樹木希林とは
若い頃からの老人役がとてもハマって人気を博した樹木希林さんは、2018年9月15日に惜しまれながら亡くなってしまった素敵な女優さんです。2019年8月に公開された映画「命みじかし、恋せよ乙女」が世界デビューと同時に遺作になってしまった事が残念です。そんな樹木希林さんの若い頃のかわいい画像やエピソードを紹介していきます。
樹木希林のプロフィール
1943年1月15日に現在は東京都千代田区と表記される東京府東京市神田区に誕生し、若い頃は薬剤師を目指すも大学受験前にスキーで足を怪我した事で進路を演劇に変え、文学座の第一期生として「悠木千帆」の芸名で女優の道を歩みます。映画やテレビに出演し若い頃から老人役で人気になり日本を代表する女優となりました。
樹木希林の経歴
文学座では杉村春子さんの付き人を務め正団員となり文学座退団後に、1964年のテレビドラマ・森繁久彌さん主演「七人の孫」で一躍有名になりました。「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」で人気が更に加熱し、芸名を「樹木希林」に変更してからも「ムー一族」で共演した郷ひろみさんとデュエットした「林檎殺人事件」などの歌で大ヒットしました。
1978年のフジカラーや翌年からのピップエレキバンのCMでさらに日本中に人気が沸騰し、数え切れないほどのテレビドラマや映画に出演しました。2度目の夫・内田裕也さんと1ヶ月半で別居し晩年まで同居しなかった事も有名エピソードですね。2013年から1年半かけ全身の癌を克服したと公表されましたが、最期は家族に看取られご自宅で亡くなりました。
樹木希林の若い頃がかわいい!!当時の画像は?
若い頃の当時とは思えないほど、まるで今普通に見かけるようなメッシュの入れ方がおしゃれでかわいい樹木希林さんや、初期の主演作品でに時代を感じさせる画像など、樹木希林さんのかわいいおばあちゃん役しか知らない若い世代の方には新鮮に映るのではないでしょうか。今はかわいいアイドルもこうやって歳を重ねていけたら素敵ですね。
樹木希林の若い頃も内田裕也の劣らずファンキー?そのエピソードとは?
夫であるロケンロラー・内田裕也さんの破天荒かつ無起動ぶりは若い頃からいくつものエピソードが広く知られていますがそれはまたいつかの機会にするとして、樹木希林さんも若い頃は裕也さんに負けず劣らずファンキーな行動が目立った存在でした。樹木希林さんの若い頃を含めていくつかの破天荒なエピソードを当時の画像を参考に紹介します。
樹木希林の若い頃のエピソード①芸名をオークションにかける
1977年に黒柳徹子さんのオークション番組で「売るものがない」との理由からなんと”芸名・悠木千帆”を売りに出し、偶然に合わせた東京・青山のブティック店主が2万200円で落札しその全額をチャリティーに寄付しました。父親が芸能界を勇気を持って進むよう付けてくれた15年も使った芸名が2万200円か、としんみりするエピソードもありました。