下村まなみちゃん失踪事件
下村まなみちゃん失踪事件とは、今から10年前の2009年に岐阜県郡上市のひるがの高原キャンプ場で起きた失踪事件です。まなみちゃんは当時小学5年生で、甘えん坊な所があり疲れるとしゃがみ込む癖があったとお母さんが語っています。突飛な行動をするタイプではなかったそうです。
下村まなみちゃんとは
下村まなみちゃんはダウン症を患っていました。三人兄弟の末っ子で、お母さんは、なんでもお下がりだと可愛そうだからという理由で夏には手作りの浴衣を作っていたそうです。家族の仲はとても良く、祖母の育てたフウセンカズラを絵葉書として書き写すなど、とても愛情を受けて育ってきたました。
「ひるがの高原キャンプ場」で3日間のキャンプ予定だった
下村まなみちゃんが通っていた小学校では5年生の恒例行事として夏のキャンプがありました。児童85名と、校長・教員ら数名が泊まりで付き添っていました。地方によってまちまちですが、全国的に小学生高学年になるとこういった外泊教室があります。少年自然の家や野外学習といったキーワードで括られます。
2009年7月24日行方不明に
失踪事件は7月24日に起きました。オカルト好きな人でもこの事件を勘違いしている人がいますが、失踪は午前中に起きました。肝試しの”下見”を明るいうちにやってみたら、その最中に忽然と姿を消してしまったのです。また、キャンプ場には他のお客さんはおらず、同校の貸切状態でした。
行方不明になる直前、校長先生が彼女を見たといいます。肝試しのルートで小さな橋がある箇所があり、その場所で万が一の事があってはいけないと、そこでずっと立っていたのです。そして下村まなみちゃん達のグループを見送りました。
校長先生は彼女がグループから遅れていることに気が付き、少し距離を置きながらついていくことになりました。10分程度すると、校長先生のもとに女子グループが引き返してきました。そこで初めて彼女が行方不明であると発覚します。まとめますが時間にして10分、距離にして200メートル弱の出来事です。
まなみちゃんが行方不明になった林道は簡易宿所の敷地の端のほうでう、反対側は崖でした。山道が崖の下にありました。つまり崖方向に行くには登らなくてはなりません。大人はおろか、子どもが登れるような崖ではありませんでした。
その反対側は小さな川になっていましたが、流れが遅く小さな川だったので、スネくらいに深さであり溺れることはなさそうでした。万が一溺死してしまったとしても、遺体が流れることは考えづらい状況でした。つまり捜索範囲は絞られていて、すぐに見つかるだろうというのが大方の見方でした。
豆知識:子どもは水深10センチでも溺れてしまう?
子どもは水深10センチ、大人は水深30センチで溺れてしまう、という信じがたい話があります。足を着けて立ち上がろうとすれば可能な水深なのになぜ溺れてしまうのでしょうか?大きな原因としてパニック、溺死のメカニズムの2つがあげられます。
水深が浅くてもパニックになってしまう?
水深が浅いとは言え、そこに顔を付けるという事は転んでしまったあとです。不測の事態としてころんだ後に顔が水に浸かってしまえばだれでも焦ってしまいます。その状況で冷静に手足が着く深さなのに、手で底を押すことが出来るかを確かめることは難しいのです。コレがパニックです。
鼻から大量の水が入ることで平衡感覚を失い肺も水没してしまう
鼻から大量の水を吸うことで三半規管がやられてしまいます。鼻が詰まるとなんとなくボーっとしてしまう時のメカニズムです。鼻水はpHがあっているのでなんともありませんが、大量の水が鼻に入ると出血を起こしてしまいます。そして自分が立っているのか寝ているのか、どういう状態なのか把握できなくなってしまいます。
この様に平衡感覚の消失とパニックというダブルパンチで肺に水が入ってしまい、溺死してしまうことになります。この記事のテーマである下村まなみちゃんのケースとは違いますが、豆知識として水深が浅くても溺死してしまうメカニズムを紹介させていただきました。
水死に対して持っと知りたい方はコチラもどうぞ。
下村まなみちゃんが下見をしていた「ひるがの高原キャンプ場」とは
話を失踪事件のことに戻します。「ひるがの高原キャンプ場」とは岐阜県郡上市にある簡易宿泊所です。2019年現在も営業していてオートキャンプ場(車やバイクを乗り入れることができる)として愛好家がたくさんいます。草が生い茂っている箇所も少なく、高い木と枯れ葉が殆ど全てです。
敷地内では足首〜スネ丈の深さの小川が流れており、水質も非常に綺麗です。流れが早いということもなく、水遊びをするのに持ってこいです。利用客はここでビールを冷やすなどするそうです。上で引用した動画の1分程度のところに小川が流れています。
「ひるがの高原キャンプ場」の位置
実際の交通アクセスは一宮JCT(ジャンクションから1時間半程度)。吹田IC(インターチェンジ)からだと3時間程度。また、ETC専用出口ではありますが最寄りのICである駿河の高原スマートインターチェンジからだと約8分で到着します。
下村まなみちゃんが行方不明になったのはどの辺り?
当時の新聞報道の画像を参考に、公式の画像と照らし合わせて解説していきます。出発地点は画像の中央の中央広場の部分です。そこから上部のトイレのところへ行き、散策道をグルッと回り帰ってくるという形で、全長は約1キロでした。肝試しのコースは道なりに歩けば、逆U時の様な形で広場に戻ってきます。
校長先生がいたのは上の画像で散策道の文字がある辺りで、(地図にはありませんが)橋がかかっています。コースの全長からみるとほぼ真ん中あたりになります。校長先生が声掛けをした橋の手前から、下村まなみちゃんの他のメンバーが気がつくまで約150メートルですが校長先生が後ろを追いかけて歩きました。
よって実際のところ、100メートルの幅で失踪したと言えます。画像を見ても分かる通り、丁度カーブになっていて見通しが悪い場所でした。これが非常に悔やまれるところで、校長先生からの死角になってしまいます。ここで”何か”が起きて失踪事件が起きたのです。
下村まなみちゃん失踪事件の捜索状況
下村まなみちゃんが行方不明になったのが午前9時前です。そこからどの様な時系列で捜索が行われたのかの詳細をまとめていきます。数年後、世界最強のFBI捜索の手にかかってもなお、決定的な証拠が見つかりませんでした。現在もなお情報提供の呼びかけが終わっていません。
事件当時は1700人体制で捜索
147,900平方メートル(44,840坪)という広大なキャンプ場の敷地内とはいえ、失踪した場所が敷地内の端の方。道路の片側は崖が切り立っているということで、すぐに百人規模で捜索を行いました。ローラー作戦で、林をかき分け、川の底も見て回りましたが手がかりは何も見つかりませんでした。
失踪から3時間ほどは教員たちで探しました。それでも見つからず、管理事務所を通して警察に通報します。失踪から数日経つと、キャンプ場内だけではなく、周辺の山林、周辺のロッジやペンション、洞の穴や近くの大きな川、沼に潜る、崖をブルドーザーで切り崩すなど徹底的に捜索しました。
捜索はヘリを要請し、空からも行われました。また空洞の研究科にも捜索要請を行いました。残念なことに、7月27日には大雨が降ってしまいます。一日の降水量160ミリという数字で、天気予報でもやや強めの雨と表現されるような雨です。
ついには捜索は7日間にもおよび、その間の捜索人数は延べ1700人にもなりましたが、見つかりませんでした。まなみちゃん自身はおろか、彼女の靴や衣服といった物も全く発見されませんでした。手がかりが全く見つからないという状況に誰もが頭を抱えていました。
それから半年の間にひるがの地区の別荘300軒、所有者に許可を取り捜索、ひるがの地区の350個のマンホールを調べました。それでも変わらず手がかりが出てきません。2012年にはキャンプ場近くの池の水を全て抜き取り、土も掘り起こしましたが何も見つかりませんでした。
2016年「最強FBI緊急捜査!」での捜索
2016年の2月に放送された「最強FBI緊急捜査!」でも取り上げられました。世界最強とも言われる警察犬K-9を投入しての捜査でした。K-9とは究極まで訓練された警察犬で、土の深さ5メートル、30年前のものまで嗅ぎ分けるという特殊能力を有しています。