水戸事件とは?企業が雇用していた知的障害者を虐待していた事件
90年代の日本では、まだ知的障害者に風当たりが冷たく、偏見を持つものも少なくありませんでした。そんな中、知的障害者を食い物にし、非道の限りを尽くした事件がありました。
知的障害者を狙った非道な事件「水戸事件」
日頃の生活の世話をしてくれて、仕事も与えると聞けば、そんな企業なんて存在するのか?と疑ってしまいますが、ここでははそれらを全面に押し出し、運営してました。
就業環境が非常に恵まれていることから、保護者としては藁にもすがる思いで送り出していた工場内で、実は日々繰り返し知的障害者のみを狙った残忍な虐待が行われていました。
茨城県水戸市が中心となったため水戸事件と呼ばれることに
事件の渦中となった工場から操作に問題がある警察署、もつれにもつれた裁判所など、連日報道されていました。
更に判決に納得いかなかった支援者らが傷害などで逮捕され、民事裁判で決着するなど、その全てが水戸市での出来事でしたので、そう呼ばれるようになりました。
他の名前で呼ばれることもありますが、裁判までの全てを総括すると水戸事件の方が印象が強くなります。
水戸事件が起こった「有限会社アカス紙器」とは?
事件当時、まだ社会参加できずにいた知的障害者にとって天国のような場所と思われていた企業内で、そのイメージとは裏腹に到底許されることではない行為が行われていたのです。
知的障害者を寮付きの工場で働かせていたアカス紙器
知的障害者の働き口として工場勤務や福祉活動が挙げられますが、これには理由があります。単純作業でかつ環境変化がなく、家庭的な規模で、現場に保護監督者がいることなどが絶対条件だったからです。
その絶対条件に合う企業は全国的に見ても限られており、この会社のように寮を完備し、生活の面倒を見ながら仕事も提供できる企業は知的障害者を子に持つ保護者からはまさに天国のようでした。
障害者雇用に積極的としてアカス紙器は優良企業とされていた
85年の法改正後、知的障害者らを支援する団体が増えましたが、実際に社会へ参加するには、企業努力も必要不可欠でした。
ですが世間の障害者に対する姿勢とはまるで反対で、偏見も持たず、平等に生活できる様に支援している様にも見えたわけです。
他の企業がなかなか実現できなかったのに、率先して障害者雇用に取り組んでいたこの会社は優良企業として見られていました。
当時の障害者は就職が難しいためありがたい存在だった
当時、知的障害者を支援する団体などは多々ありましたが、感情に波があり、自身でコントロール出来ないがために、組織に属して仕事をするには無理がありました。
保護者としては、1人で生きて行くために自立を願っていましたが、日々のサポートが必須であっため、寮を完備し、食事などもサポートしてくれる企業がある事は夢の様な話だったに違いありません。
内部告発は無かったのか?
こうした企業や施設にでも、虐待の事実が確認されれば、匿名でも外部に告発する人物が現れる可能性もあり得ます。ですが社長が詐欺で逮捕され、その後の捜査が行われるまで発覚しませんでした。
虐待を指導範囲内としていた可能性
知的障害者の症状の一つとして、1度にいくつも支持されてもこなせない場合があります。特に難しい説明が入ると、それでパニックになることもあります。
仕事が出来なかったことへの罰として暴力行為があった場合、叩かれたことに対しての明確な理由が想像できるため、「それが虐待だ」と声を上げづらい状況であった可能性があります。
健常者の感覚の麻痺
日頃から叩くなどの暴力行為を行い、更にそれがエスカレートして怪我などをさせてしまったとしても、それが指導のやり方などといい続けられると、自分の中で線引きがうまく出来なくなります。
ただしこの工場内では、その度合いをはるかに超越し、後遺症の残るほどの大怪我を負わせていたりもしていました。その突飛した異常性が伺えます。
自らの立場の保身
自分たちの雇用主が虐待行為を行い、その周囲にいた人物と一緒に笑い者にしたりもしばしばあったようですが、周りで見ていた人がいたということです。
ですが、ここで外部に情報を漏らしても、適切な処理が行われないと、次の標的が自分に変わり、仕事を失うかもしれません。ですが実際に勇気のある告発で歯車が動いたケースもあります。
知的障害者の労働問題
先述で保護者の目線からは有り難い存在だったことを書きましたが、実際、知的障害者の労働にはどのように気をつけなければいけないのでしょうか?ここでは詳細を記述します。
通常の労働はハードルが高い
知的障害者が年齢的に労働できるようになった頃に見られる症状として、日常的な判断に関してはコントロールできますが、非日常的な判断(契約など)を強いられるのは難しく、判断を間違えてしまうことがあります。
その為業務内容は単純作業でかつ反復作業であることが適しており、まさに工場勤務はそれに合っています。それもあり、工場勤務以外だと福祉的就業を行うことが多いです。
生活の問題
仕事をするに当たってもう一つ問題が浮上します。それが「他者とのコミュニケーション」問題です。自閉症を伴う重度の知的障害者は感情のコントロールを行うのが難しいのです。
非常に強いこだわりがあったり、急にパニックに陥ったりもする他、他傷行為を行う場合もあります。その為、常に現場監督者がいないと問題行動を繰り返す恐れがあるのです。
食事の問題
知的障害者の中には、併発疾患を持つ者もおり、その場合、様々な病気を併発していることになります。特に肥満による糖尿病や高脂血症などを引き起こすリスクが高いという特徴があります。
その為、好きなものを好きな時に好きなだけ摂取するのは非常に危険で、それら食事全般を管理できる環境でないといけませんので、企業側が知的障害者を雇用するにも簡単に受け入れられない事実もあります。
就労支援
現代において知的障害者に対する偏見は変わり、それらを支援する取り組みをより拡大するため、支援体制を整える動きは出ていますが、事件当時は取り組みこそありましたがインフラが整っていませんでした。
特に難しい規則やルールに対して判断ができなかったり、意思疎通が難しかったりするので、それを利用して日々、虐待行為を働いていたのが今回の事件でした。
水戸事件が発覚した経緯とは?
知的障害者を多く受け入れ、生活から就労まで全て管理されていたのもあり、虐待の事実はなかなか表沙汰になりませんでした。ではこの残虐な水戸事件はいかにして発覚したのでしょうか?
水戸事件発覚の経緯①1995年に助成金受給の不正が発覚した
歯車が急激に動いたのは、助成金の不正受給でした。通常、従業員に支払われる給料額に応じて助成金額が決まるので、給料を水増しして申請してました。
社長は、知的障害のある従業員の給料を小銭程度しか与えず、逆に助成金は800万円ほど請け負っていたのです。
水戸事件発覚の経緯②不正受給での逮捕後に虐待も発覚
詐欺罪で逮捕された後、その捜査の延長線上で虐待行為があった事がわかり、発覚しました。金銭を横領し、暴力で支配していた赤須社長の本性が遂に暴かれたのです。
ここで問題なのは、積極的に雇用していたはずの知的障害者に対して行われていたことでした。そして目を覆いたくなるような実態が見えてきました。
水戸事件で起きた虐待行為の実態とは?
自らが雇用した知的障害者の従業員に対して、具体的にどのような虐待行為が行われていたのでしょうか?その全貌をまとめました。
水戸事件での虐待行為の実態①殴る蹴るなどの暴行
障害者である従業員に対して日頃から障害者である事を「バカ」などと罵り、角材やバット、椅子などで殴ってました。
もし仕事のミスや問題行動に関して指摘しなければいけないのであれば、口頭注意をするのが基本的な行動になると思います。
ですが、ここでは日頃から言葉で攻め立て、地獄のような卑劣な虐待行為を繰り返していたのです。
拘束し殴打
ある時は階段の下の柱に縛り付け、動けない状態にしてから金属バットで殴り続けそのまま放置していました。
殴られた本人は、毎日こうした暴行にあっていたので、いつこの暴行があったか思い出せなくなっていたそうです。
殴られすぎて耳が変形した
そしてある時は、馬乗りになり、後遺症が残るほど何度も何度も殴られ続け、鼓膜が破れ、耳が変形した事もありました。
これが本当に人間のやる事でしょうか?周りにいた知的障害者が疑問を持っても、外部に伝える術が無かったのです。
水戸事件での虐待行為の実態②拷問のような虐待も行われていた
膝の裏に空き缶や角材などを挟ませてその場に正座をさせ、さらにその上から重石を乗せて長時間その状態にしてました。
何故このようなことをしなければいけないのか?常人には全く理解できないようなまさに拷問とも呼べる虐待行為もありました。
特定の従業員に対しての虐待
ある知的障害のある女性は、業務用冷蔵庫の野菜室に閉じ込めたり、膝を集中的に暴行され半月板を損傷したりしていました。
そしてこの女性は、強姦被害にもあっていたというのです。知的障害者をこき使い、こうした鬼畜行為が毎日行われていました。
水戸事件での虐待行為の実態③満足な食事を与えなかった
知的障害者はあらゆる病気を併発してしまう可能性が大いにあり、食事にも十分に気を使わなければいけません。
ですが日頃から知的障害者を馬鹿にする発言を繰り返し、満足に食事を与えることもせず、「バカだからなんでも食う」などと言い、腐ったバナナを与えていたこともありました。
食事風景ではない地獄絵図
茶碗ではなくボールに白米を盛り、そこにタバスコを大量にふりかけて知的障害のある従業員に食べる様指示しました。
最初は食べずにいましたが、空腹のあまりに食べてしまうと、この様子を見ていた者たちで笑い者にもしていました。
ということはやはりまともな食事が毎日出されていたわけでないということも合わせて理解ができます。
水戸事件での虐待行為の実態④女子社員は強姦被害に遭うことも
知的障害者である女性従業員が暴力を振るわれる以外に性的虐待にあうことも多々ありました。
仕事をしている時間とプライベートの時間を考えると、そのほとんどの時間で虐待行為で苦しんでいたことがわかります。
性的虐待の被害者は10人ほどいた中には、中学を卒業して就職したばかりの少女もいたというのです。
毎日続く卑劣な性的虐待
当時15歳だった少女は、赤須社長の他、彼の友人や出入りの業者などにも毎晩の様に強姦されていました。
あまりの苦痛から、会社を飛び出し、家族の元へ帰っても、事情を知らない身内から戻る様に怒られ、再び悪夢に悩まされます。
勇気を出して逃げ出し、必死に現状を訴えたにも関わらず、信じてもらうことはおろか、激怒され引き戻された彼女は、まさに拷問に耐える毎日でした。
水戸事件での虐待行為の実態⑤虐待が辛くて30キロ歩いて帰った人も
毎日行われる虐待に耐えかねた男の子が工場から徒歩で逃げ帰ったことがありましたが、その距離は実に30キロほどもありました。
自殺しようとした
事情を知らない母親からは戻る様に促されましたが、彼はそれを懸命に拒み続けました。
大好きなミニカーをポケットに詰めて、家の裏の池に飛び込んで死のうとしたり、かなり精神的に追い詰められていました。
ここからも分かる通り、あの場所で生きるより死んだほうが楽なくらい毎日が地獄だっからこその発言でした。
水戸事件を起こした「赤須正夫社長」とはどんな人物?
優良企業と思われていたはずの工場内で起きていたその異常な労働実態が世間に明らかにされ、社会に大きな影響を与えましたが、そもそも赤須社長はどんな人物であったのでしょうか?
赤須正夫社長のプロフィールや顔写真などは公表されていない
事件発覚後の被害者家族の証言からは、働く前は良いことばかり言葉を並べるので、安心して子供を送り出していたそうです。そういうところから周りから信用されていたことはうかがえます。
ですが、個人情報の保護の観点からなのか、本人のプロフィールや顔写真がどこにも公表されていない為、それ以上の情報はほとんどわかっていないのも現実です。
赤須正夫社長は福祉に熱心な名士として表彰を受けていた
先述でも軽く触れましたが、赤須社長は社会福祉に対して熱心に取り組んでおり、当時では実に珍しく身体障害者を多く雇用して寮まで提供していたことも非常に有名でした。
その仕事ぶりから多くの人から尊敬され、実際に表彰までされていました。確かに表向きだけ見れば、まだ社会福祉が不安定な時代に障害者の生活の面倒まで見るわけですから、それに値する理由は理解出来ます。
ですが、冷静に考えると、あの会社に知的障害者の面倒を見れるほどの設備は整っていたのか?と疑問が芽生えますが、誰もそれは疑いませんでした。
水戸事件の捜査が事件発覚後も進まなかった理由とは
この非人道的に知的障害者を扱い続けた狂った事件は、社長による助成金の詐欺行為で発覚しましたが、その後の何故か調査がなかなか進展しませんでした。
水戸事件の容疑者として逮捕された赤須社長はすぐ釈放された
通常、警察が事件の犯人を逮捕したのなら、続けて余罪を追及するはずですが、なぜかすぐに保釈してしまいました。
そこには警察による、社会福祉に積極的に取り組んでいて実績のある赤須社長への忖度が見え隠れしていたのです。
そして金銭の不正受領は魔がさしただけだという可能性もあるが、まさか自らが雇用した知的障害者を虐待しているとは考えたく無かったのかもしれません。
以降の捜査がなかなか進まなかった水戸事件
あれほど福祉活動に力を入れていた社長の裏の顔が暴かれ(不正受給、超低賃金労働)、経済的な支配が発覚し、地元の支持者たちは裏切られた形となりました。
そしてここで生活する者たちが、実は身体的虐待もされているのではないかと疑いの目を向けることになります。
ですが、疑いは日に日に増していく一方で、何故かその後の捜査が進みませんでした。実はそこには明確な理由があったのです。
水戸事件の捜査に警察が消極的だったのには理由があった
助成金の不正が発覚した時点で芋ずる式に低賃金であったこともわかりますが、そこから虐待行為が発覚して逮捕されるまでにはかなりの時間がかかりました。そこには理由があったのです。
水戸事件に消極的な理由①警察には以前から虐待の認識があった
警察は、以前から虐待の事実を把握していましたが、これといった具体的な対応はせず、良質な改善案を提示することもしませんでした。
ただそこで働く知的障害者である従業員に対して、自主退職をうながすだけで、積極的に細かな調査をすることはありませんでした。
通常、虐待の事実があるのであれば、詳しい調査のために現地に赴いて、加害者と被害者と両方の証言を取るなどして事実確認をします。
水戸事件に消極的な理由②被害者が知的障害者だった
通常、実際に現場で被害にあった、もしくは目撃した場合は、その証言を集めて、それぞれの情報が一致していると、それを盾に戦えます。
ですが今回の事件は被害状況を説明するのが知的障害者であったことで、記憶が曖昧な部分がったりすることから信憑性に欠けました。
その為証拠はおろか、立証が難しかったのです。健常者に対して聞き込み調査があったかはわかりませんが、被害を受けた本人から、真実を聞きくのは難しかったのです。
水戸事件に消極的な理由③赤須正夫社長が地元の名士だった
万が一誰かが虐待の事実を認識し告発できても、誰もが認める活動実績による信頼の厚さから、逆に告発が疑われる可能性も大いにあります。
社会福祉に貢献し表彰された赤須社長は非常に人望が厚く、警察としても、赤須社長がまさかそんなことするはずがないと思い込んでいたのです。