ダースレイダーの眼帯はトレードマーク!余命と病気の関係と生き様に迫る

ダースレイダーは日本のHIPHOPミュージシャンです。脳梗塞で倒れ、左目を失明してからは眼帯をトレードマークにしています。ダースレイダーは余命5年を宣告されてから現在も精力的に活動しています。この記事ではダースレイダーの生い立ちや経歴について紹介します。

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ダースレイダーとは?日本のHIPHOP第一人者

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ダースレイダーは日本のHIP HOPミュージシャンです。1998年に活動を始めて以来、多くの作品があります。様々なメディアにも出演し、これまで日本のHIPHOPを牽引してきた重要な人物です。

ダースレイダーの生い立ちと経歴

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海外で生活してきた幼少期、日本での学生時代からHIPHOPでの活動、そして、脳梗塞という病が襲い左目を失明して眼帯をつけています。その後の復活、余命宣告から現在までを紹介していきます。

ダースレイダーはフランス生まれ

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フランスはパリで生まれ、小学校時代はイギリスのロンドンで過ごしました。中学・高校は日本で過ごし武蔵中学校・高等学校を卒業しています。予備校での浪人生活後、東京大学へ進学しています。

ダースレイダーは東大中退後HIPHOPの道へ

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東大へ進学するものの、ゼミでの課題に挫折し中退しています。その後、1998年にMICADELICを結成、HIPHOPでの活動をスタートしました。3年後には待望のメジャーデビューを果たしています。

レーベル「Da.Me.Records」を立ち上げる

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2004年、ダースレイダーが中心となり「Da.Me.Records」を設立。「日常にもっと音楽を」テーマに掲げ、CDアルバムとしては破格の1000円で販売していました。

所属していたラッパー

このレーベルでは、KEN THE 390、はなび、カルデラビスタ、環ROYなど多くのラッパーが若手時代を過ごし、ダースレイダーが彼らの力にもなっていました。

多くのイベントも手掛ける手腕

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ラップバトルのイベントを初期の頃から企画し、地方のラッパー達にも注目。そこで発掘する活動など、レーベルの枠を超え、日本のHIP HOPブームのきっかけを底から作っていきました。

ダースレイダーは2007年に結婚、娘が2人いる

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一般人女性と2007年に結婚。2009年に長女、2015年に次女が誕生して4人家族です。過去のブログから父親としての一面もみれます。

脳梗塞で倒れ左目を失明するも現場復帰へ

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2010年6月、クラブで脳梗塞を発症。合併症として左目を失明しました。1ヶ月入院し、現場復帰するがダースレイダーの左目には眼帯をつけていました。眼帯は現在、トレードマークともなっています。

鎖グループMC就任を経てオフィス北野入社

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2010年4月からはMC漢が代表を務める鎖グループのMCとして活動し、レーベルBLACK SWANの代表も兼ねていました。2017年7月には鎖グループを退社し、同年9月にオフィス北野へ入社しました。

2019年現在は吉田正樹事務所に所属

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2018年4月、オフィス北野を退社。同年7月、元フジテレビのプロデューサーである吉田正樹氏が設立したタレントマネジメント会社、吉田正樹事務所へ入社し、現在に至ります。

ダースレイダーの入院と眼帯がトレードマークになるまで

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ダースレイダーは脳梗塞にて突然倒れ、合併症として左目の視力を失う事になり眼帯をつけるようになります。入院中の出来事や手術のこと、その当時の心境を説明していきます。

ダースレイダーは2010年にクラブで突然倒れる。

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2010年6月、クラブでMCの直前に脳梗塞で倒れました。倒れた直後は、クラブであったがために急性アルコール中毒と思われましたが、検査の結果、脳梗塞と診断されています。

ダースレイダーは脳梗塞で約1ヶ月もの闘病生活

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1ヶ月半の入院では体のバランスがおかしくなり、激しい目眩が続きました。食べても吐くので点滴で栄養補給。リハビリも行い、激しい目眩は徐々に治り、動きも回復。2010年7月末に退院できました。

ダースレイダーは合併症で左目を失明し眼帯着用へ

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視力だけは回復せず2010年11月に手術を行ないましたが、左目は失明してしまいました。左眼を諦め、右目を大切にしていく中で眼帯を着用するようになります。

ダースレイダーが脳梗塞から退院した当時の心境を紹介

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退院後のブログには、支えてくれた家族、ファンや関係者の応援、そしてHIP HOPのおかげだと綴っています。この経験は大事な経験だったと、前向きな心境が逆にパワーをもらった方も多いです。

ブログはこちらから https://ameblo.jp/darthreider/entry-10712924339.html

ダースレイダーの心境

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眼の治療は失明の危険性との戦いであり、一回見えなくなった時は恐怖に近いとも綴っています。そんな中、ファンのことも大切にしている事をコメントしています。

ファンのコメント

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多くの退院おめでとうのコメントがあります。眼の事を心配する声もありますが、ダースレイダーのHIP HOPを愛する気持ちを感じ、活動を期待するコメントも見られます。

ダースレイダーの余命宣告とファンの反応

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退院後も活動を継続していましたが、2017年、自身の誕生日に余命宣告を受けた事を告白します。その時の想いやファンの反応などを見ていくと彼の生き様も聴いた人々への影響は大きいでしょう。

その日のブログはこちら:https://ameblo.jp/darthreider/entry-12264526000.html

余命5年と宣告された心境、それに立ち向かう決意を込めた一曲「5years」

ダースレイダーは自らが余命5年であることを明かす

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2017年4月11日、ダースレイダーは自身の40歳になる誕生日に余命が5年である事をブログで綴っています。また、余命宣告を受けて新たな決意を歌にして表現しています。

ダースレイダーの魂の叫び「5years」

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余命宣言は「5years」というタイトルで歌をリリースしました。その中で「受けた傷こそが生きる証」「5年後の俺に会いにいくんだ」と経験を糧に前向きに生きていく姿が印象的です。

ダースレイダーのファンの反応

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「5years」が公開されたYouTubeでは、励ましのコメントが多いです。「HIP HOP界に残り続ける男」「人の心に生き続ける」とのコメントからも聴いた人々への影響は大きいでしょう。

HIP HOP界の他のアーティストに興味のある方はこちらもご覧ください。

ダースレイダーの20年前の手紙に返事を出した北野たけし

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日本に来て影響を受けたのはテレビ番組。特に北野たけしの幅広い活動には憧れを抱くほどでありました。ラッパーとしてデビューした後も会える日を夢見て活動していた頃を紹介します。

ダースレイダーは幼い頃から北野たけしが憧れだった

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生後はフランスとイギリスで過ごし、10歳で日本に来ました。その時見たテレビ、中でも北野たけしの番組には夢中になりました。日本語でのラップを初めて聴いたのもたけしの番組でした。

ダースレイダーが送ったデモテープと手紙

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大学在学中に結成した「マイカデリック」。初レコードには北野映画と同じ「この男凶暴につき」と付けました。ソロでの活動も視野に入れ、デモテープと一緒に手紙を北野たけしの事務所へ送ります。

北野たけしの前で無意識にラップを披露

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2016年、テレビ番組共演者の紹介でオフィス北野へ所属することが決まりました。憧れの北野たけしと会うこともでき、そこでラップを披露して周囲からは驚きの反応を得ました。

芸人、プチ鹿島の紹介

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テレビで共演していた芸人、プチ鹿島。彼が所属していた事もあり、マネージャーを紹介してもらい所属することが決まりました。

憧れの北野たけしとの出会い

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20年前に送った手紙は、当時新人発掘担当していた水道橋博士が保管していました。その博士の紹介で憧れの北野たけしと出会う事になります。

出会った楽屋でラップを披露

たけしの仕事の合間に挨拶。そこでの時間は何をしたのか記憶がないぐらい緊張していました。緊張のあまり、行なったのはラップを披露。ラップを終えると、周囲の重さが一気に軽くなったようです。

「キッズにリターンさせられた」とコメント

20年を大人から子供へ戻る時間と捉え、タイトルは「キッズ・リターン」。その歌詞には憧れの北野たけしへの敬意を称したメッセージ、ミュージックビデオは北野映画のロケ現場で行われました。

子供の頃から憧れていた北野たけしへのメッセージ性が強い一曲「キッズ・リターン」

ダースレイダーは多才で活動も幅広い

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ラップを主として活動を始めたが、会社設立やイベント企画などを通して幅広い活動でその才能をさらに高めていく事になります。様々な活動はさらに本業のラップの質を高める事にも繋がっています。

ダースレイダーは様々なイベントを企画

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レーベル会社設立時、CDリリースのみならず、様々なイベントを手掛け手掛けていました。新たなラッパーの発掘、そして若手の育成など日本全体のHIP HOP界の底上げに貢献していきました。

ダースレイダーは番組MCとしても活躍

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CDやイベント以外にも活躍の場を広げていました。AbemaTVでは「NEWS RAP JAPAN」という番組で司会を務めてますが、政治や世論についても分かりやすく解説していることが人気を得ています。

ダースレイダーの時事ネタも切れ味鋭い

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東大に入学していたこともあり、知識が豊富な一面をもっています。ストリート系が多いラップの世界、他と違った要素が多方面での活躍できるダースレイダーの持ち味でもあります。

ダースレイダーの曲やラッパーとしての評価は高い

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ソロでの活動から現在のベーソンズの曲を紹介します。デビューした頃と病気になった頃、余命宣告後など、その時々の想いをラップで人の心に響かせるスキルは評価が高いです。

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