斎藤杏花さんとは?
昔から現在まで、成人が少年少女を毒牙にかけるいたましい犯罪は、依然として尽きることはありません。そんな中でも、今から数年前に起きたあるショッキングな事件について述べていきます。まずおおまかに、事件の概要をご説明していきます。ここでは、被害者の少女はどのような人で、どんな目に遭ってしまったかについても触れていきます。
朝露少女誘拐監禁事件の被害者
埼玉県の朝霞市に在住だった方で名前は斎藤杏花(さいとうあんな)さんと言います。当時、中学1年生である男によって連れ去られました。そこから信じられないことにおおよそ2年間という途方もない間囚われ続けていました。結論から言うと、無事保護されて、自宅へ帰宅に至りました。その頃にはすでに学年でいうと中学3年生になっていました。
朝露少女誘拐監禁事件の概要
ここではさらに詳しく、時系列を交えながら事件の詳細を紐解いていきます。いつ行方不明になり、その後どのようなことが起こったかについてまず述べていきます。そして、彼女は最終的にどのような行動を起こし生還を遂げるに至ったかについてご説明していきます。そして、最終的に監禁をしていた加害者はどうなったのでしょうか。
2014年3月10日、斎藤杏花さんが行方不明に
彼女が中学校から帰る途中で、消息が不明になりました。証言では、その日の17時頃に彼女の母親が自宅へ帰ってきたのですが、彼女の姿がどこにも見当たらなかったそうです。しばらくまったのですが、3時間程度経過した20時20分ごろになっても帰ってこないことに異常を感じて、警察に通報することになりました。
捜査開始9日目、斎藤杏花さんから手紙が届く
行方知れずになったことを通報したものの、依然として足取りが掴めずにいました。通報から3日後には氏名や特徴だけでなく、顔写真までも公開して、情報提供を募り手かがりを集めようとしました。その後彼女の家に手紙が届きます。元気にしていることや迷惑をかけてることを謝罪し、しばらく帰らないという内容がしるされていました。
事件発生から2年後に斎藤杏花さんが自宅・警察に電話
いなくなってから、2年が経ちようやく進展が訪れます。東京都の中野区にある中野駅から、被害者は自身の自宅へ電話を掛けました。その時、電話を受けたのは母親で、そのまま彼女に警察へ直接電話するようにと促しました。そして、彼女は警察に電話をして、無事に警察の手によって彼女は保護されることになりました。
血まみれの犯人、寺内樺風を静岡県伊東市で逮捕
衝撃的な展開で犯人が逮捕されることになりました。それは、東京都とは遠く離れた静岡県の伊東市が現場になります。そこで、男が血だらけで歩いているという通報を警察が受けました。警察は、現場に駆け付けると、寺内樺風(てらうちかぶ)という人物いて、警察が捕まえました。そこから、朝霞市の事件まで発覚するに至りました。
なぜ血だらけだったのか
寺内樺風は、他に事件を起こして出血していたわけではありませんでした。実は、自殺をしようとして、自身の首をカッターで切ったのが原因でした。また、首を切ったにも関わらず命には別状はなく、病院で手当てを受けることになりました。自殺と言えば八木山橋という自殺の名所をご存知でしょうか。関心のある方は、こちらの記事もご覧ください。
朝露女子誘拐監禁事件の裁判の行方は?
逮捕されることになった、寺内樺風は裁判でどんな結末を迎えたでしょうか。また被害者とその家族は加害者に対してあることを望みました。いったい、具体的に何を彼に望んだのでしょうか。そして、その思いは裁判を通して成就されたのかについも述べていきます。加害者は裁判中に反省するどころか珍妙な行動をとり周囲を困惑させました。
犯人、寺内樺風に懲役9年の判決
被害者の家を事前に調べていたり、身辺を嗅ぎまわっていました。少女をさらったことも認めています。行いが明るみに出たところで自殺を試みたりもしている点から、いけないことをしてしまったことを理解してると判断されました。自閉症を有していましたが前述のことを踏まえて、責任能力を持っていると判断され、懲役9年と判決を下されました。
斎藤杏花さんと家族の願いは叶わなかった
反省の色が感じられなかったので、皆さんの怒りさらに増幅し、厳しい判決を願いました。しかしながら、無念なことにその思いは叶わず10年もいかないような短い懲役に処されました。確かに、物理的外傷を負わせていないのも大きかったかもしれません。とは言え、周りの方々はもちろん溜飲がおさまりまるはずがなく、より重い刑を所望しました。
犯人、寺内樺風の裁判中の奇妙な行動とは?
この男は、職業はと聞かれれば「森の妖精」などと答え、ここはどこですかと聞かれれば、答えになってないような不謹慎きわまりない支離滅裂なことを言い出しました。さらに理解不能な言葉を叫びだしたりもしました。これは、心神喪失、もしくは狂ったふりをして減刑を狙ったのではないかという憶測も上がっています。
斎藤杏花さんと家族の現在は?
逮捕や裁判を終えて、その後、被害者とその家族は、どのように過ごしたのでしょうか。日常生活に戻った後の学校生活はどうだったのか、とても精神的にもきつい経験をした彼女は無事に学校を卒業できたのでしょうか。心の傷は心身以上にすぐに回復するものではありません。現在の彼女やその家族についても触れていきます。
斎藤杏花さんは中学を無事卒業していた
中学卒業以降の詳細は分かってはいません。卒業証書に関して彼女はもらうことを躊躇していました。なぜなら、中学時代にあたる大部分の期間を監禁されていたため、学校に出席した日数は著しく少なかったからです。しかし、最終的には受け取りました。また校長は監禁されていた間もずっと、卒業証書を保管し彼女を待っていたそうです。
斎藤杏花さんは現在もPTSDに悩まされる
心的外傷後ストレス障害のことを言います。命などが脅かされるような強い精神的衝動を受けることになったりします。症状は、パニックのような発作や、鬱になったり、睡眠障害や感情を失ったり、現実感の喪失や、離人症になったりします。PTSDは社会生活を営む上で自身の弊害になることもあり、とても自分自身を苦しめます。
我々のできること
きっと、斎藤さんのご家族全員が今も辛い現実と戦っていると思います。我々ができるのは、少しでも穏やかに過ごせるように祈ることではないでしょうか。次に、それほどまでに辛い経験となってしまったこの事件の当事者の様子についてさらに詳しくご説明していきます。
監禁中の斎藤杏花さんと犯人、寺内樺風の関係とは?
実際、監禁されていたにも関わらず、無事帰ってきたことによって、さまざまな憶測が世の中でおきました。通常、男性が女性を監禁する場合、なんらかの性的暴力を与えている可能性は高いです。はたして、性的な関係はあったのでしょうか。また、監禁しているという点からも、殴る蹴るなどの暴力を受けていたのかについても述べていきます。
斎藤杏花さんと寺内樺風は性的関係はあった?
当時の報道では、斎藤杏花さん自身の発言により犯人と性的関係はなかったそうです。しかし、まだ未成年で捜索中のビラなどにより広く顔が知られてしまっていることからの配慮としてそのように報道された可能性もあります。しかし、犯人が逮捕後のコメントから、観察に重きを置いているように見え、性的なものを匂わせる印象はあまりありません。
斎藤杏花さんは暴力を受けていた?
結論から言うと暴力はなかったそうです。見解としては、保護した当時の被害者の様子や調べからも暴力はなかったと言われています。ところで監禁事件と言えばオーストラリアのフリッツル事件をご存知でしょうか。こちらの事件はなんと24年間というとても長い間監禁されていた事件です。ご関心のある方は、こちらの記事も合わせてご覧ください。
斎藤杏花さんは洗脳されていた?
実は逃げようと思えばいつでも逃げれたのではないかともいわれます。ただ多感な時期に監禁された少女は洗脳もされやすくもあります。ということは加害者によって洗脳されてしまっていたため、逃げることができなかったのでないのでしょか。ここでは、その洗脳の疑いについて、具体的な話を交えながら、二人の奇妙な生活について迫っていきます。
斎藤杏花さん洗脳疑惑①食事に「アサガオの種」
アサガオの種は、ドラッグと同じような効果が得られるものがあります。加害者は、チョウセンアサガオや西洋アサガオの種を食事に混ぜて、被害者に食べさせていたとという衝撃の事実も判明してます。加害者はアサガオの種を使って洗脳を試みていたのではないかという憶測が、世間ではあがっています。
斎藤杏花さん洗脳疑惑②寺内樺風による嘘の吹き込み
洗脳の一つに、何度も同じことを言い聞かせたり言わせるることによって、相手をコントロールする手法があります。加害者は被害者に対して家族から見放されてるという内容のことを刷り込まされるように何度も言い聞かせられていました。そして、両親に捨てられて、誰にも必要とされてないといった内容のことを何度も復唱させられていたそうです。
斎藤杏花さんはストックホルム症候群にかかっていた?
みなさまは、ストックホルム症候群というものをご存知でしょうか。まずは、このシンドロームについてご説明をしていきます。そして、被害者がこのシンドロームにかかっていたと思われる、いくつかの根拠をならべていきます。この根拠をみると、確かに監禁中の被害者は、通常の状態ではなかったと言われても、納得が行くかもしれません。