中にはお化け屋敷もあり、あまりの暗さに出口が分からなくなるほどで、非常口から間違えて飛び出してきてしまう子供が続出しました。一人で入るのは勇気がいるので、兄弟との良き思い出になっている方も多いでしょう。
遊園地の乗り物
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遊園地には30種類近くの乗り物や幼児でも遊べるボールプールやワンコインで乗れる小さな乗り物が多くありました。弁慶号という名称の乗り物は、汽車に乗りながら【舌切り雀】の世界を知ることができるという、今ではシュールな乗り物です。この弁慶号は、人形を使って世界を表しており、子供達の印象に強く残りました。
遊園地で定番の乗り物である、コーヒーカップやゴーカート、メリーゴーランドはもちろんの事、上下しながら回転する乗り物も多く、子供達は大いに楽しんだでしょう。サイクルモノレールでは、あまりの高さに恐怖を感じた子供も多く、スリル満点で、「また行きたい!」と思わせてくれる遊園地でした。
プール「カッパピア」には流れるプールや波のプールなど
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1969年にオープンしたプールは、大きなスライダーや波のプール、幼児用の浅いプール、飛び込みプールなどがありました。1周300メートルの流れるプールから見えるのは、何とも華やかなステージでアイドルがダンスなどを踊っていました。体が冷えた時は、露天風呂プールが完備されており大人たちの憩いの場となっていました。
遊園地に大型プールと、遊びきれないほどの施設は、子供たちのパラダイスだったのです。しかしながら、カッパピアは2003年、42年の営業に幕を下ろす事となってしまいました。なぜ、絶大な人気だったカッパピアが閉園する事になってしまったのか、その理由を説明します。
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カッパピアはなぜ閉鎖されたのか?衰退の理由とは
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カッパピアの閉園は、2003年11月12日に新聞で大きく取り上げられました。それを目にした、たくさんの大人が、子供の頃を思い出して悲しくなった事でしょう。両親や兄弟との思い出の場所となっている方は、多いのではないでしょうか。
カッパピアは年間の来客者は60万人を超えることもあった!
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カッパピアは最盛期に、なんと年間60万人以上の来場者がありました。アジア最大の観覧車やジェットコースターは子供に大きな夢を与え、北関東を代表する立派なレジャーランドになりました。
カッパピアはバブル崩壊後に徐々に衰退
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1991年にバブル崩壊と共に、カッパピアの来場者も徐々に減少してしまいました。少子化や趣味の多様化なども重なり経営はどんどん苦しくなりました。なんと1998年には年間来場者数は過去最低の8万人ま減少してしまいました。また、末期になると、施設の老朽化も進み存続は難しくなったのです。
閉鎖された後カッパピアは心霊スポット?廃墟としても話題に
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閉園後の5年間、放置されたままのカッパピアは廃墟と化してしまいました。その光景は、テレビでも放送され、子供の頃にカッパピアに訪れていたという人々にショックを与えました。カッパピアは、当時からは考えられない姿に変貌してしまったのです。
閉鎖されたカッパピアは心霊スポットとしても注目される
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ボロボロになった看板や放置された人形達、汚れたプールなどは、大型のお化け屋敷のようで心霊スポットとして注目されるようになったのです。人のいない遊園地は、真っ昼間でも陰気が漂い、どこか不気味で若者やオカルトマニアの間で話題になりました。
真意は定かではありませんが、【遊園地で事故があった】【当時の職員が自殺した】【死んだ子供の霊がでる】などと噂が広がり、恐怖のカッパピアとなってしまったのです。
昭和の雰囲気を残すカッパピアは廃墟マニアにも人気
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かすれた文字や錆びれた汽車のレール、ツヤや葉が生い茂った遊具たちは、なんともノスタルジックです。それを眺めながら、昔はどんな様子だったのかを想像し想いを馳せる、いわゆる【廃墟マニア】にも大人気でした。
廃墟好きな方はこちらの廃墟も必見です。
無人のカッパピアは若者のたまり場となった
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廃墟マニアに人気だった一方で、廃墟は次第に若者のたまり場となってしまいました。高崎山は元々、暴走族が多かった事から、丁度いいたまり場だったのかもしれません。誰もいない広大な廃墟は悪さし放題だったのでしょう。
不法侵入が絶えず、犯罪の温床となると問題に
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若者の不法侵入が後を絶たず、カッパピアは犯罪の温床になるとして大きな問題となりました。落書きや破壊行為はもちろんの事、夜間にバイクのマフラーをふかしたり、恐喝や強姦などの心配もあり、近隣住民にとっても危険な場所となってしまいました。
2007年には不審火で一部焼失の騒ぎも
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ついに2007年1月23日、事件は起きてしまいました。何者かがカッパピアの売店付近に放火したのです。廃墟での火災で消火に時間がかかってしまい、鉄骨平屋建600㎡が全焼しました。
そんな犯罪の多発が社会問題となったカッパピアを、1月24日、高崎市が買収すると表明したのです。高崎市が買収した後、6年という時を経てカッパピアは、観音崎公園として息を吹き返します。
閉鎖後も愛されていたカッパピア!跡地は憩いの場に
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バブルの崩壊により衰退し、閉園してしまったカッパピアでしたが、多くの子供達の夢と思い出が詰まった素晴らしい施設でした。その後も、廃墟マニアに愛され、いつも誰かの記憶に残り、忘れ去られることのなかったカッパピア。現在のカッパピア(観音崎公園)は、楽し気な子供の声が響き渡り、どこか昔の面影の残る憩いの場となっています。
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