上九一色村の現在は?オウム真理教サティアンのその後は?
上九一色村は、山梨県にある静かな田舎町です。村からは富士山を眺めることもでき、風光明媚な観光地でもあります。しかし、この平穏な村を騒がせる大きな事件があり、平和な生活を脅かされる事態が起きました。それが「オウム真理教」に関する一連の事件です。
現在では、教団は解散され、上九一色村に残されていた関連施設もなくなり、跡地は公園に改装されたり、緑豊かな更地に戻っています。教団が去った後の上九一色村について、過去の事件に触れながらその魅力を紹介していきます。
上九一色村は平成の大合併により名前が消える
上九一色村は、2006年に市町村合併により合併吸収されています。合併の形式も非常に珍しく、南部・北部と分割されての合併になっています。南部は富士河口湖町、北部は甲府市に吸収され、現在は地域名にも上九一色という名前は使われておらず、完全に消滅しています。
上九一色村にあったオウム関連施設は全て解体
上九一色村には、オウム真理教の関連施設が多く作られており、7つほどあったそれらはサティアンと呼ばれる活動拠点やプレハブで構成されていました。しかし、オウム真理教が解団した後はすべて解体され、跡地は公園に利用されていたり、空き地としてそのまま保全されているなど様々です。
サティアンがあった場所は富士ケ嶺公園へ
第2~3、そして第5サティアンがあった通称「第1上九」地区は、現在では富士ケ嶺公園として再利用されています。この公園では、見晴らしの良い展望スペースから富士山眺めることができ、ツーリングやサイクリングで訪れた観光客が立ち寄る定番スポットになっています。
上九一色村には慰霊碑が立てられている
また、富士ケ嶺公園内には教団の厳しい修行による死亡者や、有名な地下鉄サリン事件で犠牲になった人々の鎮魂を目的として建てられた慰霊碑があります。事件から25年近くたった今でも、慰霊碑を訪れる人は後を絶たず、悲惨な事件を伝える役割を果たしています。
核廃棄物が埋められているという噂も
教団が活動するための施設は数多く作られていましたが、その本拠地では毒ガスの研究開発や、果ては核武器の開発もされていたという噂がありました。しかし、解体後に核廃棄物に関しての調査などは行われていないため、噂の域を出ないでいます。
上九一色村のその後①救世主とはならなかった「富士ガリバー王国」
オウム真理教が去った後の上九一色村には、事件の印象を払拭し活気を取り戻そうと遊園地が作られました。しかし、様々な問題や障害があり、現在は残念ながら閉園しています。現在では、跡地は更地になっています。
運営会社のメインバンクが経営破綻し僅か4年で閉園
富士ガリバー王国は、新潟中央銀行による「プロジェクト・ゴールデンリング」という融資プロジェクトの一環として建設されました。しかし、その新潟中央銀行が経営破綻してしまい、運営が困難になったため開園からわずか4年でその歴史に幕を下ろします。
アクセスの悪さなど様々な不利な要素も多かった
富士ガリバー王国が作られた場所には、電車やバスなどの公共交通機関の提供があまりされていませんでした。そのため、観光客を呼び込み難かったことにくわえ、近くに富士キューハイランドが開園したこともあり、生存競争に負ける形となりました。
上九一色村=オウムという負のイメージは消せなかった
教団の解散については大々的に報道されていたにも関わらず、やはり悪い理由で名前が広まってしまった風評被害の影響は大きいものでした。教団が起こした、戦後最悪とも言われる被害者数を出した地下鉄サリン事件が世間に与えた傷跡はあまりにも大きかったのです。
閉園後は心霊スポットとしても有名に
富士ガリバー王国には、ガリバー旅行記をモデルに作られたテーマパークということもあり、物語の主人公であるガリバーを模した巨大なオブジェがあります。閉園後は、静まり返り荒れ果てた廃墟群の中に巨大なオブジェが横たわっている、という奇妙な雰囲気から心霊スポットとして有名になりました。
遊園地という楽しい雰囲気に包まれているはずの場所が、雑草は伸び、建物は荒れ放題の状態になっているギャップが訪れる人に不気味な印象を与えるのかもしれません。施設の雰囲気からか、ホラー番組のロケ地として利用されたこともあるようです。富士ガリバー王国については、こちらの記事で詳しく紹介しています。
上九一色村のその後②ドッグランがオープン
富士ガリバー王国の閉園後は、その跡地を再開発したドッグランがオープンしました。広い敷地を活かした、広大な遊び場を売りにしていましたが、やはり来場者数の上昇は見込めず、こちらの施設も現在は営業を休止しています。
タカギリゾートが「ザ・ドッグラン」をオープン
富士ガリバー王国閉園後に跡地が競売にかけられ、その結果タカギリゾートという会社が競り落とし「ザ・ドッグラン」という名前のドッグランを開園しました。しかし、開園からわずか1年足らずで営業を休止してしまっています。
またしても交通の便の悪さにより営業休止
このドッグラン施設の休止理由も、やはりアクセスの悪さから来る来園者数の伸び悩みでした。施設近くの鉄道駅からもかなり距離があり訪れるには車が必須だったため、愛犬を連れて休日に、と気軽にレジャー先の候補としてあがることは難しかったようです。
2007年には解体され更地に
富士ガリバー王国からドッグランへの変遷を経た同地区ですが、ドッグランの閉園後は別の業者が買い取り、残されていた廃墟群や関連設備はすべて解体されています。現在も利用先の目途は立っておらず、最低限の管理のみがされているようです。
オウム真理教の拠点時代の上九一色村
当時はテレビ番組に信者が出演したり、教祖である元麻原死刑囚が選挙に出馬するなど、積極的に宣伝活動を行っており、教団の知名度はかなりのものでした。今までの章ではオウム真理教が撤退したあとの上九一色村について紹介してきましたが、教団が盛況していた当時はどのような村だったのでしょうか?
上九一色村はオウム真理教の拠点になっていた
上九一色村には、オウム真理教の研究施設や修行施設、またそれらを利用する信者が生活するための建物など多くの関連施設が建てられていました。事件前はオウム真理教に対するマイナスイメージは少なかったため、村側も町おこしのような誘いをされ、徐々に教団の最大の活動拠点になっていきます。
上九一色村にはサティアンが点在
当時の上九一色村には、12のサティアンと呼ばれる教団の活動拠点の建物がありました。サティアンにはそれぞれ役割があり、兵器や薬剤の研究をする施設から、教祖の愛人をかくまう施設、果ては死体焼却機器が置いてあるサティアンまで存在していました。