マヤ文明とは?
今回ご紹介する文明の名前を、どこかで聞いたことのある方というのは中々多いかもしれません。しかし、その詳しい内情まで知っているかどうかといわれると、そういう方はごく少数となるのではないかと思われます。そこでまずは、この文明について簡単に紹介していきましょう。
マヤ文明の基本
まずは基本的なところから見ていきましょう。この文明が成立していたのは、メキシコやニカラグアなどの国がある、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の狭間にある中米です。紀元前2000年、つまり今から4000年以上前に都市が栄え、標高の高い地域で発展していきました。
マヤ文明の特色①「二十進法」
この文明では、現在とは異なる数字の使い方がされていました。それが20進法というもので、現在私たちが使用しているのは10進法というものになります。この方法では1年は365日と少しと非常に正確な数字を割り出しており、更に数字が少なくコンパクトに収められるという利点もあったようです。
マヤ文明の特色②「マヤ文字」
そんな高度な数学的能力を持っていたこの文明では、文字も普及していたようです。これは4万以上もの種類があったようで、現代人が見てもただの絵のようにしか見えない、とても複雑な形をしています。暦や文字を使えたことからも、この文明がとても優れていたことが分かるでしょう。
マヤ文明の特色③「天文学」
更には天文学的な知識もあったとされています。この文明の人間たちは時間やその他のことを知るためにその目で天を観測し、太陽や月、そしてわずかに見える金星の動きを予測したり、また日食や月食といった現象についても研究がなされていたようです。
マヤ文明の特色④「建築」
この文明でとても有名なのは、階段のあるピラミッド状の建物です。名前をククルカンのピラミッドといい、この建物は政などに使われていたとされています。更に秋分の日と春分の日の2日だけ、地面に蛇の体を描くというのも有名です。
マヤ文明の特色⑤「農法」
そして農耕についても特殊な方法を使っていたとされており、北部の地域では地面に穴を掘って雨が降った時に水を溜め、人工的に貯水槽を作り出していたのです。そして、トウモロコシなどの種をまき、これを農業に使用していたとされています。
マヤ文明のピラミッドの謎
ここまでは今回ご紹介する文明についての特徴、特色などを簡単にではありますがご紹介しました。前述しました通り、遺跡などが有名となっているのですが、ピラミッドといえば大抵はエジプトにあるファラオのピラミッドを思い浮かべることでしょう。そこにつながりはあるのでしょうか。
エジプトのピラミッドについて
まずはエジプトにあるものから見ていきましょう。こちらは古代エジプトを治めていた王、ファラオの亡骸を埋葬するためのお墓という目的で作られたという説が濃厚で、1つ1つの石が人の手によって切り取られています。他にも富裕層の資産の保管庫に使われたのではという説もあるようです。
マヤのピラミッドについて
これに対して、こちらの方は形などが大きく異なっています。エジプトのものは四角の錐の形をしていましたが、こちらは楕円になっていたりと形状が全く違います。また前述しました通り祭りごとにつかわれたり、階層が9つに分かれているなど使い方についても大分異なっていたことが分かります。
エジプトとマヤのピラミッドの違い
この2つのピラミッドの違いで最も大きいのは、おそらく用途ではないかと思われます。エジプトの方のものは最も有力な説とどまりではありますが王様のためのお墓に、今回ご紹介する方のものは儀式などのために使われていました。
マヤの遺跡を見ていこう!
ここまではこの文明といえばまず真っ先に思い浮かぶピラミッドについて、エジプトのそれとの違いなどを簡単にご紹介しました。これ以外にも、この文明が作り上げたとされている遺跡が沢山残されています。1つ1つ見ていきましょう。
「チチェン・イッツァ」
その1つ目が、メキシコにあるおそらく今回ご紹介しているものの中で最も有名な建物であり、正面には階段があります。この階段は文明の中で1年とされていた18か月を表しているようで、この建物自体が1つのカレンダーとなっているのです。
「テオティワカン」
続いては建物の名前ではなく、栄えた都市の名前として有名な遺跡です。高さが65メートルを誇る太陽のピラミッドや、神の姿を模している銅像がそこかしこにある神殿など、たくさんの遺跡が残っているのです。
「ウシュマル遺跡」
こちらの遺跡は、正面に100段以上の急な傾斜のある階段があるピラミッドがあります。この文明の伝説の中では、魔法を使う老婆の温めた卵の中から小人が生まれ、その小人がたったの一晩でこのピラミッドを作ったともされているのです。
「パレンケ遺跡」
こちらの遺跡は宮殿があり、前述した天体を観測するために使われていたと思しき4階建ての塔も残っています。そしてその他にも複数の神殿が残っており、これらは7世紀にこの文明を治めていた王のために建てられたとされていて、実際に遺体も発見されています。
「カラクムル遺跡」
最後に紹介する遺跡は、うっそうと茂るジャングルの中にある遺跡です。ピラミッドの形状をした神殿があり、その下には人工的に設置された石が立てられています。加えてその石にははっきりとこの文明の文字にも見える彫刻があるものもあります。
最高神を祀る遺跡
最初にご紹介した遺跡では、この文明の中で最も位の高い最高神を祀っています。建築の見出しでもご紹介しましたが、ここでは1年のうち2日間だけ蛇の体が陰で描かれます。この蛇こそが、最高神であるククルカンを表しているのだそうです。
マヤには「生贄」の儀式があった
今回ご紹介する文明の作ったとされている遺跡について簡単にではありますがご紹介しました。今も残る古代の遺跡ということで世界遺産にも登録されているのですが、実はこの文明には生贄という現在では考えられない残酷な儀式があったのだとか。
生贄がおこなわれた理由
大抵生贄をささげるのは神などの超常の存在を対象にし、農作物が豊作になるようにという目的などがあります。この文明では対象は定かではありませんが、雨を降らす神や大地の神などへとささげるために行われていたとされているようです。