佐藤には懲役8年が言い渡されます。こちらも被害者の殺害に関しては小林の指示のもと行ったために、軽い求刑で済んだようです。しかし、彼の裁判での様子は小林の思いを裏切るようなものでした。なんでも、小林が怖くて自分も殺人に加担せざるを得なかったという趣旨の発言をしているそうです。
そもそも、巻き込んだのは佐藤であり、助けを求められた小林は当初被害届を出すように助言しています。しかしそれでは気が収まらず、広畑の仕返しの提案に乗りました。それにもかかわらず、それを全てなすりつけるような発言は、友達を守るために行動した小林がいたたまれずに同情さえしてしまいます。
小林竜司たちへの判決⑤その他の加害者たち
また、その他この件に関与した人物については、自ら進んで暴行に加担した白銀資大は懲役20年、佐山大志は懲役7年になりました。また、被害者を埋めるように指示した岡田浩次にも懲役17年が言い渡されました。電話越しでは物事に現実味がなく、軽々しいことを口にしてしまいそうですが、自分の発言には責任を持たねばなりません。
暴力に対し暴力で仕返しをするというのは正義とは言えません。どのような大義があったとしても人から誘われて軽い気持ちで加担するのは良くないことです。法の下では誘われたから行っただけだという言い訳は通用しませんので、トラブルに巻き込まれた時は物事を俯瞰してよく考える方が身のためと言えます。
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小林竜司への死刑判決に世間はびっくり
この死刑判決に関しては、世間で様々な意見が飛び交っています。死刑は重すぎるという同情的な意見がある一方で、その殺害の方法は残虐非道であり、死刑は妥当だという意見もあります。この事件は加害者側にも被害者側にも同情できる余地があるため、そのどちら側につくかで意見が分かれるようです。
小林竜司への世間の声①「死刑は重すぎるのではないか?」
そもそも事件の発端となるのが被害者側による加害者側への一方的な集団リンチと恐喝であるため、被害者にも非があるとして死刑判決を重いと感じる方も多いようです。ここまで過激な反撃に出なければ、立場が逆転していてもおかしくない状況であったことは否定できません。
被害者である藤本らがヤクザを騙り加害者である徳満らを脅したために、加害者側は追い詰められて、自分または仲間の身を守るためにこのような強行に及んだというのがこの事件の筋書きなので、このような結果になったにも納得がいくとして、加害者側への同情の意見も少なくないようです。
小林竜司への世間の声②「2人も殺害しているなら妥当」
小林らへの同情の意見がある一方で、その犯行はかなり残虐なものだったため、死刑を妥当と考える方もいます。きっかけは些細な恋愛トラブルであり、被害者側もやり過ぎたところはあるものの未来ある2人の若者を死に至らしめてしまった罪は大きく、死刑という判決には納得との声も多数あります。
確かに、冷静になって考えてみれば数々の脅しも嘘であるという事に気が付けたのかもしれません。問題の解決の方法は他にいくらでもあった筈であるのにも関わらず、こういった結果をもたらしたのは悪質だと考える人も多いようです。実際、最初に被害届を出したままにしていれば、そのまま解決していたでしょう。
小林竜司への世間の声③「喧嘩両成敗なところもある」
加害者側に同情の意見が上がる一方で、被害者の藤本には実際にヤクザの知り合いなどは居なかったと言われています。つまり、ヤクザを仄めかすような発言は加害者を怖がらせるためについた嘘であり、金を払わなかったら殺すというような内容の発言も本気ではなかったのではないかという事が推測されます。
この事から、被害者側には殺意がなかったと考える人からは「喧嘩両成敗なところもあるのでは」、「全員が加害者である」という意見も上がっています。先に暴力を行使したのは被害者側のため、加害者側に対しての同情の意見が多い一方で、このような被害者側にも同情すべきという意見もみられます。
小林竜司と母の現在は?
裁判によって死刑が確定した小林竜司ですが、現在の様子はどのようになっているのか?また、小林の愛する母は現在どういった生活をしているのか、気になる方も多いのではないでしょうか?現在獄中で過ごしている小林と、その母親の現在について分かっていることをご紹介していきます。
死刑囚のため今も収監中
小林の死刑はいまだ執行されておらず、現在も収監されています。いつ執行されるともわからない状況の中、小林は今も刑務所の檻の中にいるという事です。現在は死刑の判決を受け入れており、執行を待っている状況です。いつか来る死を受け入れて過ごす日々とは果たしてどのようなものなのでしょうか。
刑の執行は事前に知らされるものではなく、当人に対しても1時間前になって初めて知らされるそうです。1時間という短い時間では心の準備もままならない事でしょう。家族に対しても事前に知らされることは一切ありません。いつが最後になるかわからない日々を、噛み締めるようにして生きていくしかありません。
小林竜司の情報はなし
収監中のため、残念ながら現在の小林の情報については明らかになっていません。まだ死刑が執行されたとの情報はありませんので、刑務所の中で慎ましい暮らしをしてることが予想されます。大変な事件を起こしてしまったことを今は悔い改め、真面目に過ごしているそうです。
遺族に対しても、どうにかして謝罪の気持ちを示したいのか、手紙をしたためたこともありました。手紙の中身は写経をしたもので、仏壇に供えてほしい、とのことでした。遺族からすればどのように反省の形を示されたところで、決して許せることではないかもしれませんが、彼には謝る以外、他にできる事は無かったのかもしれません。
母親は被害者への賠償金を貯めている
一方で小林竜司の母親は、被害者への多額な賠償金を支払うべく、お金をためているそうです。生活保護を受けているという情報もあり、毎月その中から賠償金を積み立てているそうです。このようなことから、その生活はかなり困窮しているのではと想像することができます。
小林竜司との文通・接見による交流を記録した書籍も
小林竜司との文通や接見による交流を記録した書籍があります。実際に小林と交流した著者によるノンフィクションの作品の内容は、小林の心情や反省の気持ちをうかがえる貴重な書籍です。また、彼との交流を通して徐々に変わり始める著者の心情も、まさに人と人の対話といった臨場感があり、興味深い内容です。
『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』
「慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話」というタイトルの書籍は、著者が小林との文通や接見などを通じて小林が真摯に罪を認め、犯した行為を深く悔い、被害者やその遺族の為に死刑を受け入れようとしている姿から「彼をこのまま死刑に処してよいのか」と考えるようになっていくという内容になっています。
友を守るため、被害者を残酷な方法で殺害してしまった小林竜司が、今事件について何を思っているのかは大変興味深いです。気になる方はぜひこの書籍をお手に取って、この事件について、又は死刑制度について考えを深めてはいかがでしょうか?
『慈悲と天秤 死刑囚・小林竜司との対話』に対する世間の声
この書籍を読んだ人からも様々な意見が上がっています。著者は、小林と交流する内にだんだんと友情のようなものを感じ始めます。最終的には「自分の友達を殺さないでほしい」という様な気持ちになるという様な内容から、著者の人間性に対して興味を持つ方も多いようです。
年頃も近いので、この交流を通して特別な感情が芽生えるのも理解できます。そして、死刑に対する疑問が著者の中で産まれ、それを受けて読者自身も死刑に対して考えるきっかけになったという感想もあります。更生の余地が残された若者の命をこのまま闇に葬っても良いものか、考えさせられる書籍です。
「東大阪集団暴行殺人事件」を題材にした映像作品も存在する
また、この「東大阪集団暴行殺人事件」を題材にした映画も制作されています。東大阪集団暴行殺人事件に忠実なストーリー展開になっており、過激な暴力表現や性的表現があることからR15+指定の作品となっています。暴力表現もかなりリアリティーのある作品なので、ショックを受ける方もいるようです。
パッチギ!を手掛けたことで有名な井筒監督が手掛けた作品
映画「パッチギ!」を手掛けたことで有名な井筒監督がメガホンを取って作られた映画「ヒーローショー」というのが、この東大阪の事件をもとに作られた作品です。若者の絶望とリアルをテーマに掲げ、非常に生々しい若者の生きざまが描かれたこの作品です。リアルさを表現するためにキャスティングにもこだわったそうです。
昨今の暴力を格好よく表現した青春映画とは一線を画した、暴力を美化しない表現というのが井筒監督のこだわりだそうです。そのリアリティーのある表現から、暴力の生々しさや恐ろしさといったものが人々の心に突き刺さるような、観た後に非常に考えさせられる作品です。
ジャルジャルが主演の映画「ヒーローショー」
この映画は主演を芸人のジャルジャルのお二人が演じています。芸人である彼らを主演に起用したのは、かっこつけないからこそ切なく、独特の色気のある演技を井筒監督が求めていたからでした。この作品はリアリティーを徹底的に追求した作品なので、俳優さんの作り込まれた演技では少し大げさだったのかもしれません。
芸人だからと言って侮るなかれ、彼らの演技はこの世界観や難しいキャラクターの人間性を見事に表現しました。大げさでない、リアルな演技でまるで知り合いであるかのように観るものの心をひきつけ、観客をこの作品の世界に没入させます。そのためにこの作品を見終わった後も頭の中で考えがめぐってしまう、観終わった後も心を離さない映画です。
「ヒーローショー」のあらすじ
芸人のジャルジャルが主演を務める「ヒーローショー」という映画は、ヒーローショーの悪役のバイトをしている気弱な男性が主人公となります。ある日主人公のバイト仲間が主人公の先輩の彼女を寝取ってしまったことから彼らは舞台上であるにもかかわらず本気の殴り合いを始めます。
しかしそれだけに留まらず、主人公らを巻き込んでバイト仲間を強請ろうとするが、バイト仲間の方も仲間を集めて報復に出て、ついには決定的な犯罪が起きてしまう、といったストーリーになっています。きっかけとなる出来事は大げさに描かれていますが、まさに東大阪集団暴行殺人事件そのものといった感じです。
「ヒーローショー」に対する世間の評価
この映画を見た人からも様々な感想が寄せられています。まず最初に目立つのが、主演を務めたジャルジャルの演技に対する評価です。キャラクターの人間性や感情を絶妙に演じた二人はかなり高い評価を得ています。普段の芸人としての姿とのギャップに驚きを感じる人もいました。
また、この映画はリアルな暴力描写というのにこだわって作られているため、その描写が生ぬるいと感じる方もいるようです。映画の派手なアクションシーンを見慣れていると、生ぬるく感じるのかもしれません。現実ではその”生ぬるい”暴力で人はあっけなく死んでしまうものです。その絶妙なリアリティーに逆に恐怖する人もいました。
「ヒーローショー」のストーリーと元となった事件との違い
この映画は、元となった事件に忠実に作られたものではありません。映画の中ではきっかけとなった出来事は決定的な肉体関係による浮気でしたが、実際はメールでのやりとりのみでした。また、元となった事件では”友情”の印象が大きく残る出来事ですが、映画の中では人物がより凶悪に描かれており、暴力の恐ろしさを感じます。
暴力に暴力で応酬する、とめどない暴力の連鎖という点は実際のものと共通点がありますが、作品の登場人物の人間性というものは実際のものとは別のものとしてみた方が良いのかもしれません。いずれにしろ、暴力表現などもリアリティーがあるためにかなり後味の残る作品です。
その他の死刑判決が下った事件
他に死刑の判決が下った事件にはどのようなものがあるのでしょうか?他の事例と比べて、今回の「東大阪集団暴行殺人事件」の判決は果たして重かったのかどうか考えてみましょう。実際に死刑判決が下った事件を今回の「東大阪集団暴行殺人事件」と比較しながら考えるきっかけにしてみてはいかがでしょうか。
附属池田小事件
付属池田小事件とは、2001年6月8日に宅間守が起こした小学生無差別殺傷事件です。事件の大まかな内容は、犯人である宅間が大阪教育大学付属池田小学校に侵入し、次々と小学生を襲撃したという凄惨な内容となっています。
また、宅間の裁判での様子も公判中にあくびや貧乏ゆすりをしたり、遺族を睨みつけるなどし、反省の色が見えないことから世間の反感を買いました。この事件に関しては学校側の対応不足もあり、被害者も多いことから事件当初はかなり混乱を極めました。付属池田小事件についての詳しい内容が気になる方はこちらの記事でご覧になれます。
和歌山毒物カレー事件
和歌山毒物カレー事件とは、1998年7月25日に和歌山県和歌山市園部で起きた毒物混入事件です。この事件により、67人が中毒症状を起こしその内の4人は死亡してしまいました。犯人とされるのは林眞須美という人物で、林は無罪を訴えたものの2009年に死刑が確定しました。
この事件の初公判の傍聴希望者は5220人で、これは当時では事件前に名の知られていない人物としては最高記録でした。また、林には動機がないことや、状況証拠のみであるために冤罪の可能性を指摘する人もいます。この事件についてもっと詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。
埼玉愛犬家連続殺人事件
埼玉愛犬家連続殺人事件とは、1993年に埼玉県熊谷市周辺で起きた連続殺人事件です。犯行を行ったのは元夫婦である関根元と風間博子で、二人は「アフリカケンネル」というペットショップを営んでおり、詐欺まがいの商売を行っていました。そのため顧客とのトラブルが絶えなかったそうです。
2人はある顧客とのトラブルをきっかけに、連続殺人鬼へと変貌します。犬の殺処分用の硝酸ストリキニーネという毒物を用いて毒殺し、遺体を風呂場でバラバラにした上で骨をドラム缶で焼却するなど入念に処理しており、「遺体なき殺人」とも呼ばれました。この事件について詳しく知りたい方はこちらの記事をご覧ください。
死刑制度に対する世間の意見
死刑制度というものに対してはかなり賛否の分かれる意見が挙げられています。いくら国が認めているからと言っても人の命を奪うという事はかなり重大な事であり、そのことを好ましく思わない意見があっても当然です。しかし、世間の意見では死刑に肯定的な意見が過半数を占めています。
残された遺族の気持ちを考えると、死をもって償うというのが妥当だと思う人が多いようです。一方で、冤罪だった場合の事を考えると取り返しがつかないとして、死刑制度に異議を唱える方もいます。確かに、何の罪もない人の命が国によって奪われる可能性があるというのは問題があるようにも思えます。
死刑制度のある国
現在、死刑制度のある国は世界的に見ても少数派に属します。G7の中ですと、日本とアメリカの2か国だけです。アメリカも州の中では廃止されている州も存在します。このため、世界からは日本の死刑制度を批判するような声も少なくありません。世界的な意見としては、いかなる理由でも人の命を奪うのは野蛮として好まれないようです。
しかし、アジアの周辺では未だに死刑を導入している国々が多いようです。中には死刑執行人という職業を神聖なものと称える風潮のある国もあるほどです。では、死刑を廃止した国では重罪犯にはどのような処罰が下されるのでしょうか。死刑を廃止した国の多くはその代りに終身刑を導入していることが多いようです。
死刑と終身刑の違い
死刑の代わりに終身刑制度を導入している国があるという話をしましたが、その違いというのはどういったものなのでしょうか。終身刑というのは、よく仮釈放を認めず一生涯に渡って投獄されるものと誤解されますが、実際はそうではありません。実際は仮釈放の可能性のあるものと、ないものの2種類が存在します。
以上の事からして、日本でいう無期刑に近い刑罰であることが分かります。そうやって考えると、とても死刑の代わりとは言えないような気もします。日本から死刑が廃止されない理由の一つとして、この命には命で償うといった形が犯罪の抑止力になっているからなのかもしれません。
小林竜司が起こした「東大阪集団暴行殺人事件」
これが、小林竜司が起こした「東大阪集団暴行殺人事件」の全容になります。法律の世界では結果によって違法性を判断する「結果無価値論」と、結果だけでなくそこに至るまでの行為にも違法性を見出す「行為無価値論」という考え方があり、現在でも論争されている問題です。
この「東大阪集団暴行殺人事件」に関してこれほど人によって考えが違うのは「結果無価値論」か「行為無価値論」という異なる二つの考え方によるものでしょう。特に、被害者側が行った行為に対してどれほど悪質性を見出すかという事が、小林に対する死刑という判決を重いと取るか、妥当と取るかの考え方の違いなのでしょう。