浅間山荘事件の犯人・人質の現在は?事件の発端と日本の闇

1972年、日本の歴史に名を残す重大事件が発生しました。その名も浅間山荘事件。警察との銃撃戦・緊張状態が200時間以上も続いたこの事件は、なぜ起きたのでしょうか?犯人や人質の現在と、事件の舞台となった浅間山荘の現在に迫ります。

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ていねいに書きます。
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浅間山荘事件とは?当時の驚異の視聴率

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浅間山荘事件をご存知でしょうか?平成生まれの方には聞いたことはあっても、どんな事件だったのかわからない人も多いと思います。一体、どんな背景でどんなことが起こった事件だったのでしょうか。

連合赤軍が起こした人質立てこもり銃撃戦事件

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浅間山荘事件は大変凄惨な事件です。長野県で19日間も続いた立てこもり事件です。犯人グループは「連合赤軍」と名乗る団体であり、警察機動隊の人質救出作戦により事件は解決します。しかし、警察2名、一般人1名の死者を出し、警察の中に重軽傷者27名(うち1名は報道関係者)を出すいたましい事件です。

日本最長記録の人質事件

浅間山荘事件は連合赤軍が人質をとり立てこもる事件です。メディアでも何度もとりあげられたあの鉄球で建物を破壊するという策をとった、機動部隊による突入によって人質は救出され、5名の犯人は逮捕されます。この事件での人質の拘束時間は219時間(3日間以上)であり、警察に囲まれながらの人質事件としては日本で最長記録です。

日本で起きた殺人事件に関する記事はこちら

当時のテレビ中継は89.7%に到達

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2月の氷点下という極寒の環境の中、犯人グループと警察との攻防や、負傷し血で赤く染まった警察官が運ばれる姿など、インパクトのある映像が当時テレビで生放送されました。民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率89.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)に達しました。今でも破られることのない、報道特別番組の視聴率において日本一となっています。

浅間山荘事件は映画にもなった

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事件当時、テレビで生放送されとても注目された浅間山荘事件ですが、実は映画にもなっています。浅間山荘において、連合赤軍が人質を取り立てこもって、銃撃戦になり、警察機動隊は救出作戦を行うということが、描かれている映画になっています。

メディア化された浅間山荘事件

浅間山荘事件を描いた映画は、「あさま山荘への道程」のほかに「光の雨」という映画と、「突入せよ!あさま山荘事件」という2作があります。どれも浅間山荘事件の、人質をとり立てこもる連合赤軍に対し、警察機動隊の人質救出作戦が開始されるという内容を描いています。

「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」

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若松考二監督によるこの「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)は監督が聞き取り調査を行ってわかったことをに基づいた「実録」となっています。他2作とはまた違った目線で描かれている内容になっています。

全く異なる視点から

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この「あさま山荘への道程」は「なぜ」がキーワードとなり、連合赤軍の主張や、なぜこのような事態に至ったのか、ということが時代背景とともに描かれています。他の2作と見比べてみるのもよいでしょう。

描かれる「総括」の実態

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「あさま山荘への道程」では、「総括」が描かれています。まるで軍隊ごっこのような軍事訓練の様子や、共産主義思想を身に着けるための学習の様子は、監督が聞き取り調査をしたことに基づいた実録です。「なぜそうなったのか」ということをこの映画を通して考えていくことも大切ですね。

山荘内での5人での言動

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この映画では、犯人5名の、事件当時の山荘内での言動も描かれています。犯人の言い分では、山荘には立てこもっているのではなく、借用しているだけであり、管理人は人質でなく保護者だとしています。そんな言い分が通用するはずのない事件ではありますが、彼らの言動が「実録」として映画で描かれているところも見どころです。

右翼と左翼の違いとは?

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浅間山荘事件は国や政治に対しての反感や思いが背景にある事件です。政治に関する言葉として右翼や左翼という言葉は聞いたことがありますか?連合赤軍は新左翼とよばれる団体ですが、いったいどんな思想を持つのでしょうか。

「右翼」は保守、「左翼」は革新

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「右翼」は保守的であり、国粋主義的な思想傾向を持つ、またはその立場に立つ人や団体のことを指します。一方「左翼」は急進的・革命的な政治勢力や人物、社会主義または共産主義的傾向の人や団体を指します。

浅間山荘事件の犯人たちも「左翼」

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浅間山荘事件を起こした犯人グループたちの思想も「左翼」にあたります。左翼は革命的で社会主義的な思想を持ちますが、具体的に「左翼」とはどういったものなのでしょうか。「左翼」について詳しく見ていきましょう。

「左翼」と「右翼」の語源

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「左翼」と「右翼」の語源はフランス革命にあります。「左翼」という表現は、フランス革命の「(憲法制定)国民議会」(1789年7月9日~1791年9月30日)における会議において、国王の法律拒否権があったほうがよいのかどうか、一院制がいいのか、二院制がいいのかを話し合ったときに生まれたものです。

議長席から見て左?右?

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フランス革命時の国民会議において議長席から見て右側に「国王拒否権あり・二院制(貴族院あり)」を主張している保守穏健派がそして左側に「国王拒否権なし・一院制(貴族院なし)」を主張する共和革新派が座っていたことが「右翼」「左翼」の始まりです。「左翼」という用語は通常「平等な社会を目指し社会変革を支持する人々」を指すのです。

「右翼」は何を望むのか

政治において「右翼」は、「特別な階級にいる人々の権利を維持し、社会の制度を支持する人々」や、「身分や名誉などを重んじ伝統的な社会格差の構造をそのままにしていこうという人々」を指すとされており、保守的で、愛国心を大切にし、国粋主義な思想を含むとされます。

「左翼」は何を望むのか

では、「左翼」と呼ばれる人たちは何を望むのでしょう。「左翼」と呼ばれる団体には、大小なりとも根底に専制政治に対してや、また弱者がしりたげられる資本主義に対する疑いの思考を持っています。それを正し、よりよい社会にするため、平等や労働条件の改善、社会保障や福祉の活性化、そして平和を追求するのです。

連合赤軍という新左翼

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連合赤軍は、1971年から2年間活動した日本のテロ組織であり、新左翼組織のひとつです。共産主義者同盟の赤軍派(赤軍派)と日本共産党(革命左派)の神奈川県委員会(京浜安保共闘)が合流して結成されました。浅間山荘事件のほかに、山岳ベース事件、リンチ殺人を起こしました。

日本の新左翼

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欧米などで既存の伝統的な社会主義・共産主義勢力を「既成左翼」と呼んで批判する、「新左翼」(ニューレフト)運動が始まりました。日本でも1955年に暴力や革命の放棄を表明した日本共産党や日本社会党などに対し、より過激な革命や暴力革命を掲げ、直接的実力闘争を重視した運動が、特に大学生などを中心に台頭した過去があります。

浅間山荘事件の犯人は現在は?逮捕後を調査①

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浅間山荘事件犯人の連合赤軍5人のうちの1人、坂口 弘(さかぐち ひろし1946年11月12日 – )は、日本の新左翼活動家であり、連合赤軍のナンバー3である元連合赤軍中央委員会書記長でした。

主犯・坂口弘は現在も収監中

主犯の坂口弘は死刑が確定していますが、今現在も東京拘置所に収監されています。事件から21年後の1993年2月19日、最高裁で死刑が確定します。死刑が確定しているのにもかかわらず、主犯の坂口の死刑が未執行であるのは、共犯者の坂東國男が国外へ逃亡し、裁判が終了していないからだとされています。

浅間山荘事件の犯人は現在は?逮捕後を調査②

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浅間山荘事件犯人の連合赤軍5人のうちの1人、坂東 國男(ばんどう くにお1947年1月10日 – )は、日本の新左翼活動家でありテロリストです。共産主義者同盟の赤軍派兵士を経て、連合赤軍に入り、幹部を務めました。

主犯・坂東國男はなんと釈放されていた

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浅間山荘事件から3年後、日本赤軍がクアラルンプールのアメリカ大使館を占拠し、投獄中である連合赤軍の釈放を要求するという事件が起きました。日本政府超法規的措置として条件を飲み、5人のメンバーを釈放しました。そのうちの一人が坂東国男という男です。坂東国男はそのまま海外へ逃亡し、日本赤軍と合流しています。

浅間山荘事件の犯人は現在は?逮捕後を調査③

浅間山荘事件犯人の連合赤軍5人のうちの1人、吉野 雅邦(よしの まさくに1948年3月27日 – )は、元新左翼運動家で連合赤軍の元幹部です。無期懲役の判決を受け、現在も服役中です。

主犯・吉野雅邦も服役中

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吉野雅邦も、現在千葉県にて服役中です。刑務所内では「あさまさん」と呼ばれていて、1998年当時は高齢者、体に障害を持つ受刑者たちを集めた刑務所内の工場で、工場内での受刑者の実質的な責任者である「計算夫」という役割についていました。

浅間山荘事件の犯人は現在は?逮捕後を調査④

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浅間山荘事件犯人の連合赤軍5人のうちの2人は兄弟です。加藤 倫教(かとう みちのり、1952年 – )は日本の左翼運動家です。元連合赤軍メンバーであり、弟の加藤元久も犯人のうちの1人です。倫教の兄が山岳ベース事件で殺害されています。

主犯・加藤倫教&元久はもう赤軍活動はしていない模様

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1983年2月に、懲役13年の刑が決まり、三重刑務所で服役します。そして1987年1月に仮釈放されています。現在は実家の農業を継ぎ、また野生動物の保護、自然環境保護の団体でも理事を務めています。弟・元久は事件時16歳であるため保護処分になっています。

浅間山荘事件の人質の現在は闇の中?公にできない理由

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浅間山荘事件で人質になった牟田泰子さんは当時無事に保護され、現在も生存しています。しかし、人質であったため当時の内部状況を一番よく知っているはずなのに多くを語りません。それはなぜなのでしょうか。

人質となった牟田泰子さんは現在も夫と暮らす

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浅間山荘事件では牟田泰子さんという方が人質となりました。事件となった浅間山荘の管理人業務を夫の牟田郁夫さんと行っていました。事件の際、夫の牟田郁夫さんは宿泊客をスケート場に案内していたため、難を逃れ人質とはなりませんでした。現在も夫婦でひっそりと暮らしているそうです。

過去に横領をした疑惑がある泰子さん

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人質となった牟田泰子さんは現在も事件当時の詳しい状況をマスコミには語ろうとしません。泰子さん自身がマスコミに不信感を抱いているということが理由になっていますが、過去の横領についてを隠すために、という疑惑がかけられています。警察と横領を隠しておく代わりに事件の詳細を語らないということを約束しているのではと言われています。

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