菊容子殺害事件の真相は?犯人藤沢陽二郎の現在や石ノ森章太郎との噂も

のちの取り調べで、藤沢さんは菊さんの電話相手が彼女の父親であったことをしりました。「指輪が欲しい」という発言の真相も同時に知った藤沢さんは、その場で泣き崩れたといいます。

この事件の裁判の判決が出たのは事件から半年が経過した1975年11月18日。藤沢さんは自らの罪を認め反省し、東京地裁で懲役7年の判決を受けました。

裁判での父親の悲痛な証言

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裁判の席で、菊さんの父親はその悲痛な胸の内を吐露しています。特に殺害のきっかけにも至った指輪については、菊さんの母の形見でした。

菊さんが結婚するときには譲り受ける約束で、「その日まで、パパが小指にはめておいてあげる」と守っていたそうです。それだけ親子の間で大切な存在だった指輪が、菊さん殺害の引き金を引いてしまったことは、父親にとっても大きな心の傷となったことでしょう。

現在は社会復帰して働いているはず

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現在は7年の服役も終わり、社会復帰しているはずです。「行きつけの寿司屋の娘と結婚した」、「実家の整体医院を継いでいる」などのうわさがありますが、本当のところはわかりません。

いずれにせよ、その後藤沢さんの名前が世間に出ることはありませんでした。自分の勘違いによって愛する人を自らの手で殺してしまった藤沢さんにとって、7年の懲役という判決はどう感じたのでしょう。

菊容子さんのプロフィールまとめ

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藤沢陽二郎による菊容子さんの殺人事件のながれを紹介してきましたが、被害者の菊さんはどんな人物だったのでしょう。ここで改めて彼女のプロフィールをまとめてみます。

6歳でモデルデビュー

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1950年、菊容子(本名、菊池洋子)さんは神奈川県横浜市に生まれました。そのモデル活動を始めたのは彼女が6歳のころでした。子役デビューはそれから3年後1959年。最初の出演作品は映画「城ヶ島の雨」です。

中学入学と同時にいったん芸能界を離れましたが、中学3年生の頃にNHK主催の新人オーディションを2位で通過し、再び戻ってきました。それまでは本名である「菊池洋子」で活動していましたが、このタイミングで芸名「菊容子」に改名しています。

映画ヒロインでブレイク

本格的な女優デビューは1968年、「でっかい青春」という学園ドラマです。菊さんはこれに女子生徒役で出演しました。決定的なブレイクは、1971年にドラマ「好き!すき!!魔女先生」でつとめたヒロインの月ひかる役。これがきっかけで清純派女優として人気を集めるようになります。

その後、NHKのクイズ番組「連想ゲーム」にレギュラー出演がはじまると、ますますお茶の間のお馴染みの女優として親しまれるようになりました。

菊容子さんは石ノ森章太郎の愛人だった?

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清純派女優で売り出していた菊さんの殺人事件は世間に衝撃を与えました。さらに世間を騒がせたのは、菊さんが「好き!すき!!魔女先生」の原作者、漫画家の石ノ森章太郎さんの愛人であったという噂でした。

菊容子は漫画家石ノ森章太郎のお気に入りだった

菊さんと石ノ森章太郎さんは彼女が10代のころからの付き合いでした。菊さんがモデルをしていた少女雑誌の「少女クラブ」で石ノ森さんが漫画を連載していたのです。石ノ森さんは菊さんを気に入っていました。

菊容子さんに「菊池洋子」は、「さんずいがあるのは縁起が悪い」として芸名「菊容子」を与えたのも石ノ森さんでした。

数々の石ノ森作品に抜擢も!

石ノ森さんはお気に入りの菊さんを数々の自分の作品に出演させています。「好き!すき!!魔女先生」のほかに、「人造人間キカイダー」「変身忍者 嵐」に出演しています。

「好き!すき!!魔女先生」の月先生役に菊さんを推薦したのも石ノ森さんだといわれています。石ノ森さんが菊さんを気に入っているという話は、特撮界では有名なことでした。

石ノ森章太郎自らの著書で告白

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菊さんの死後、石ノ森さんはのちに書いたエッセイで、「愛人の女優が殺された」と書いています。また、「菊容子は自分に枕営業していた」などとも告白しています。

藤沢さんも石ノ森さんの作品中に何度か出演していますが、そんな彼とのゆがんだ三角関係にも言及しており、これは清純派女優として売り出していた菊さんのファンに大きな衝撃を与えました。

菊容子さんの愛人?石ノ森章太郎さんの人物像

自らの著書で菊容子さんが自分の愛人であったことをカミングアウトする衝撃的な行動に出た石ノ森さん。特撮界隈では「特撮の神」としてあがめられていました。その人物像とは、どのような人物だったのでしょう。

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