斎藤杏花さんの現在は?寺内樺風との性的関係、洗脳の考察やその後は?

斎藤杏花さんは朝露少女誘拐監禁事件の被害者です。犯人の寺内樺風に2年間監禁されたすえに、無事に保護される運びとなりました。この記事は斎藤杏花さんの現在と事件の概要、また二人の性的関係についてや洗脳説などの考察、寺内樺風についてを解説します。

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彼にはもう八十四日間も一匹の魚も釣れない日続いていた。 釣れない時は、魚が考える時間を与えてくれたと思えばいい。

斎藤杏花さんとは?

 

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昔から現在まで、成人が少年少女を毒牙にかけるいたましい犯罪は、依然として尽きることはありません。そんな中でも、今から数年前に起きたあるショッキングな事件について述べていきます。まずおおまかに、事件の概要をご説明していきます。ここでは、被害者の少女はどのような人で、どんな目に遭ってしまったかについても触れていきます。

朝露少女誘拐監禁事件の被害者

埼玉県の朝霞市に在住だった方で名前は斎藤杏花(さいとうあんな)さんと言います。当時、中学1年生である男によって連れ去られました。そこから信じられないことにおおよそ2年間という途方もない間囚われ続けていました。結論から言うと、無事保護されて、自宅へ帰宅に至りました。その頃にはすでに学年でいうと中学3年生になっていました。

朝露少女誘拐監禁事件の概要

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ここではさらに詳しく、時系列を交えながら事件の詳細を紐解いていきます。いつ行方不明になり、その後どのようなことが起こったかについてまず述べていきます。そして、彼女は最終的にどのような行動を起こし生還を遂げるに至ったかについてご説明していきます。そして、最終的に監禁をしていた加害者はどうなったのでしょうか。

2014年3月10日、斎藤杏花さんが行方不明に

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彼女が中学校から帰る途中で、消息が不明になりました。証言では、その日の17時頃に彼女の母親が自宅へ帰ってきたのですが、彼女の姿がどこにも見当たらなかったそうです。しばらくまったのですが、3時間程度経過した20時20分ごろになっても帰ってこないことに異常を感じて、警察に通報することになりました。

捜査開始9日目、斎藤杏花さんから手紙が届く

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行方知れずになったことを通報したものの、依然として足取りが掴めずにいました。通報から3日後には氏名や特徴だけでなく、顔写真までも公開して、情報提供を募り手かがりを集めようとしました。その後彼女の家に手紙が届きます。元気にしていることや迷惑をかけてることを謝罪し、しばらく帰らないという内容がしるされていました。

事件発生から2年後に斎藤杏花さんが自宅・警察に電話

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いなくなってから、2年が経ちようやく進展が訪れます。東京都の中野区にある中野駅から、被害者は自身の自宅へ電話を掛けました。その時、電話を受けたのは母親で、そのまま彼女に警察へ直接電話するようにと促しました。そして、彼女は警察に電話をして、無事に警察の手によって彼女は保護されることになりました。

血まみれの犯人、寺内樺風を静岡県伊東市で逮捕

衝撃的な展開で犯人が逮捕されることになりました。それは、東京都とは遠く離れた静岡県の伊東市が現場になります。そこで、男が血だらけで歩いているという通報を警察が受けました。警察は、現場に駆け付けると、寺内樺風(てらうちかぶ)という人物いて、警察が捕まえました。そこから、朝霞市の事件まで発覚するに至りました。

なぜ血だらけだったのか

寺内樺風は、他に事件を起こして出血していたわけではありませんでした。実は、自殺をしようとして、自身の首をカッターで切ったのが原因でした。また、首を切ったにも関わらず命には別状はなく、病院で手当てを受けることになりました。自殺と言えば八木山橋という自殺の名所をご存知でしょうか。関心のある方は、こちらの記事もご覧ください。

朝露女子誘拐監禁事件の裁判の行方は?

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