漱石が『吾輩は猫である』によって文名をあげると、『国民新聞』や『日本』といった会社から寄稿のオファーが、また『読売新聞』からは入社の誘いがありました。創作に専念したい漱石は企業に入って縛られることを嫌うタイプです。
なぜ朝日新聞なのか
大阪朝日新聞社の鳥居素川(そせん)もまた、漱石に興味を示しました。しかし彼は直接会うことはせず坂元雪鳥(漱石の教え子)を通じて東京朝日新聞の池辺三山と条件交渉の末、東京朝日新聞入社を決めました。
朝日新聞社に入社するきっかけとなる気になる条件とは
月俸200円、累進式。(現在の月収300万円相当、昇給あり)むやみに解雇しないことを保証する。賞与あり。漱石は毎年長編2編を朝日新聞に書くこと、などです。
留学による教職義務年を終え、まさに「一生の道の岐れ目」
教師としての収入と著作の印税によって生計を立てていた漱石は文学の教授就任の誘いを受け、思い悩んだ結果、教職を辞して新聞社所属の職業作家となりました。
夏目漱石による珠玉の名言を紹介!
夏目漱石の名言①「死んだ気で生きて行こう」
『こゝろ』より。
夏目漱石の名言②「自らをすてて神に走る者は神の奴隷なり」
断片メモより。(明治38~39年頃に書きつけたもの)
夏目漱石の名言③「真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ」
『虞美人草』(ぐびじんそう)より。