アカマタクロマタは撮影禁止の訪問神!豊年祭・人魚伝説との関係は?

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また、この神が撮影禁止の理由として、彼らが来訪する祭という事でこの祭の意味を保つ、という事があります。時代の変化とともにこの離島の主な産業も観光にとってかわられ、農業の収穫の需要はそれまでより落ち込んだ中、それでも祭を開催するために神の神秘性を利用しているという説もあります。

アカマタクロマタをめぐる暴行事件があった?

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この神をめぐって、数多くの島民と外部の人間の争いが起きました。撮影禁止とあれほど伝えてあるにも関わらず、どうしても撮影しようとする人間が出てきてしまったからです。もちろんこのような人間は島民の怒りをかい、悲劇が起きてしまうのです。

アカマタクロマタをめぐる事件①1968年に撮影した人が暴行を受けた

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一例として、1968年に島民でも関係者でもないにもかかわらず、この離島にアカマタクロマタを見るために忍び込んだ人がいたのですが、彼は島民に見つかり集団暴行を受けて精神に異常をきたしてしまいます。彼の親族がこのことを訴え事件は明るみに出ましたが、これ以外にも被害にあった人がいるような噂もあります。

これ以外にも多数の噂が

上記のように警察沙汰にまではなっていませんが、それ以外にも多くの撮影した人に対する被害の噂が存在します。撮影した人が袋叩きにあった、カメラを壊されてしまった、杖をつかって殴られた、多くの人に囲まれて脅されたなど、禁を犯した人は何らかの被害にあっているようです。

アカマタクロマタをめぐる事件②撮影すれば呪われるという噂も

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また、島民から集団暴行を受けるだけでなく、この神を撮影することで呪いをその身にうけ撮影者に災いとなって押し寄せてくる、撮影したことで原因不明の体調不良を起こし死にいたることになる、などのオカルト的な噂も多数存在していて、いかにこの神を撮影することが禁忌かを表しているようです。

実際にこの祭の様子を撮影したカメラマンが戻ってこなかった、などまるで神隠しのような噂もまことしやかにささやかれています。深追いをしすぎないように注意しましょう。他の神隠しについても興味のある方はこちらもご覧ください。

アカマタクロマタの各島での様子

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アカマタクロマタは新城島の神として知られていますが、じつはこの神はこの離島以外の島にも訪問しているのです。それらの島で行われる祭は新城島で行われるものとは少しずつ違い、中には外部の者が祭を見る機会が存在するものもあります。この神が訪れている他の島は以下のとおりです。

アカマタクロマタ・西表島の古見

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西表島は石垣島の西側にあるやや大きな島で、島の東側に古見があります。この地で行われる祭はとある民俗学者により不鮮明で判別のしにくいモノクロ写真ではあるが撮影されている写真が存在している。だが以下に述べる事件があったこともあってか、現在は祭期間中の外部の人間の立ち入りは禁止されています。

とある映画監督が襲われる

昔、この地で行われる祭を題材としたドキュメンタリー映画を撮影しようとしたとある映画監督がいました。ですが、彼は借りていた学校で寝ているところを島民とその関係者であるだろう凶器をもった人達に囲まれ供物として神にささげた酒を返され、脅され、結局映画撮影を断念することになりました。

襲った島民の主張

彼らはこの映画監督を襲い、脅した際に私たちの神はお前らに絶対撮らせない。勝手な真似をしたら殺すことになるぞ、この祭は自分たちがたとえ何をしても罪になることはないという意味合いの言葉を述べていたそうです。それだけこの祭の神秘性が大切だったのでしょうが映画監督たちは恐ろしい経験をすることとなりました。

アカマタクロマタ・石垣島の宮良

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石垣島は西表島の東側にあるやや大きな島で、島の南東部に宮良があります。この地で行われる祭は写真のような媒体には残っていませんが、祭の部分だけではありますが、現在でも外部の人間もみることのできるものとなっています。興味のある方は訪れてみてはいかがでしょうか。

島民以外が唯一アカマタクロマタを見れる場所

祭の後の島民の家をこの神が訪問する様子は変わらず島民とその関係者以外立ち入り禁止となっていますが、祭でも神様を見ることは可能なのでどうしても見たい方は幸運を祈りながらこの島を訪れてみるといいでしょう。その際は何があっても写真や動画撮影を行わないよう注意してください。

アカマタクロマタ・小浜島

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小浜島は西表島と石垣島の間に存在する小さな離島で、石垣島からの高速船に乗ることで上陸することができます。この地で行われる祭は写真も存在しておらず、新城島と同様に現在も外部の人間が祭期間中に島を訪れることを禁止しているために謎に包まれた祭となっています。

アカマタクロマタの他に「シロマタ」もいる?

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上記に述べたうちの西表島の古見では、祭の際にアカマタクロマタという神以外にシロマタという神様も来訪します。このシロマタはアカマタとともに現れ、クロマタとは現世で会うことなく山中に消えていくとされています。古見独特の神様として祭に来訪する神様です。

アカマタクロマタをまつる新城島はどんな島か

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とある謎に満ちた神が来訪する島として最も有名で聖域も存在しているこの島。ある神秘的な秘祭が催されているだけでなく、美しい海と景色を持つことから、観光客からの人気も高いこの島はいったいどんな島なのでしょうか。この島について詳細を説明していきます。

住人が20人以下・沖縄の西表島の南東にあり

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新城島とは石垣島の南西かつ西表島の南東に位置する小さな離島であり、この島に住んでいる島民の数も合わせて20人にも満たないようなのどかな島です。きれいな海と景色をもち、観光地として人気をもちホテルも完備していることからシュノーケリングなどで訪れる人たちが多く存在します。

新城島の別名はパナリ島

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この島は別名としてパナリ島という名を持ち、これは沖縄のある方言で離れ、という意味を持っています。位置的なことからこの名前が付けられたのか、それとも神様が訪れる離れという意味からつけられたのかは定かではありませんが意味深な別名を持っています。

人気の観光地だが撮影禁止の看板が多い

この島は先ほども述べた通り、観光地として人気がありますがその地を訪れた人が不審に感じるのが島のいたるところに存在している撮影禁止、と書かれた看板でしょう。この看板はアカマタクロマタの撮影を禁止する看板なのですが、通年しまわれることなく島中に存在し、異様な雰囲気を放つことになっています。

新城島へのアクセス

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新城島へ訪れるには観光ツアーに申し込むか石垣島や西表島から出ている高速船にのることで上陸することができます。ほかにも体力に自信がある人はシーカヤックを使って新城島に向かうこともできますが、近くの西表島から出発したとしても約2時間ほどシーカヤックを漕ぐことになるので万全の準備をして向かいましょう。

アカマタクロマタを祀る新城島の歴史は?

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この不思議に満ちた神が祀られている新城島には古くからの歴史が存在します。この歴史に触れることでこの神との関連性もより見えてくるように感じられます。いったいこの島はいつから始まりどのような歴史を歩んできたのでしょうか。

アカマタクロマタを祀る新城島①古代

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日本がいわゆる縄文時代というころから平安時代にかけて、この島では農耕などは行われておらず、魚貝をとることで生活していたために、いわゆる貝塚時代とよばれていました。その後、時代が進むにつれこの島の有力者によってグスクと呼ばれる城が築かれ始めるようになります。

アカマタクロマタを祀る新城島②琉球王朝時代

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琉球王朝時代に突入するとこの島は乱戦ののちに琉球王国の支配下にはいり、農耕を行おうと試みたがこの島の土地は石灰質で農耕には不向きでした。そのために島民はこの島とは別の島に田畑を持ち、船で島を行き来しながら生活していたと考えられています。

島に残る遺跡群

島には今も琉球王国時代の遺跡が残っており、当時の栄華を感じさせますが実際に暮らしていた島民たちの暮らしはそのような華やかなものではありませんでした。島民たちは重い税や強制的な移住によって決して楽ではない暮らしを余儀なくされました。その名残がこの琉球王国の遺跡なのです。

アカマタクロマタを祀る新城島③戦後~現代

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戦後にはこの島の人口は最大700人ほどに膨れ上がり、カツオ漁によって賑わっている島でしたが、農耕に向いておらず水の出てこない不便な土地であり、学校も十分に整備されていなかったこともあいまって他の島へ移住する島民が増え人口は激減。今では観光の島として人気を集める島となっています。

アカマタクロマタを祀る新城島と人魚伝説

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この島でもうひとつ有名なのが人魚伝説です。ジュゴン漁が数多く行われたこの島には古くから人魚伝説が伝わっており、このジュゴン漁に関連する人魚伝説とこの地を訪れる神は関係性を持っているとされています。ジュゴン漁と関連のある人魚伝説とはどのようなものなのか説明していきます。

ジュゴン漁が盛んだった新城島

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この島では昔は食料として利用されていたジュゴン漁が盛んに行われていました。ジュゴンは西洋での人魚のモデルになったともされている生き物で現在は絶滅危惧種になっています。この生き物は西洋でも人魚のモデルと考えられていたように東洋でも不思議な力を持つものとして考えられていました。

ジュゴンの肉は不老不死の肉

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琉球王国ではこの肉を食べることで不老不死になることができると考えられており、その肉はとても重宝されました。また、不老不死以外の効能として媚薬にも使用できるとさられており、ジュゴンという生物自体を重要視し大事に利用されていました。現在では保護活動に形を変えながらこの神秘的な生物は大切にあつかわれています。

新城島は人魚神社(東御嶽)がある

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この神社は別名ジュゴン神社と呼ばれており、人魚との関係性を物語っています。この神社はこの島に存在する聖域であり、外部の人間はもちろん、島民であっても中に入ることは許されておらず、唯一中に入ることが許されているのは祭司だけとなっています。

祀られているのはジュゴンの骨

この神社に祀られているものはジュゴンの骨です。これは当時琉球王国に人魚の肉としてジュゴンの肉を献上した時や島民が食料としたときに残ったもので、この骨を祀ることで島民の生活を支えてくれたジュゴンへの供養としていると考えられています。

七問御嶽にはジュゴン100頭の骨が奉納されている

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同じくジュゴンの骨が関連している神社として、七問御嶽神社があります。この神社にはジュゴンの骨100頭分が奉納されており、人魚神社と同じく祭司とその関係者のみしか立ち入れない場所となっています。さらにこちらは男性厳禁という決まりもあり、女性のみが入れる神秘的な場所となっています。

アカマタクロマタ以外の日本の奇祭

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この離島のアカマタクロマタが来訪する祭以外にも、日本には古くから伝わっている奇妙な祭がいくつか存在します。そのうちのいくつかをご紹介していきます。これらの祭のような不思議で奇妙な祭が実はあなたのすむところの近くでも行われているかもしれません。

秋田県潟上市・統人行事(秋田県)

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なまはげで有名な秋田県男鹿市のある地区とで同じく秋田県の潟上市で行われている奇祭として、続人行事があげられます。この祭は、ヤマタノオロチをスサノオノミコトがうち倒すという有名な神話をモチーフに行われている祭なのですが何がこの祭を奇祭としているのでしょうか。

牛乗りが見どころの祭

このお祭りの見どころは何といっても牛乗りです。神話でスサノオノミコトが当時生贄の若い娘を求め暴れるなどの悪行を行っていたヤマタノオロチを酔わせて退治する場面を再現しているこの牛乗りは、毎年牛に乗る人が男性から選ばれ行われますが、この牛乗りがこの祭を奇祭としているのです。

泥酔状態での町内行脚

牛乗りに選ばれた男性は祭が始まる前にこれでもかというほどの酒を飲まされ、泥酔し半場意識もなくしたような状態で牛にのせられます。そしてそのまま牛の周りにサポートの男性が数人つきながらも牛乗り役の人はでいすいしたまま町内を巡回することになるのです。これがこの祭が奇祭とされている理由でしょう。

宮古島北部・島尻集落・パーントゥ

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アカマタクロマタが来訪する沖縄に存在する他の奇祭としては、宮古島北部の集落で見られるパーントゥがあります。この祭も島民以外の人に公開されている情報はごく一部で、数多くの秘密に包まれ、重要無形民俗文化財国指定もされている伝統的な奇祭です。

パーントゥの意味とは

パーントゥの正式名称はパーントゥ・プナハであり、宮古島の方言でパーントゥとは鬼や妖怪の意味を持ち、プナハとは悪霊払いの祈願のお祭りという意味をもちます。百数十年ほど前にこの島にとある仮面が流れ着き、若者がこの仮面をかぶり神聖とされている井戸の泥を全身に塗ることで神様になった、という話をもとにしているとされています。

パーントゥの姿は泥にまみれている

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もとになった話で神聖な泥を塗ったとされていることからか、祭の際に現れる3体のパーントゥたちの姿はみな異臭を放つ泥にまみれており、その姿は真っ黒で蔓を体にまき、恐ろしい仮面をつけています。その姿は初めて見る人は恐怖を抱くような恐ろしさとなっています。

大人は楽しみ、子供は逃げ回る

恐ろしい外見をしたパーントゥはゆっくりと大股で歩きながらまるでなまはげのように暴れ、人や家や車などに泥を塗りたくります。なまはげを見て子供たちが泣き叫ぶようにパーントゥを見ても子供は泣き叫び、それを暖かく見守っている大人たちという光景が祭中はよく見られます。

一見恐ろしいが無病息災を願う儀式

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外見も恐ろしく人を襲うパーントゥですが、この祭の目的は無病息災を願うことです。パーントゥはその体にまとっている神聖な泥を周囲の人々に塗りたくることで、塗られた人々の悪霊を祓いつつ縁起をつけていきます。泥を塗られることによって無病息災を願うのが奇祭とされるパーントゥなのです。

大分県岩倉社・ケベス祭

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大分県にもとある奇祭が存在します。その名前はケベス祭といい、毎年きまって10月14日に行われる秋の祭です。この祭もパーントゥと同じく無病息災を願う祭なのですが、この祭がどこから生じたのか、どのような方法で祈るのか、などの点によりこの祭も奇祭と位置づけられています。

語源も起源も一切不明の奇祭

この祭の名前であるケベス祭という名前の意味は一切不明で、何から生じたのか、いつから行われているのかに関してもその一切が不明となっているなんともつかみどころのない祭です。いつ始まったかは定かではありませんが現在も行われており、国の無形文化財にも措定されているお祭りです。

ケぺスとトウパの攻防戦

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この祭には火をつけられ燃えるシダを守る白装束をきたトウバと、どうにかしてその火に飛び込んでいこうとするおかしなな木の仮面をつけたケベスとの戦いが見られます。何度も続くこの戦いはシダの炎もあいまってとても神秘的でこの祭の見どころのひとつです。

火の粉を浴びることで無病息災に

ケぺスとトウパの攻防は9度目のケぺスの試みでついにケぺスが火に飛び込み、棒で山となっているシダをひっかき回して火の粉を撒きちらせると、その後にはシダを守っていたトウバも火のついたシダを手に持って走り回り、祭の参加者を追いかけ回します。この際の火の粉を浴びることで無病息災になるといわれています。

長野県諏訪地方・御柱祭

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御柱祭とは長野県の諏訪地方で7年ごとに1度だけ行われる最も危険とされている奇祭です。この祭は古事記にある出雲の大国の主神が高天原にすまう天照大御神の使者たちに国譲りをする場面をもとに行われている祭で長い歴史を持つ神事でもある。

日本最古にあたる祭のひとつ

この祭は2000年以上のもの昔に国譲りに反対する者たちがこの長野の地に逃れ、そして閉じ込められてしまったたことに由来していることから、紀元前に近いころから行われていた日本最古にあたる祭の1つであるといえます。長年もの間この危険な祭はとり行われてきました。

樹齢150年もの大きなもみの木が山を滑り降りる

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この祭の見どころは何といってもこの祭の名前となっている御柱である樹齢150年をも超える大きなもみの木を山から人里におろすためにする山出しの2日目に行われる木落しでしょう。重さ10トンをゆうに超えるであろう巨木を人の手で山の傾斜からおろすその光景は圧巻の一言です。見物客も多いこの光景ですが危険も潜んでいます。

多数の死亡事故が発生しつつもなお行われている御柱祭

この祭は巨木を山から人里におろす際に多数の死亡事故が発生しています。その事故件数は1回の祭において平均1人以上の死者を出している日本一といってもいいほど危険な祭です。その死亡者には祭の参加者だけでなくただ見物に来た人も木をおろす際の落石に巻き込まれ死亡しています。見に行きたい方は十分気をつけてください。

アカマタクロマタは島豊年祭に登場する撮影禁止の訪問神

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アカマタクロマタはとある沖縄の離島に代々伝わり大切にされてきた豊穣の訪問神です。撮影禁止という神秘性からどうにかその姿を写真や動画に収めようとする人々から島民が必死に守って今まで続いています。この神秘性を保つためにも外部の人間はむやみに手を出さず見守っていくことが大切です。

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