たまたまお母様とあった時に「どこか病気なの?」と質問をされたことで病院を受診し病気が発覚しました。
単純に我が子の異変に気がついた、ということもありますが霊感の強いお母様なので”見えていた”のだと思います。
手術成功!精力的に活動再開
病気に気がついてからはすぐさま知り合いの医者に対処をしてもらい、無事に手術は成功しました。
しかし肝臓は広い範囲までガンに犯されていたため、約4分の1のサイズを切り取ることになりました。
それでも術後の経過は良好で、精力的にライブやテレビ出演を続けていました。
肝臓ガン再発
喜びもつかの間、わずか10ヶ月ほどたった1996年に肝臓ガンの再発が発覚します。
いつもの経過観察の受診で再発が確認され、当時交際していた一美さんと共に深い悲しみに襲われました。
そこからは進行も早く、様々な臓器に転移し手術を繰り返す日々が始まりました。
Contents
池田貴族の闘病生活と大切な娘の存在
池田貴族がガンと戦うこととなった時期、その辛い心を支えていたのは娘さんの存在が大きくありました。
池田貴族「娘が3歳になるまでは」の決意
闘病中「娘が3歳になるまでは生きたい」と語っています。なぜ3歳なのかというと「3歳ならば父親の記憶に残るから」という理由です。
この強い意思も虚しく娘さんが1歳と半年が過ぎた頃に亡くなってしまいました。
池田貴族元アイドルと同棲・結婚
池田貴族さんはお仕事の関係で知り合った元アイドルの一美さんと1996年に入籍しました。
お付き合い自体は1992年から始まっており、約4年ほどの同棲生活を経て結ばれました。
96年にはすでに病気が判明していましたが、それも承知の上で一美さんは結婚を決意しています。それだけ二人の絆は強いものでした。
池田貴族ガン再発と娘の誕生
1996年にはガンが再発してしまっているのですが、一美さんはそれでも一緒にいたいと入籍を決意、翌年には妊娠も分かり1998年2月に長女の美夕ちゃんが誕生しました。
その時すでに病気は進行しており、もはやステージは4のいわゆる末期ガンで進んでいた状況でしたが、貴族さんは娘のためにも必死に病と戦っていたのです。
ライブ「大生前葬」
貴族さんはなくなるまでの間に大生前葬というチャリティライブを行なっています。またライブの直前4月には、愛娘である美夕ちゃんのためにシングル曲『MiYOU』も発売し、最後まで精力的に活動していました。
特に貴族さんの出身校である愛知県立千種高校の先輩にあたる舘ひろしさんも参加しました。しかし出演依頼はとても難しい問題があったのです。
当時人気絶頂で出てもらうにはギャランティなどの面でスタッフ達は悩みに悩んでいました。しかし館さんに何度か相談をしている際に直接お手紙で出演をノーギャラで受けてくれる知らせが届きました。
「高校の後輩で、芸能界の音楽を愛する後輩が、その死にざまを見せようとしているときになぜ俺が金をほしがるのか?俺は一切の金は受け取らない。」(引用:中村区中村町の中村)
このライブは友人であるみうらじゅんさんや山田雅人さん、いとうせいこうさんなどがあつまり、3000人規模の会場を満杯にし、多くの人に支えられ、また影響を与えていたことが分かります。
池田貴族と大槻ケンヂの友情
同じホコ天、イカ天時代に活動していたバンド仲間は貴族さんの周りにたくさんいました。その中でも大槻ケンヂさんとの親交は特に深かったようです。
大槻ケンヂが書いたエッセイ本『神奈、頭をよくしてあげよう』の中でも貴族さんとのエピソードが紹介されています。
お酒も飲めないほどボロボロの貴族さんは大槻ケンヂさんと居酒屋に行った際、女の子をナンパをしなかった大槻さんに「なんであの時行かなかったんだよ、俺の分も人生楽しまなきゃだめだ」と話したと書かれています。
池田貴族の死因と寂しい最期
ガンが体を蝕みながらも、やせ細った身体での活動は限界を迎えてしまいます。ついに池田貴族さんに死の瞬間が訪れます。
池田貴族死去
肝臓や肺をほとんど切り取ってしまい、全身に70個以上のガンがある状態で手術は不可能というところまで来ていました。
そんなボロボロの池田貴族さんは、1999年のクリスマスの日に息を引き取りました。亡くなるにはあまりにも若すぎる36年の人生でした。
池田貴族「行かなくてもいいんじゃないか」
池田貴族さんが亡くなる数日前に、奥様の一美さんと長女美夕ちゃんは貴族さんを病室に残しクリスマスの買い出しに出かけようとしていました。
しかし貴族さんが「行かなくてもいいんじゃないか・・・」、「少しでも一緒にいたい」と声をかけたのにもかかわらず、制止を振り切り出かけてしまいました。
戻ってみると容体は急変しており、もはやまともに会話を交わすことはできなくなってしまっていました。
池田貴族の最期と妻の後悔
一美さんはこの時のことを今でも後悔しています。しかしこれは医療業界では常識となっている”予期悲観”という症状のせいだったということがわかっています。
これはガンなどが進行し末期状態に陥った人の身内がなってしまう症状で、抑鬱状態になるというものです。これによりガンが進行するにつれ、池田さんの看病や処置などができなくなっていました。
一美さん本人はテレビ番組に登場し、当時の心情や今でも後悔している事などを赤裸々に語っていました。
池田貴族のお墓は出生地の名古屋に
池田貴族さんは生まれ故郷の愛知県名古屋市にある平和公園に静かに眠っています。
墓石にはたくさんのメッセージが彫られており、毎日たくさんのお花が飾られています。
ファンの方や芸能人の方も訪れており、一般の方でもお参りすることが出来るようになっています。
池田貴族の妻と娘の現在は?娘はアイドルデビュー!?
その悲しみを誰よりも一番感じていた一美さんと美夕さんですが、現在はそれぞれ明るく前を向いて生活しています。
池田貴族の娘はSluggersのメンバー
特に貴族さんが何よりも大切に思っていた娘の美夕さんは、なんとアイドルとして父と同じ芸能界で活躍しています。
2017年にデビューしたアイドルトリオ”Sluggers(スラッガーズ)”として精力的に活動中です。
Twitterなどで情報発信もしているので、興味がある方はぜひ検索して見てください。
池田貴族の妻は介護士
奥様の一美さんは今は介護士として働いてます。きっかけはやはり貴族さんのことがあったからだと語っていました。
予期悲観で貴族さんに対して十分に対応できなかったことを今でも悔やんでいる一美さんですが、その経験を生かし、患者さんに関わる身内の方のサポートも積極的に行なっています。
一時代を駆け抜けた池田貴族
多くのファンや友人たちに影響を与え続け、人々に生き様をありありと見せ付けた池田貴族さんについて解説しました。
自らの死期が迫っている中でライブやレコーディング、はたまたチャリティイベントなどに最後まで尽力し続けた姿は今でも多くの人の心に残っています。
今や日本人の3人に1人は可能性があるガンという病気は人ごとではなくなって来ています。そんな方々をサポートする支援団体や、残された方々への寄付ができる団体もあるので、よかったら調べて見てほしいです。