驚きのフィラデルフィア実験とは?
フィラデルフィア実験とは1943年に行われた軍事実験のことです。駆逐艦がレーダーに映るのを防ぐためには駆逐艦の磁気を消滅させればよいのではないか、という仮設を検証しようとした結果、駆逐艦がなんとテレポーテーションしてしまうという想定外の結果となりました。
金属の塊が瞬間的に数百キロ移動してしまうという衝撃的な実験結果、駆逐艦に乗っていた船員が発狂した、船員が金属にめり込んでいた、船員の体が自然発火した、などあまりに信じられない内容からとても有名になりました。
オカルト好きな方ではもはや常識となっていますが、この記事では徹底的に調査した上でその詳細をまとめています。この記事を読めば、あなたもこの実験の全貌が見えてきます。また、時系列に沿って情報を整理することでわかりやすさも追求しています。
アメリカで行われた秘密の実験「レインボー・プロジェクト」
1930年ごろから、駆逐艦や飛行機がレーダーに補足されないようにする方法が議論されていました。これを実現するためにレインボープロジェクトが発足しました。初期より参加していた科学者のニコラ・テスラは「テスラ・コイル(特殊な変圧器)を用いて船体の磁気の殆どを消滅させればレーダーには映らないだろう」と仮説を立てていました。
軍事開発の需要が高かったため、この計画では色々な実験が長きに渡り試されていました。この試みは偉大な科学者ジョン・フォン・ノイマンに引き継がれました。そして1943年に駆逐艦「エルドリッジ」に船員を搭乗させ限りなく実践に近い状態で実験を行いました。
フィラデルフィア実験の現場
この実験は極秘実験として、アメリカの東海岸側にあるペンシルバニア州のフィラデルフィア軍港で行われました。ニューヨークよりも少し南側にあります。実験が行われた軍港では当時、多くの搭乗員が働いていました。東側なのでアメリカ本土の中でもヨーロッパに近く重要な拠点となっていました。
「ノイマン」率いる科学者のチームが見守る中、この実験が行われました。海軍参謀長が指揮を取る実験とあってミスがあってはいけません。失敗が許されない状況でまさに準備は万端でした。最新の科学者のチームが最善を尽くした結果がそこにはありました。
フィラデルフィア実験の目的
当時、アメリカ軍はロシアやナチスのレーダー技術に対して苦戦をしていました。そこで電磁気を使ってレーダーに映らないようにするという事が最大の目的でした。自分だけレーダーに補足されないとなると、まさに無敵です。夜の闇に紛れる事もできます。
戦艦は海上を航行するので夜に移動すれば相手に気付かれず近づく事が可能になります。そのまま夜に奇襲をかけることもできますし、魚雷を発射して退散することもできます。また、戦艦だけでなく潜水艦や飛行機(戦闘機)に応用できればまさに無敵軍の完成です。
テレポーテーションは偶然起きた
オカルトが好きな人でも時々勘違いしてる人がいますが、あくまでレーダーに補足されない事を目的としていました。瞬間移動のための実験だった、やオカルトを研究していてその実験だったと思っている人がいるようです。しかしながらそれは全くの勘違いです。あくまでデーダーを回避する目的での実験を行っていました。
科学の最先端の実験をしていたはずなのに、気がついたら超常現象が起きてしまった。というのがこの実験の怖いところであり興味深いところでもあります。一般市民から何が起こっているのか解りませんが、アインシュタインの理論の裏付けはありました(後で触れます)
現代でも最新の科学実験として量子力学のCERN(大型ハドロン衝突型加速器)がありますが、これを動かすとプチブラックホールが発生して地球が吸い込まれてしまうのでは?とか地震を誘発するのでは?など議論が止みませんが一般市民からすればオカルトとの線引きが難しいのも事実ではあります。
フィラデルフィア実験で一体なにが起こったのか!?
この極秘実験ではどのような事が起こったのか。これを順を追って詳細をまとめていきます。死者・行方不明者合わせて16人、発狂者6人という大惨事でしたが船に乗っていなかった者、船に乗っていた者、船に乗っていて生き残った者の3通りの情報があるので一つずつ紹介します。
フィラデルフィア実験で消えた戦艦「エルドリッチ」
実験が始まってすぐ、戦艦「エルドリッチ」はレーダーから姿を消しました。ここまでは期待通りでした。しかし青い光を発する霧が発生し、戦艦の船体を包みました。それと同時にオゾンの様な強烈な異臭(腐った卵の様な臭い)がしました。
青い霧と怪しい光に包まれて、海面に船体の底面の形跡を残したまま駆逐艦「エルドリッチ」は消えてしまいました。この時、エルドリッチは消失や透明化したわけではありません。なんと320キロ離れたノーフォーク軍港に瞬間的に移動してしまいました。その後、一瞬でフィラデルフィア軍港に戻ってきました。2度、瞬間移動したことになります。
エルドリッチ乗組員に起こった悲劇
エルドリッチがフィラデルフィア軍港に戻ってきた際、実験を見ていた人が艦内に入ると、人体の一部が炭のように真っ黒になっていた者、硬直したまま亡くなってしまった者、船の壁や看板にめり込んでしまった者などがいました。助かった者も発狂して上の空で、まともに話せるものがいませんでした。短時間で阿鼻叫喚の図へと変貌していました。
発狂したエルドリッチ乗組員生存者
分厚い金属の壁で囲まれた機関室にいたエンジニアは影響がありませんでしたが、その後例外なく入院し、その後精神病院へと搬送されていきました。精神病だと診断された時点で彼らの言うことに信憑性が無くなってしまうため、彼らをインタビューした資料が全く存在しません。
フィラデルフィア実験でエルドリッチが移動した距離
この実験で戦艦が移動した距離について詳細に調査しました。もしも数百メートル先への移動だったら蜃気楼などによる見間違えや集団心理が働いたと説明することもできてしまいます。よってこのブロックでは具体的に数字を抽出し検討していきます。
ノーフォーク軍港まで320kmを瞬間移動
この実験で駆逐艦エルドリッチが移動した先は、ノーフォーク軍港です。この軍港までは320kmあります。320kmを色々なところで例えてみると、東京から西を見れば名古屋までは余裕で収まります。東京から東(というより北)の方を見れば仙台まですっぽり入ってしまいます。
九州でいうと福岡から鹿児島までの距離ですし、本州の太さは殆どで320km未満です。つまり日本海側にいた戦艦が一瞬にして日本の本州を横断して平洋側にいた、という程の距離感になります。それくらい移動距離が大きかったテレポーテーションとなります。
ノーフォーク滞在6時間
さらに驚きなのがノーフォーク軍港に6時間滞在したということです。仮に幻覚や集団心理があったとしても6時間というのは長すぎます。実験場に居た人の証言では数秒で戻ってきたとあります。しかしノーフォーク軍港では6時間もの間滞在していたという目撃情報もあります。
これはどういうことでしょうか?テレポーテーションの際にどちらかの軍港でタイムスリップも同時に起きていたということでしょうか?数秒と6時間では認識違いという次元ではありません。タイムスリップと考えるのが自然な事です。情報を整理したはずが、謎は深まるばかりです。
超強力磁場発生によるテレポーテーション
意図しない結果だったとは言え、戦艦の瞬間移動が起こってしまいました。にわかには信じがたいですが、瞬間移動先であるノーフォークでの目撃談も報告されており、複数の目撃者がいることで科学史上初の瞬間移動の事例となりました。超科学が好きな方はこちらの記事もオススメです。
フィラデルフィア実験実行までの経緯
当時の国際情勢はアメリカ、ロシア、ドイツの三国が軍事開発競走をしていました。最先端の科学技術を取り入れるために、各国躍起になって技術者の獲得、育成につとめました。このブロックではその背景や重要なポジションにいた科学者について取り上げます。
第二次世界大戦中の軍事実験~ステルス開発~
実験当時は第二次世界大戦中でした。猛威を奮ったのが、海底に仕掛けられた地雷が戦艦の磁力に反応して爆発するというものでした。それを防ぐために戦艦に磁力を発生させない装置やレーダーに映らないようにする技術の開発が急務となっていました。
他国に先立ってステルス技術が実現化すれば、攻撃はもちろんのこと防衛の面でも大きくリードできます。その様な背景で各国は技術者に無理なスケジュールと無理な要求を主張しました。これはフィラデルフィア実験も同様で無理な要求に反対した者もいました。
アインシュタインの統一場理論
フィラデルフィア実験にはアインシュタインの統一場理論が使われていました。統一場理論についてざっくり説明します。この理論は中学生の時に学んだ、電磁力の法則から発展させた考えです。電磁力の法則はフレミング左手の法則と言ったほうがピンとくる方もいるかもしれません。
電磁力の法則とは、電気と強めると磁力やかかる力が強まるというものです。これに”重力”を絡めたのが統一場理論です。電磁力と重力は反比例するので、電磁力を極端に大きくしていくと重力は限りなく0に近づいて行くというものです。それを実現するために当時ステラ・コイルという特殊なコイルを使用しました。
アインシュタイン自身は統一場理論は完成しなかったと言って亡くなってしまいましたが、アメリカ軍の内部告発の機密資料によると、アインシュタインは統一場理論を応用が効くまでに完成させていると記されています。フィラデルフィア実験もその応用でした。
フィラデルフィア実験の主要人物「テスラ」
「ニコラ・テスラ」は日本ではあまり知られていませんが超天才の科学者です。交流電流を発明し、直流推しのエジソンとライバルの関係にありました。また、エネルギーを飛ばすことへの基礎を作り上げ、レントゲンやリモコンなどの基礎技術として今も生きています。さらに興味深いのは、晩年は霊界との交信などオカルトに多くの時間を注ぎました。
彼は今回のフィラデルフィア実験のプロジェクトに初期から参加していました。彼の研究結果であるステラコイルが評価されていました。しかし実験の準備段階で、強力な磁場をコントロールできずに多くの死者や精神錯乱者を出してしまいました。強い電磁力を発生させる必要が有るこのプロジェクトに危機感を抱くようになります。
そこで上司に実験の中止を何度も訴えましたが聞き入れられず、多くの実験を強制されていました。モチベーションが保てなくなった彼は実験から身を引きます。そして、次にふれるノイマンに引継がれます。その際には、この実験は危険だとノイマンに忠告していました。
フィラデルフィア実験をテスラから引き継ぐ「ノイマン」
現代のパソコンの原型を作り上げたことで知られる「ジョン・フォン・ノイマン」です。彼もまた稀代の超天才です。物理学だけでなく、数学や気象学、経済学まで広く習得していました。そんな彼がフィラデルフィア実験を引継ぎました。まさに天才から天才へとバトンが引き継がれていきました。
一方で、ノイマンは原爆開発計画のマンハッタン・プロジェクトにも参加していました。彼は国の実験や軍事開発に対して積極的でした。そんな彼もこのフィラデルフィア実験では危険性を次第に認識していきます。本番前のドッグテストの段階でシステムの暴走から水兵が何人も犠牲にしてしまったからです。
テスラコイルを3つ同時に走らせ同調させれば安全になるという仮説も有りました。しかし当時の技術水準では難しく、実現しませんでした。これをきっかけにノイマンもこの実験は危険だと上層部に延期を提案しました。しかしこの実験は海軍参謀長が決定権を持っており、急務であったステルス開発を伸ばす事は許されませんでした。
フィラデルフィア実験の主要人物テスラの死
フィラデルフィア実験で使われたステラコイルの開発者である科学者の「ステラ」。この実験の主要人物であり、科学の世界でも第一線を走っていた彼の死は、謎が多く暗殺ではないかと噂されています。このブロックでは暗殺されたとしたらその理由はなにかを解明するために詳しく解説していきます。
テスラがフィラデルフィア実験を辞退した理由
ステラがフィラデルフィア実験を辞退した理由はアメリカ軍上層部との意見が合わなくなってきた事があげられます。ステラが実験に参加したのは彼の晩年のことなのですが、若い頃にはエジソンと科学論で決別したこともありました。科学の発展にポリシーを持っており、自分の考えを曲げない部分がありました。
アメリカ軍とテスラとの意見の相違
彼のその性格上、実験で若い水兵を犠牲にし続けることが耐えられませんでした。この実験が本当に役に立つのか疑問に思うようになりました。アメリカ軍は1分1秒でも早くステルス技術を実現して欲しいのに対し、ステラは目の前の犠牲に耐えきれずモチベーションが保てなくなります。
テスラ謎の死にまつわる疑惑
ステラがこのフィラデルフィア実験から退いてすぐホテルにて心臓発作で亡くなってしまいます。その後の周囲の動きが怪しいと言われています。死亡直後にもかかわらずホテルに多くの男性が立ち入り、ほぼ全ての資料を持ち去っていったのです。
全ての資料を持ち去ったのはアメリカ軍とも、FBIともCIAとも言われています。はっきりしませんが彼の技術や研究が誰かによって持ち去られているのが事実なのです。また、彼は結婚をしておらず、1トンを超えるとも言われる彼の資料も、その多くが行方がわかっていません。
86歳という年齢でしたが突然の心臓発作、資料を持ち去る謎の男たち、という構図はやはり何かあると思わざるを得ません。彼の研究がもしもっと広く公開され、利用されていたら今の科学技術はさらなる発展をしていことは間違いないでしょう。ちなみに、長い時間の経過で失われた科学技術(ロストテクノロジー)に興味の有る方はコチラもどうぞ。
科学者ステラの悩みと習慣
科学者ステラ、小さい頃から悩みがありました。それは、幻聴や幻覚です。幻聴はどこからともなく声が聞こえてきて若いときは大変苦しんだそうです。そこはやはり天才肌、晩年はうまく付き合えるようになりアイディアを授けてくれる事もありました。
幻覚はふいに幾何学模様が見えていたようですが、これもうまく付き合えるようにコントロールし、頭の中のものを強くイメージするとそれが目の前に現れて、色々と実験をしていたようです。現代の最新クリエイター企業では3D CADをVRやAR空間に描いていますが、彼はそれを脳内で完結していたのです。
また、彼は3,6,9という数字にとてもこだわりを持っていました。食事をする際のナプキンの数は3で割れるように準備し、ホテルのルームナンバーも必ず3の倍数にするように予約していました。先程のステラが亡くなったホテルの部屋番号は3327室でした。全てのものを3の倍数で固めることを習慣としていたのです。