齋藤飛鳥の父親は変わり者?
齋藤飛鳥さんのお父さんについて動画やインターネット記事から集めることが出来た情報は、寡黙で、時々面白くない冗談を言うこと。
キラキラしたアクセサリー類が好きだったり、爪補強にラメ入りのマニキュアを使う習慣があること。
”変わり者”と言えるほど突飛なエピソードは見つかりませんが、飛鳥さんはお父さんを”よく分からない人”だと、おもしろそうに語っていました。
あまり会話が無いそうなので、飛鳥さんの目には”ミステリアスな人”と映っているのかも知れません。
齋藤飛鳥の父親は亡くなってる?
齋藤飛鳥さんのお母さんと比べて、インターネットで得られるお父さんの情報は多くありません。亡くなっているのでは?と考える人もいるかも知れません。
齋藤飛鳥の父親が亡くなった事実はない
多くはない情報の中からも、齋藤飛鳥さんのお父さんが亡くなっているというものは出て来ませんでした。
2018年6月のラジオ番組で飛鳥さんが、お父さんのエピソードを楽しそうに話していることからも、亡くなった事実はないと考えるのが妥当でしょう。
齋藤飛鳥はどんな子供だった?
乃木坂46の次世代エースに推される齋藤飛鳥さん。子供時代は、どんなふうだったのでしょうか。
齋藤飛鳥さんが出てくるのは上の動画の、12:00からです。
小さい頃は内弁慶
電話が鳴ると、舌足らずな口調で果敢に応対しようとする積極性がありました。ですが家の外に出ると急にしゃべらなくなり、話せても、とても小さな声だったそうです。
特技は作文と料理
作文が得意で、区の大会で入選した経験もあり。オフィシャルブログ記事は毎回、長文を作成している齋藤飛鳥さん。幼少期から文章を書くことが好きだったと思われます。
一方、料理スキルについて調べてみると、齋藤飛鳥さんは公開したくないと考えている節があります。
齋藤飛鳥さんは自身のオフィシャルブログで”ミャンマー風たまごやき”のレシピを紹介したことがあります。得意料理なのでしょうか。
ブログ記事に書かれた材料を見てみると、調味料が多めに感じられるものの、日本風の卵料理との違いはよく分かりません。
ミャンマー料理というと、日本であまり使われない種類の香辛料のイメージがあります。飛鳥さんのたまごやきの味付けは、塩と味の素なのでミャンマー感はありませんでした。
この料理記事からは料理が得意なのかどうか判断が難しいですが、書かれたのは2012年ですから、その後一人暮らしを始めた飛鳥さんの料理の腕が上がっている可能性は高いです。
よく作る料理は?と追及されると言葉をにごしたがる飛鳥さん。出汁巻き卵とふかしいもが得意だといちおうは答えていますが、生活の様子を人に見られるのが恥ずかしいのだそうで、あまり詳しくは教えてくれません。
秘密が多いキャラはお父さん譲りの部分がありそうです。
子役としても活躍していた
CMの他、子供向けバラエティ番組『ピラメキーノ』にも出演。乃木坂46以前の芸能活動でも才能を発揮されていたようです。それほど、可愛さが際立っていたということでしょう。
母の故郷ミャンマーへの旅
テレビ番組『情熱大陸』のなかで「アジアのかたとの交流が増えていくことに母親がすごい喜んでくれるので、何か(国際交流に貢献するようなことが)出来たらなぁと思っている」と語っていた齋藤飛鳥さん。
乃木坂46シングルのヒット祈願でミャンマーを旅した2016年のテレビ企画は、飛鳥さん母娘にとって喜ばしい出来事だったことでしょう。
ミャンマー旅ロケで”ゴールデンロック”にヒット祈願
飛鳥さんは、絶妙なバランスを保つ巨大な岩、ゴールデンロックを訪ねました。お釈迦様の聖なる髪の毛の力のおかげで、落ちないのだと言われています。
参拝者が貼り付けた金箔で全体が黄金に輝いているゴールデンロックですが、実は女性が触ることは禁止されています。
飛鳥さんは最大限に近寄れる位置から、楽曲ヒットのために心を込めてお祈りし、現地ガイドの男性に代理で金箔を貼り付けてもらいました。
ミャンマーで母方の親戚と再会
番組中、お母さんの姉と妹、そして妹の夫さんが飛鳥さんに会いに来てくれました。飛鳥さんは驚きながらも「あ、覚えてる!」と嬉しそうな声。
しかもこの日は飛鳥さんの誕生日だったで、日本語で「誕生日おめでとう」と言ってくれたのです。
異国の地で、親戚からの暖かいサプライズ。飛鳥さんにとって、自分のルーツを感じられる貴重な体験だったことでしょう。
ミャンマーと日本はどんな関係?
グーグル翻訳で「こんにちは」と入力すると「အဲဒီမှာမင်္ဂလာပါ」と変換されます。全体的に丸みを帯びたこの文字は、ミャンマー語。見慣れない人には、文字というより紋様に近い印象かも知れません。
多くの日本人にとって、ミャンマーは「よく知らない国」ですが、ミャンマーと日本にはどのようなつながりがあるのでしょうか。
太平洋戦争中にミャンマーを占領した日本
ご存じなかった方には衝撃的な話ですが、大日本帝国は東南アジアを軍事的に占領するために活動しており、ミャンマー(当時の国名はビルマでした)も数年間、占領下にありました。
日本軍支配下では食べ物や生活用品の不足、強制労働やミャンマー人への虐待が発生したという記録が残っています。
ミャンマーの人たちは太平洋戦争を冷静に捉えている
彼らは学校の歴史教育を通じて日本占領期の苦しみと抗日闘争について学んで十分な知識を有しているが、一方で、そこで得た知識を今の日本と直接的に結び付けることはしない。(引用:WEDGE Infinity)
現代のミャンマーの人たちは祖国の戦時中の苦しみを学んでいても、日本の過去の罪と、今の日本人を切り離して考えていると言われています。
仏教が広く信仰されているため、過去の怒りにとらわれず穏やかな姿勢を選ぶ人が多いのでしょうか。
私たちは過去の日本が東南アジアで犯した過ちに関する史実を冷静に学び、先方が抱くこの時代の歴史認識に対し、謙虚な対応を心がけるべきである。(引用:WEDGE Infinity)
一方、私たち日本人は、戦争の危険をふたたび招かないように厳しく見張る役目を国際社会から期待されています。
平和を願うのは誰にとっても当たり前のことですが、元加害国に住む私たちにはより強い決意が求められるのです。
齋藤飛鳥さんとそのご家族のように、日本国外に縁がある人はこれからも増えていくでしょう。国際社会で友好的な関係を築くためには、近代日本の過去の過ちについて学んでおくのが良いと言えるでしょう。
齋藤飛鳥のお母さんは愛情溢れる陽気な人
ハイティーンに成長した娘に「アーン」するほどの世話焼きお母さんですが、形式にとらわれることなく娘の夢を応援し、喜んでもらえるならとダンスを披露したりおどけて見せたりするサービス精神。
愛情いっぱいのお母さんを持つ齋藤飛鳥さんを、うらやましいと感じた方も少なくないのではないでしょうか。その愛を受けて、今後もますます輝く飛鳥さんを期待したいですね。