこと籍は入れていませんが、事実婚の関係にあります。
5年越しのアプローチで現在の関係に
2人が親密になるキッカケとなったのは、共通の趣味である『麻雀』でした。彼女の5年にも渡る熱烈なアプローチを受け、現在の関係となったようです。
今では事実婚17年目!?
2017年の時に「事実婚15年」と言っていましたから、2010年の時には関係が進展する前だったのかもしれませんね。現在連れ添って17年目、一緒に入るお墓も用意しているそうです。
彼女と同じく若い頃から美人だったと知られるキャスター・笛吹雅子については、こちらの記事でご紹介しています。
放送中のドラマ『Heaven?〜ご苦楽レストラン〜』でも美しき女優役!
加賀まりこは現在、9月10日に最終回を迎える『Heaven?〜ご苦楽レストラン〜』に出演中です。舞台となるレストランの常連客、そして伝説の女優役を務める彼女の、変わらずお美しいお姿を見ることが出来ます。
若い頃はかわいいという表現がぴったりでしたが、年齢を重ねる程に艶やかさは増していく一方ですね。
加賀まりこの過去の出演作品
女優歴も長く人気でもあったため、彼女は数々の映画やドラマへの出演歴があります。彼女の若い頃の姿を楽しめる映画作品を、一部をご紹介!
加賀まりこの若い頃が見られる映画
- 1964年 乾いた花
- 1964年 月曜日のユカ
- 1965年 美しさと哀しみと
- 1965年 雪国
- 1968年 不信のとき
- 1981年 泥の河
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、『美しさと哀しみ』『雪国』は仲の良かった川端康成の小説の実写化です。全盛期ともいえる可愛さ満点の彼女を、ぜひご覧になってみては如何でしょうか?
加賀まりこの若い頃がかわいい!小悪魔エピソード納得の美しさ
若い頃の加賀まりこの画像を添えて、彼女の生い立ちや若い頃からの恋愛遍歴、そして魅力についてご紹介させていただきました。こんな素敵な女性であれば、小悪魔要素もプラスにしか働きませんね。
女優としての彼女もまだ現役ですから、これからもドラマに彩りを添えてくれることを楽しみにしましょう。
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