地下鉄御堂筋事件とは
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今から遡ること30年以上前の1998年の冬。帰宅時間で混みあう大阪市営地下鉄御堂筋線の電車内にて、男性2人組の痴漢行為を注意した女性が、逆恨みした犯人に付き纏われ、強姦されるという卑劣な事件です。
地下鉄御堂筋事件の概要
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痴漢を注意した勇気ある女性が強姦されるという、日本中の女性を恐怖に陥れた恐ろしい事件です。当時、新聞やテレビの報道で耳にした事がある人も多いのではないでしょうか。社会問題にまで発展した、事件の概要を詳しくご紹介します。
1998年、大阪の地下鉄御堂筋線で事件は起こった
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1998年11月4日21時頃、帰宅時間の混雑した電車内で、2人組の男性が女性Aのスカートのジッパーを下ろして痴漢行為犯行を行う事件が発生。その場に居合わせた女性Bが女性Aを逃がし、男性2人に対し「前にも会ったでしょう」と注意しました。
女性Bは、以前からこの男性2人から痴漢被害に遭っていた為、見ず知らずの女性Aを助けました。この勇気有る行為がまさか、女性Bが卑劣な事件に巻き込まれる事になるとは、誰が予想出来たでしょうか。
痴漢行為を止めた女性が犯人の逆恨みを受けてしまう
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痴漢行為を注意された事に腹を立てた2人は、嫌がる女性Bを無理やり電車から引きずり下ろしました。この際、周囲は誰1人助けてはくれなかったといいます。そして「一緒にいた女に会わせろ」と、一緒に乗車していた友人である女性Cを紹介することを強要されました。
ノコギリで脅して強姦された
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「少年院上がりだ」等と脅され、恐怖心から女性Cを深夜の喫茶店に呼び出しました。唐突に深夜の喫茶店に呼び出され、交際を迫られた女性Cは、話にならないと帰ってしまいました。交際が叶わない事に腹を立てた男性2人は、女性Bをマンションの建設現場に追い込み、バットで殴り、ノコギリで脅した上で強姦したのです。
被害女性は怖くて助けを求められなかった
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事件発生後、警察に被害届を提出した女性Bは事情聴取に対し「周囲の人は怖がってジロジロ見ているだけで、声を上げてもし誰も来てくれなかったら、今度は何をされるかわからないと思った」と助けを求められなかったという悲痛な胸の内を話しました。
地下鉄御堂筋事件の裁判の判決は?
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犯罪行為を注意するという、思いやりのある行動を取った女性に降りかかった悲しい事件。当時の裁判では一体どんな判決が下されたのか、世間が注目した裁判の判決と、弁護人の弁護内容を詳しく見ていきます。
懲役4年を求刑するも判決は懲役3年6ヶ月
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検察は男性2人に対し懲役4年を求刑しましたが、裁判所は同情すべき成育歴があること、前途ある青年であることを挙げ、情状酌量の余地があるとし、懲役3年6月と判決を下しました。残酷な性犯罪に対し、あまりにも短い刑期でした。
裁判で弁護人は「女性にも落ち度がある」と犯人を弁護
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犯人側の弁護士は、逃げることが出来たのではないか、周囲の人間が助けていれば事件にまでは至らなかった、等の弁護を行いました。身勝手な動機であるに、女性にも落ち度があるという犯人側が守られる事に、世の女性達が不満を募らせる結果となりました。海外の、強姦から殺人にまで至った事件の記事も合わせてご覧下さい。
地下鉄御堂筋事件の犯人とは?
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信じられない事に、2人は痴漢行為を通して知り合った友人だったのです。事件の動機も、恋人と別れてムシャクシャしていたから、というとんでもない理由でした。強姦事件が引き金となり、少年法を見直すきっかけとなった事件の記事はこちらをご覧ください。
地下鉄御堂筋事件がきっかけで立ち上がった女性たち
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女性にとって恐怖ともいえる判決が下りましたが、この事件がこのまま悲しい終焉を迎える事はありませんでした。日本中に報道された事によって、卑劣な性暴力事件に対する世間の認識の甘さを不満に思い、立ち上がった女性達が居ました。
「性暴力を許さない女の会」が発足
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懲役3年6月というあまりにも短い刑期が報道されたことで、今後もこのような事件が発生する事を危惧した女性達が「性暴力を許さない女の会」を発足するに至りました。「私たちに何か出来ないか」という考えの元、集会や鉄道会社への要望提出等、精力的に活動を開始しました。集会では、400人もの人でホールが一杯になる程でした。
地下鉄御堂筋事件がきっかけの「性暴力を許さない女の会」の活動と影響
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女性を守る為に発足された同会は、一体どのような活動を行ったのか。結果的に社会に大きな影響を与えた彼女達の活動内容と、鉄道会社や警察の対応を当時の時代背景を交えて詳しくご紹介します。
事件後、阪市交通局や鉄道各社に要望書を提出
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大阪市交通局に求めたのは、「性暴力撲滅の為、車内広告やアナウンス等でPR活動をする。性暴力を誘発するポスター等を掲示しない。男性以外の駅員を増員し性暴力被害を防ぎ、被害があった際は迅速な対応を行う」の3点でした。
当初はなかなか要望が通らず
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世間の女性の声を伝えた同会の必死の訴えもむなしく、交通局の返答は「巡視や見回りの強化、女性に気をつけるよう自衛手段をとるよう協力を求める」という小暴力対策委の見解を示すだけの対応でした。
すれ違う「性暴力を許さない女の会」と警察、鉄道会社
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翌年に大阪府警と関西鉄道協会が制作した「痴漢あったら勇気を出して大きな声を出しましょう」という内容のポスターは、あくまでも女性の自衛を呼びかける物で、同会の「女性側に注意を呼びかけるのではなく、男性側に痴漢をやめろと呼びかけるべき」という主張とは全く異なり、当時の性暴力を行う男性に甘い社会を浮き彫りにしました。
性暴力を恐れる女性と、市民を守る存在である警察や、乗客の安全を守る鉄道会社の意見がすれ違ってしまったのは何故なのでしょうか。それは当時、痴漢行為は下品であるという事からタブーとされていた為、この様に信じられない対応内容となってしまったのです。
2000年からは女性専用車両が次々と導入開始に
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不当な対応に屈する事無くその後も同会の活動は続き、事件から5年後には「セクシャルハラスメントと斗う労働組合ぱあぷる」と協力してキャンペーンを実施し、交通局や私鉄各社への働きかけました。
今となっては誰もが目にしたことのある「痴漢アカン」という加害者に対するメッセージが込められたポスターが作られたのも、この活動の結果でした。電車内でも痴漢防止の車内放送が流れるようになり、2000年から女性専用車両が全国的に導入される事となったのです。
女性専用車両とは?日本は明治時代から存在していた?
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日本では2000年から導入された女性専用車両。しかし、これは初めての試みではありませんでした。1912年1月31日には「男性と女性が一緒の車両に乗るのは好ましくない」という当時の国民性から「婦人専用電車」が導入されました。東京の中央線で朝と夕方の通勤・通学ラッシュの時間帯に導入されるも、短期間で廃止されてしまいました。