この鍾乳穴のあたり一面には岡山から広島に続く秋吉帯と呼ばれています。この秋吉帯には古生代のペルム紀時代の堆積物が多く残されています。そのために、この秋吉帯はここ以外に非常に多くの洞窟が存在しています。
現在は立ち入り禁止
事件発生後は、現在でもその危険性ゆえに、この鐘乳穴は誰であろうと出入り禁止の状態のままです。多くの謎を残し、非常に多くの人々の関心を引き付けたこの事件は洞窟の封鎖という形で一旦幕を閉じました。
洞窟内には泥など滑りやすい地形のため、この事件が起きる前にも、けが人が多く、洞窟自体の安全性はさほど高くなかったようですが、どうやら、この事件が引き金となり、正確にいつかはわかりませんが、閉鎖しました。
謎めく岡山地底湖行方不明事件の考察
先の情報以外にも、不可解な情報が多く、インターネット上でも多くの人の間で幅広い考察がなされました。今となってはすべての真相が闇に葬り去られ、次第に人々の記憶から忘れ去られていきました。ですが、過去のログなどやささやかれている情報を頼りに、筆者なりにまとめました。
憶測①男女関係のトラブルか?
当時の探検部の人数比は男が15人に対して女が10人で、男女交際やトラブルなどが起きやすい状況でした。事件当日、もしくは事件がおこる以前にのメンバーの五人の中で、そういったトラブルがあったと考えても何も問題はありません。
ただでさえ危険な障害物などであふれていますが、そんな洞窟内では一体何が起こったのでしょうか?被害者が行方不明で記者会見で真実が語られることがなく、mixiの情報が消えた今となっては、もうそのすべてを知ることはできません。
憶測②悪ふざけによる事故か?
高知大学探検部OBと名乗るものが、とあるインターネットサイトへの書き込みで、以前から探検部には酒にまつわる危険な伝統があったと暴露しました。その人物の信ぴょう性は低いですが、関係者のmixiにも鍾乳洞内で宴会をする探検部たちの日記などが投稿されたようです。
神聖な洞窟内で、大学生たちが悪ふざけで行ったパーティーにより、飲酒した男子学生の一人が、ほかの部員達によって一人だけ泳がされたのか、もしくは酔った勢いで地底湖に飛び込んでしまい、溺れてしまったのでしょうか?
憶測③隠ぺい工作をする理由?
事件後、この事件に関連するもののmixiが改竄されたことは上述しました。しかしながら、その中でも特に目を引く改竄の一つは飲酒に関する項目でした。この事件の後に受けた改変だったようで、飲酒による不祥事である可能性がささやかれています。
まるで飲酒に関して、何か大きな事故が起こったかのような改変です。しかしあくまで考察の中での議論ですので、決して断言することはできません。一体なぜこのような改変が起こったのかは、捜査が打ち切られてしまった以上真相はわかりません。
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白米美帆と伊藤智子の現在は?
一人の若き男子学生の命を奪った不幸な事件が発生してから11年が経ち、幾年の月日が流れました。当時の探検部の隊長であった白米美帆と同じく副隊長の長伊藤智子はどこで何をしていらっしゃるのでしょうか?彼女たちの現在を追いました。
白米さんは劇団員になっている?
白米さんの消息はわからなくなっていましたが、とある人形劇団のウェブサイトで同姓同名の人物がみつかり、趣味が洞窟探検という情報が開示されていたそうです。発見者がかつての事件関係者の探検部の部長ではないのか?というコメントを送信すると、プロフィールが非公開になり、コメントができなくなりました。
同姓同名の別人であれば、否定して済むだけの話ですが、それが否定もされなかったことや、プロフィールやコメント欄の閉鎖により彼女があの白米さんなのではないかという考えもできるのでおそらく本人である可能性が高いです。多く書きましたが、いずれにせよ明確な閉鎖理由は不明です。
伊藤さんの現在は不明
伊藤さんに関しては、あくまで一般の方ということもあり、そして何より、記者会見から逃げ続けた影響もあるかもしれませんが、情報ソースが全くないので、どこで何をしていらっしゃるのかがわかりません。彼女の行方を知っているのはその関係者のみでしょう。
おそらく二人とも平穏に暮らしていると思います。ただ、一人の若い命が亡くなっている以上、何かを隠蔽しているとすればそれは悪い行為です。悪いことにかかわらず、今からでも真実が明るみにでることを願います。
男子学生は一体どこへ?
徹夜にわたり、大人数による懸命な捜索がなされましたが、結局男子学生の被害者の姿は見つかりませんでした。なぜ大掛かりな捜索をしたのにも関わらず手掛かりすらも見つけることはできなかったのでしょうか?そして、彼は一体どこへ行ってしまったのでしょうか?根拠とともに考えられる場所をわりだしました。
消えた男子学生
5日間にわたる大きな探索をおこなった警察やOB達の捜索が終了した後も、県警機動隊の有志と岡山大学ケイビングクラブの積極的な協力により、この事件の被害者である男子学生の捜索が続けられました。結局、男子学生が発見されることはなく、以前行方不明のままです。
地底湖は最深部にまで到達するために片道3時間を要し、最深部まで行くためには中間地点に位置する「神の池」を通過する必要がありました。しかし「神の池」の水位は雨量により大きく左右されるため、洞窟の最深部へ到達することができる日は非常に限られていたようです。
では一体どこへ行ってしまったのでしょうか?この洞窟自体が古くから存在する神聖な場所なのでもしかしたら大自然の怒りに触れてしまったのでしょうか?そこで推測でしかありませんが、この洞窟に関する言い伝えにある「吸い込み穴」がカギを握っているのかもしれないと考えました。
ここは「吸い込み穴」といわれており、「吐き出し穴」として諏訪洞とつながっているとされています。溺れた被害者は、諏訪洞へ流されてしまった可能性も大いに指摘されています。これならば大勢の人間が、この鐘乳穴で探しても全く見つからない点に誰もが納得できます。
不可解な点から考えられるもう一つの考察
この事件についての考察がインターネット上には多く存在しており、そのほとんどが何らかの情報から得られた根拠のあるものが多く、興味深いものばかりです。そこで筆者も不可解な状況をもとに、自分なりに考察を考えてみました。もしよろしければ最後までお付き合いください。
そもそもこの事件は日咩坂鐘乳穴で起きていないのでは?
謎の撤去
なぜこのような推測に至ったかを話すと、まずワイヤーを回収した点です。行方が分からない人が洞窟の内部に残っているのにもかかわらず、ワイヤーを撤去して帰路を断つのは考えにくいです。ということは行方がわからない人物がいるにもかかわらず、誰も洞窟の中に残らなかったということになります。
未提出の入洞届け
次に、入洞届けが提出されていない点です。入洞届けがないということは、その洞窟に入る許可がないものが、わざわざこの洞窟に入ろうとするものなのでしょうか?岡山にはほかに多くの洞窟があります。届け出を出さずに入るというリスクを背負うよりほかの洞窟に入ったほうが賢明です。
非積極的な介入
3点目に、当時現場に残されていた4人の部員達が捜査の際に積極的な介入をしなかったことです。遺体を見つけることが怖かったのかもしれませんが、もしかしたらこれは積極的に介入をしなかったのではなく、この洞窟に入ったことがなかったから、介入ができなかったのではないでしょうか。
どこへ行ったのか?
最後は何といっても大勢で徹夜まで捜索活動を続けたのにも関わらず男子学生が見つからなかった点です。どこかへ流されてしまったのか、湖の底に沈んでしまった可能性もありますが、もしかしたら男子学生は最初からこの洞窟に訪れていなかったのかもしれません。これも見つからなかった理由になります。
つまり私が考えたことは、この鐘乳穴で起きたようにみせて警察たちを陽動し、自分たちは別で何かしらのアクションを起こしていたのではないでしょうか。ですがこれはあくまで一筆者のただの考察にすぎません。先ほども言いましたが、これぞ真相というようなものは一切、掴めませんでした。
立ち入るものを拒む雰囲気が誘う冒険心
当時、情報錯誤による多くの混乱と不可解な点が多いことにより、謎を呼ぶ事件も存在しましたが、地底湖自体は非常に神秘的で魅力あふれるものです。多少の危険は伴いますが、本来はスリルがあり楽しめるものなので、もし訪れる際はしっかりと計画を立てて準備をして訪れることを強くお勧めいたします。
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