浅間山荘事件の犯人・人質の現在は?事件の発端と日本の闇

吉野雅邦も、現在千葉県にて服役中です。刑務所内では「あさまさん」と呼ばれていて、1998年当時は高齢者、体に障害を持つ受刑者たちを集めた刑務所内の工場で、工場内での受刑者の実質的な責任者である「計算夫」という役割についていました。

浅間山荘事件の犯人は現在は?逮捕後を調査④

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浅間山荘事件犯人の連合赤軍5人のうちの2人は兄弟です。加藤 倫教(かとう みちのり、1952年 – )は日本の左翼運動家です。元連合赤軍メンバーであり、弟の加藤元久も犯人のうちの1人です。倫教の兄が山岳ベース事件で殺害されています。

主犯・加藤倫教&元久はもう赤軍活動はしていない模様

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1983年2月に、懲役13年の刑が決まり、三重刑務所で服役します。そして1987年1月に仮釈放されています。現在は実家の農業を継ぎ、また野生動物の保護、自然環境保護の団体でも理事を務めています。弟・元久は事件時16歳であるため保護処分になっています。

浅間山荘事件の人質の現在は闇の中?公にできない理由

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浅間山荘事件で人質になった牟田泰子さんは当時無事に保護され、現在も生存しています。しかし、人質であったため当時の内部状況を一番よく知っているはずなのに多くを語りません。それはなぜなのでしょうか。

人質となった牟田泰子さんは現在も夫と暮らす

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浅間山荘事件では牟田泰子さんという方が人質となりました。事件となった浅間山荘の管理人業務を夫の牟田郁夫さんと行っていました。事件の際、夫の牟田郁夫さんは宿泊客をスケート場に案内していたため、難を逃れ人質とはなりませんでした。現在も夫婦でひっそりと暮らしているそうです。

過去に横領をした疑惑がある泰子さん

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人質となった牟田泰子さんは現在も事件当時の詳しい状況をマスコミには語ろうとしません。泰子さん自身がマスコミに不信感を抱いているということが理由になっていますが、過去の横領についてを隠すために、という疑惑がかけられています。警察と横領を隠しておく代わりに事件の詳細を語らないということを約束しているのではと言われています。

真相は闇の中・・・不可解な事件はこちらも。

浅間山荘事件の舞台となった浅間山荘は現在も残っているのか

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浅間山荘事件は長野県・軽井沢で発生しました。その建物は河合楽器の保養所となっておりましたが、今はどうなっているのでしょうか。建物は現在も残っているのでしょうか?現在の浅間山荘を調べました。

現在は中国の団体がオーナーに

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事件後10年ほどは、浅間山荘は観光名所となっていました。観光バスのコースにもなっていたほどです。その後、大部分を取り壊して建て直され、アートギャラリーとなりました。その後、現在は中国企業の所有となっており、香港の福祉団体がオーナーとなっています。

青少年更生施設として使われている

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浅間山荘は事件後、観光地と化し、その後現在は中国企業の所有となっており、香港の福祉団体がオーナーです。11年前から青少年更生施設となり、犯罪を行った人や非行のある少年を一定の期間保護して、社会復帰を促し、再犯を防止するという重要な役割を担っています。

浅間山荘に行くには?現在は地図から消えた幻の事件現場

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浅間山荘自体が残っているとなると、行ってみたくなる方も多いと思います。日本を代表する大事件の舞台となっている浅間山荘は長野県の軽井沢南にあります。地図には「浅間山荘」という名前は表記されていません。本当にその場にあるのでしょうか?

浅間山荘は高級別荘地に建っている

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浅間山荘は、長野県北佐久郡軽井沢町にあるレイクニュータウン内にあり、軽井沢の南に位置し、高級別荘地内となります。特に看板が出ているわけではありません。レイクニュータウンとは入門ゲートがあり、管理されている私有地となります。

別荘地前の道路はとても狭く危険

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別荘地の道はとても狭いです。浅間山荘の前の道は山道になっていますが、コンパクトカーでも走っていて恐怖を覚えるような狭くて曲がりくねった、登り坂下り坂が多い道です。事件当時は防弾警備車や大型車が山道を登っていますが、映像で見ると信じられないくらいの狭さです。

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