カッパピアとは?
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カッパピアと言われて、どんな場所を想像しますか?大体の方が、妖怪の河童を想像するでしょう。ですが、カッパピアが出来た当時はそんな妖怪などという恐ろしい場所ではなく、家族で楽しめるレジャー施設でした。閉鎖するまでは…
カッパピアとは群馬県高崎市に誕生したレジャー施設
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カッパピアとは群馬県高崎市観音山にできた、レジャー施設の事です。昭和36年にオープンし、高度成長期のバブル時代には、多くの来場がありました。特に人気だったのが昭和44年に出来た新施設の、流れるプールです。
この、流れるプールの名称が【カッパピア】であり、子供たちに大人気だったことから後に、施設全体をカッパピアと呼ばれるようになりました。
2003年の閉鎖後は心霊スポットとして有名に
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大人気だったカッパピアですが、ある理由により来場客が減少。なんと2003年には倒産してしまいました。何もかもが放置されたままの遊園地やプールは、あまりにも不気味で、全盛期の面影などどこにもなく、心霊スポットとして有名になってしまいました。
カッパピアのその後は?
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すべてが放置され、誰も手を加えなくなったカッパピア。その後一体どうなってしまったのか…皆さんは想像がつきますか?心霊スポットとして有名になり、違った意味で賑わいをみせ、沢山の問題を抱えました。そこには、悲しい現実がまっていたのです。
2011年には完全に撤去されてなくなったカッパピア
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2003年に閉鎖され、2004年には、運営会社が自己破産し、抱えた負債はなんと、約10億円でした。2011年には、見かねた高崎市が5千万~6千万円で土地や建物を買い取り、施設はすべて撤去されました。
現在のカッパピア跡地には娯楽施設が!
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現在カッパピアは、【観音崎公園】として生まれ変わりました。心霊スポットと呼ばれていた頃の面影はなく、カッパピア全盛期のように、子供たちの笑い声や笑顔で溢れています。夏はプールを求めて沢山の、ファミリーが来場してきます。
2013年に「ケルナー広場」が完成
一見危険な遊具にも見えますが、子供の冒険心や挑戦してみよう!という気持ちを駆り立て、事故回避能力や危険回避能力を養う事が出来ます。この遊具を作ったのは、ドイツの世界的遊具メーカー【ケルナースティック社】という会社で、日本で初めて導入したのが、ここ観音崎公園なんです。
2017年には「観音山公園プール」もオープン
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2017年7月、公園の南側にみんなが待ちに待った【観音崎公園プール】がオープンしました。最新のプール施設はオープン当初から大賑わいで、夏休みには、毎年たくさんの家族連れが訪れます。プールの種類は4つで、じゃぶじゃぶプール、せせらぎプール、幼児プール、25メートルプールがあります。
周囲には緑が広がり、自然が豊かでとても評判がいいです。小さな子供がいるお母さんも利用しやすいよう、授乳室が完備されています。また、幼児プールと、せせらぎプールは、上から水着を着用させれば水遊びパンツ(水あそびおむつ)で入水可能です。
現在、日本でケルナースティック社の遊具が急増中
現在、ケルナースティック社の玩具は日本への出荷量が増加しています。ケルナースティック社の歴史は長く、始まりは1919年、ゲオルク・ケルナーが航空機模型の組み立てキットを販売した事からです。
ドイツ木製玩具デザイン賞入賞
現在はゲオルク・ケルナーの孫が後を継いでおり、彼は木製玩具に力を注ぎました。そのデザイン性が評価され、「ドイツ木製玩具デザイン賞」で3位入賞を果たしました。
彼は「世界中探しても100%安全な遊具などない。大事なのは子供の危機回避能力を養う事だ」と話し、だからこそ、構造が特徴的な遊具を作っています。子供自身が考え工夫して遊ぶことがとても大切なのです。是非、子供を見守りながら遊ばせてみて下さい。
春は桜の名所に
なんと、ここ観音山公園は、春になると3000本のソメイヨシノが花を咲かせます。桜の見ごろは4月上旬から中旬です。子供と公園で遊びながら、桜も見る事も出来る、最高のお花見スポットです。
桜と観音山の神秘的な風景が人気
広大な観音山に、高くそびえる観音様と満開の桜がなんとも神秘的で、心が洗われるような気持になります。数年前は心霊スポットだったなんて、初めて聞く方は信じられないかもしれません。夜にはライトアップもされるので、とても美しい夜桜を堪能できます。
カッパピアの歴史
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現在は、子供連れでにぎわうカッパピア(観音山公園)ですが、今日にたどり着くまでどんな歴史をたどったのか…気になりませんか?今はなくなってしまった、意外な施設もあるので、是非読んでみて下さい。
1961年に高崎フェアリーランドとして誕生
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高崎市は戦後の復興政策として1952年に【新日本高崎こども博覧会】を開催し、大盛況に終わりました。その後1961年に、この土地や施設を【上信電鉄】が引き継ぎ、施設などを整備し、【高崎フェアリーランド】として、再出発したのです。
1969年にはプールの「カッパピア」が誕生した
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オープンの8年後、1969年にはプールが誕生しました。建設の際にその名称を募集し、その中から選ばれたのが、カッパピア(カッパ・ユートピア)です。カッパピアは大人気となり、次第に高崎フェアリーランドの施設全体が、カッパピアと呼ばれるようになったのです。
他にも動物園や「こえだちゃんランド」なども展開
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なんと、カッパピアには1965年まで動物園も併設されており、たくさんの動物に子供達は目を輝かせていました。また、1980年代初めに、玩具メーカーのタカラとコラボし、こえだちゃんランドもオープンしました。
現役時代のカッパピアにあった遊具や施設を紹介
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今では当たり前な遊具や施設が、当時はもの珍しく大人気でした。現役時代、子供達にとって夢の国だったカッパピアは、どんな遊具や施設で来場者を楽しませていたのか、詳しくご紹介したいと思います。
高崎市観音山の広大な土地に数多くの遊具が!
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休日には、子供達でごった返していたカッパピアには、多くの乗り物や遊具が存在していました。当時はアジア最大級と言われた大観覧車や、一回転するジェットコースターは、長蛇の列でした。また、レトロな遊具もあり、特に人気だったのが、海賊船の大きな滑り台です。