名古屋で活躍する宮地佑紀生が起こした暴行事件
名古屋を中心に活動されている宮地さん。長期に渡って大人気のラジオ「聞いてみや~ち」の番組内で、パートナーの神野さんに暴力を振るってしまった事件。番組の放送中でということもあり、世間に衝撃が起こったこの出来事。詳細と背景等を考えていきます。
宮地佑紀生は名古屋を中心に活動するローカルタレント
名古屋を中心として番組に出演、コマーシャル出演等の芸能活動で活躍している宮地さん。以前はアクセサリーの店も営んでいました。また、バンドを結成し、音楽活動も行っており、マルチな才能を発揮、知名度も上がっていきました。
日本テレビ系列「メレンゲの気持ち」宮地さんを密着、「名古屋のみのもんたと言われている」、お昼の顔と言われ、名古屋では知らない人はいないという有名な人気タレント、と紹介されているほどでした。
ラジオの生放送中に暴行を働いた宮地佑紀生!
2016年6月27日、「聞いてみや~ち」の放送中の番組内で、共演者の神野さんに暴力を振るった出来事。足を蹴り、マイクで顔を殴る等の障害の疑いで2016年6月30日、逮捕となったのでした。
放送中の暴力事件の為、ローカルラジオにもかかわらず、全国ニュースで報じられたのです。不名誉なニュースで全国に知られた宮地さん。テレビ、ネット上で色々な憶測が飛び交っていました。テレビでも生中継時に刺される出来事がありました。大騒ぎとなった「豊田商事事件」はこちらをご覧ください。
宮地佑紀生が起こした事件!ラジオの生放送中に神野三枝へ暴行
放送中に暴力を振るうという衝撃的な出来事。ローカルラジオの番組の中で起こった事件の内容は、全国に報道されて話題となります。暴力行為の詳細、暴力を受けた神野さんの怪我の程度を詳しくみていきます。
2016年6月27日のラジオ生放送中に共演者・神野三枝へ暴行
放送中に暴力を振るうという衝撃的な出来事。地方のラジオの番組の中で起こった事件の内容は、全国に報道されて話題となります。暴力行為の詳細、暴力を受けた神野さんの怪我の程度を詳しくみていきます。
足を蹴ったりマイクで殴ったりと全治10日の怪我を負わせる
どのような暴力行為だったのか?左膝を複数回蹴り、マイクで顔を叩いたといいます。神野さんは唇の左下にあざ、左足の膝下にも青あざができ、全治約10日の怪我を負ってしまったのです。事件より前から宮地さんに乱暴な態度をとられることが度々あった為、今回の暴力と合わせて精神的なダメージも受けています。
暴力を振るわれながらも番組のエンディングまでやり遂げた神野さん、どんなに怖く、つらかったことでしょう!通常は、宮地さんが怒り出してもなだめて、かわして、うまく番組を進めてきた神野さんだったのですが、今回のように暴力を振るわれたことがなかったので、戸惑っていたようです。
生放送中の暴行事件から宮地佑紀生はどうなった?
放送中の番組内で起こった信じられない出来事。被害を受けたの神野さんは暴行のあった次の日、愛知県千種警察署に被害届を提出。その後、6月30日に傷害の疑いで宮地さんの逮捕となりました。宮地さんは「間違いありません」と容疑を認めています。
翌日の7月1日に名古屋地検へと送られた宮地佑紀生
逮捕の次の日、7月1日。地方検察庁に送検されますが、同日中に釈放となります。今後は、任意で捜査を続けていく方針とのことです。暴力を振るった動機等、まだ明らかになっていないことがこの先わかってくるのか?番組関係者、所属事務所等から詳細な情報が出ていなかった為、ネットでは色々と噂が飛び交っています。
2016年12月傷害罪で略式起訴!罰金30万円を支払う
約半年経った同年12月、検察が宮地さんを傷害の罪で略式起訴、簡易裁判所より罰金30万円の略式命令が出て有罪確定となります。裁判では罰金の略式命令だけですが、失ったものはとても大きいものでした。(略式命令とは簡易裁判所が公判手続を経ず非公開で罰金又は科料を科す刑事手続のことです。)
芸能人が起こした暴力事件で最も有名な出来事とは、ビートたけしさんが起こした「フライデー襲撃事件」が挙げられます。事件は放送では流れなかったのですが、何もかも失ってしまう可能性がある有名人が起こした大きな出来事です。詳しくはこちらをご覧ください。
宮地佑紀生が暴行事件を起こしたラジオ番組「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」
放送中ラジオの番組内で暴力事件が起きた「聞いてみや~ち」は、東海ラジオ放送、月曜日~木曜日の午後1時から放送、名古屋を中心にとても人気のあるラジオ番組でした。名古屋では知らない人はいないと言われる番組だったとのことです。
1997年から始まった長寿番組「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」
「聞いてみや~ち」1997年4月に始まり、暴力事件が起こった2016年6月まで、19年3ヶ月間続いた長寿番組です。そんなに長く続く人気番組だっただけに、なぜ暴力を振るったのか、番組スタッフは「どのような事が不満だったかわからない。何らかの行き違いがあったのかも」と語っています。
「宮地佑紀生の聞いてみや〜ち」は聴取率も高い人気番組だった
「聞いてみや~ち」は名古屋で聴取率ナンバーワンの無敵の番組でした。2002年から始まった中京地区ラジオの聴取率調査では、いつも平日午後の時間帯で1位を続け、更に全番組の調査でも何度も1位となった人気番組とのことです。
2015年6月以降は裏番組であるCBCラジオ「北野誠のズバリ」が1位を続けることが多くなり、放送当初より、月~金まで放送されていたのですが、2016年3月より月~木に縮小されてしまいました。聴取率も下降傾向だったので、人気番組としての限界が近づいてきていたのではとの声もありました。
宮地佑紀生と被害者・神野三枝も名コンビとして知られていた
「聞いてみや~ち」は宮地&神野の絶妙なトークで人気があり、行き過ぎた言動をしてしまう宮地さんを神野さんがなだめ、または厳しい返しで止めるという「言葉はきついが、お互いにわかり合える夫婦のような存在」名コンビとしてリスナーに親しまれてきました。
「聞いてみや~ち」内で放送をしていた、ラジオコマーシャル「ワークマン」(吉幾三さんのコマーシャルが有名)宮地さんと神野さんが仲良くコンビで出演、息の合った掛け合いが人気のコマーシャルでした。
宮地佑紀生はなぜ神野三枝へ暴行を働いたのか?その真相とは
宮地さんはなぜ番組の放送中に、神野さんに対して暴力を振るったのか?ネット上で暴行時の音声を確認できますが、言葉のやりとりだけでははぜ宮地さんが怒り、手をあげてしまったのか不透明です。ネット上の噂も含めて真相を探ります。
真相が明らかになるまでさまざまな憶測が飛び交っていた
宮地さん本人からも、番組サイドからも今回の出来事についての詳細などは、記者会見やコメントの発表もありませんでした。その為ネット上で様々な憶測が飛び交っていました。噂も含めて暴力事件が起こった理由について何件か見ていきます。
宮地佑紀生がキレた理由?①リスナーからのお土産
神野さんが番組の放送中、リスナーへのプレゼント当選者よりお土産をもらったことを紹介。それがリスナーとの癒着や公平ではないと疑われてしまうのがよくないという懸念があり、宮地さんがその事を窘める為に怒ったのではないか?でもそれだけで暴力を振るうのか疑問の声がありました。
宮地佑紀生がキレた理由?②松山千春からのプレゼント
かねてより「年下の兄貴」と慕う、歌手の松山千春さんより、今回放送のリスナーあてプレゼントを提供していただいており、その事を神野さんが番組の中できちんと伝えていなかったため、怒ってしまい暴力を振るった?とリスナーの間で噂になっていたとの事です。
宮地佑紀生がキレた理由?③礼儀を欠いた発言
神野さんが宮地さんのお嬢さんのことを「大門で働いてるっていうウワサがある」と冗談交じりに言い、これに怒って暴力を振るったのではないか?(大門は名古屋の風俗街)この件は実際に放送を視聴していたリスナーの方より「こんな発言はなかった」との証言もあり、デマだと思われます。
宮地佑紀生がキレた理由?④更年期障害
暴力事件以前より、神野さんに対して、度々威圧的な態度をとることがあったと言います。その為、今回キレて暴力を振るった原因は更年期障害では?という見方があります。しかし、今まで暴力を振るう事はなかったといいます。なぜ急に暴力を振るったのでしょうか?
更年期障害は女性に多くみられるとされていますが、男性にも多く、集中力低下や些細なことで怒りだしたりするとのこと、年齢的には考えられますが、所属事務所によるとこのような症状があるとは、聞いていないとのこと、通院や服薬もなく、自覚はかったと思われます。
結論として“番組進行に不満があった”と語っている
様々な憶測が飛び交った暴力事件の原因は、宮地さんが警察の事情聴取で「番組の内容、進め方に不満があった為」と供述したとされています。長い間、同じ番組が続いた為、今までの不満が蓄積して、些細なことで気持ちが爆発し、暴力を振るったのではないでしょうか。
宮地佑紀生とはどんな人物なのか?生い立ちなど紹介
宮地さんは、名古屋市で生まれ、育ったのも名古屋市、生粋の名古屋っ子です。小、中、高校と名古屋で過ごし、活躍の場も名古屋を含む中京圏を拠点にタレント、バンドマン等、多彩なジャンルで活躍しています。
愛知県に生まれた宮地佑紀生!愛知学院大学を卒業
愛知学院大学を卒業、その後専門学校東京デザイナーズ学院に入学します。その後、23歳の若さでアクセサリーの店「三百六拾六日の店」を開きます。この時はまだ、芸能人になって、ラジオのパーソナリティーをやるとは想像していませんでした。
アクセサリーの店「参百六拾六日の店」を経営
アクセサリーの店「三百六拾六日の店」を開き、その後、続々と新店舗を増やしていきました。豊橋、軽井沢等、全国に13店を構えますが、だんだんと借金が増えていき、次々と店を閉めることになってしまいました。最後まで残った店を譲って、芸能活動を専業でやっていこうと決心したのでした。
生CMへ出演したことをきっかけにタレントとして活動開始
25歳の時、当時の名鉄セブン(のちの名鉄ヤング館。2011年閉館)の社員で作る生コマーシャルに出たことがきっかけで、東海ラジオプロデューサー塩瀬修充氏の目にとまり、ラジオパーソナリティーとして芸能活動を開始しました。
当時、「ミッドナイト東海」の出演者起用にあたり、東海ラジオの社内会議で懸念の声が上がったといいます。そんな中、塩瀬修充氏が強く推した為、出演が決まりました。タレントを始めた最初の頃は「ミッドナイト東海」「どんどん土曜大放送」に出演。知名度がどんどん上がっていきます。