畠山鈴香とは
最初にテレビで登場した姿は愛娘が9年という短い生涯を閉じたことを深く悲しみ、憔悴しきった姿は多くの人が可哀想な母親だと哀れに思いました。
積極的にインタビューにも応え自分が主役のように連日テレビに映る姿は、やがて変な母親という目で見られるようになります。
近所の7歳だった男の子も道端で亡骸となって見つかると、彼女が殺めたのではないかと疑いが向けられます。
自分に都合が悪い報道に流れが変わると、目は吊り上がり豹変した姿となるのです。のちに自分の娘と近所に住んでいた娘の仲が良かった男児を殺めた容疑で逮捕されました。
畠山鈴香は秋田児童連続殺害事件の犯人
世間は薄々気づいてはいたものの実際に犯人とわかると驚きと同時に、涙を流して娘の死を悲しんでいたにもかかわらず自分の手で絶命させたのかと不気味さを覚えたのです。
悲劇の母親を演じテレビや週刊誌に登場したのはなせだったのでしょうか?そしてこれからの生い育つことが親の楽しみであった子供2人が力尽きなければいけなかったのでしょうか?
実際に彼女を追跡してみると不可思議な言動や行動を起こしているのです。それがマスコミには格好の記事材料となったことでしょう。
畠山鈴香がとった奇妙な言動
母親ならば最愛の自分の子供が変わり果てた姿になってしまったら、真っ暗闇に突き落とされたように自分を見失ってしまうでしょう。
最期のお別れである葬儀も今までの姿や表情が走馬灯のように駆け巡り、自分が変わってあげれば良かったとさえ思うではないでしょうか。彼女は違いました。葬儀の最中にはこっくり居眠りを始めます。
お葬式が終わった後に、娘の生前の状況が知りたいと自作のポスターを配り歩きます。娘を失った悲しい母親を演じたかったのでしょうか。
彼女の不可思議な行動は、幼少期の家庭環境にありました。彼女自身もある意味、被害者だったのかもしれません。ただ単に子供が被害になった騒動として片づけるには簡素すぎる深い闇と問題がそこにはありました。
畠山鈴香の生い立ち|父親から暴力を受けて育つ
ずっと暴力のある家庭で育ったのでした。日常的に傷けられ体の傷だけではなく心にも大きな修復不可能な傷を負ったまま成長していくのです。それがのちに重大な事件を起こす原因ともなるのでした。
決して明るい温かみのある家庭とは、お世辞でも言えない彼女の劣悪な半生を辿ってみたいと思います。
小学校高学年になると虐待レベルにエスカレート
秋田県内の運送会社を運営していた父親と元スナックのホステスをしていた母親との間に生誕します。小さなころから、父親から痛めつけられ育ちます。
なぜ実の娘に対して暴力という凶器をむけたでしょうか?仕事がうまくいってなかったのではないかと言われますが、軌道に乗らないから子供に手を挙げていいかとは別問題です。
日に日に酷くなっていく乱暴は父親の気が済むまで耐えるしかありませんでした。次第に髪の毛を引っ張りながら引きずりまわし、殴られたり蹴られたりと酷くなっていき、彼女は虐待され続けるのでした。
畠山鈴香の母・弟は鈴香を助けることができなかった
同じ家の中で一緒に生活をしていたのは彼女と父親だけでありません。母親と5歳下の弟もいました。壮絶な風景を見ながら何を思ったでしょうか?
止めることもできず、ただただ父の怒りスイッチが切れるまで時間が過ぎるのを待つしかなかったようです。母親はなぜ黙視したのでしょう?自分が代わりに痛めつけられるからでしょうか?
母親ならば守ってあげる役割に徹してほしかったと思います。今は即入居できる部屋もあるため娘を守るため、自分たちの生活の為に逃げる強さが必要ではなかったでしょうか。
見ていて止めることも逃げることもしなかった母親も罪人にも見えます。このような劣悪な家庭環境で育ったわけですから、精神バランスが不安定になるのも否めないでしょう。
畠山鈴香の悲しい学生時代
落ち着く場所である自宅では、痛くて辛い思いを毎日耐えてきました。逃げ場のない生活が続いたことが彼女の心を壊していきます。
自分の家で居場所のない生活を過ごすうち外見にも変化が出始めるのです。多感な高学年でどんどん酷くなっていった乱暴と比例するように小学校でも居場所をなくしていくのです。
小学生時代からいじめにあっていた
存在感を出せば殴られる、そう思った彼女は透明人間かのように、目線は常に下を向き身を屈めて目立たないように過ごすのです。
心はボロボロ、体にはいつも無数の傷やあざはあり、隠すようにいつも何かに怯えるようにいたのでしょう。いつしかクラスではいじめの標的となっていたのです。
家でも虐待を受け、学校でも居場所のない彼女は壮絶な学生時代を送ることになるのです。同じ学区内の中学校ではそのまま小学校の子供たちが通います。
同じ顔触れで、いじめはなくなるどころか徐々に酷くなっていくのでした。
中学時代のあだ名はばい菌と心霊写真
酷いあだ名をつけられては、存在を無視されクラスメイトとして認めてもらうことはありませんでした。小さなころから暴力で痛めつけられ、母も助けてはくれず自分の存在がないかのように日々は過ぎていきます。
そんな生活を送っていれば誰もが自信は持てませんし、精神も限界になることでしょう。いじめはいつの時代にも起こるといわれています。
ですが、辛さを受け止めてくれる家庭、家族がいるからこそ乗り越えられるのです。彼女には誰もいなかったのです。はけ口のない彼女の心は常に針で刺されているかのように痛くて悲しみに襲われていたのです。
高校時代パシリだった
どのように行動したらいじめられないで済むか、酷いあだ名をつけられずに済むかを常に頭で考えていたようです。彼女なりの自分で考えた防御方法だったのでしょう。
クラスの中で目立つグループの子らに、反感を得られないように注意し手下のように言いなりに動いていたようです。
はたから見たらパシリでも、彼女はいないことにされるよりは必要とされていることを感じられたのでしょう。
衝撃の卒業文集!畠山鈴香に寄せられた罵詈雑言の数々
新しい門出でもある卒業は、別れの季節でもあります。就職や大学進学、地方に出る人、それぞれです。多くが今までありがとうと感謝を述べるとともに、これからの活躍を励まし合うでしょう。
彼女に対しては、そんな希望すらなく数々の酷い言葉を並べたのです。最後くらいは気持ちの良い別れかたをしたいと願いますが、それさえも叶うことはなく文字として一生残ることになるのです。
「会ったら殺す!」畠山鈴香に浴びせられた言葉
なぜこのような辛い言葉が彼女に降りかかるのでしょうか?そんなに悪いことでもしたでしょうか?現代よりもいじめの認識や対処法は緩かったでしょうが、文集を作成し印刷業者に依頼する前に、教師たちは確認したりしないのでしょうか?
思い出として残る文集、気持ちの入ったメッセージが書いてあれば辛かった3年間の思い出も少しは明るいものになったでしょう。最後まで仕打ちが終わることはなかったのです。
アンケートには「殺人」で有名になる
今では予言者のようになってしまっていますが、お祝いの場にそぐわない言葉ではないでしょうか。生徒たちが自分たちで考えて、将来どんな人になっていそうかを予想し書いていく欄がありました。
他の生徒たちは、スポーツ選手になっていそうなどと明るい話題になっています。彼女のコーナーだけは異様な雰囲気に包まれています。
畠山鈴香自身が寄せ書きした内容
同じ教室内で共に勉強をした仲間に対しての最後にかける言葉なのでしょうか。嫌な思いは年月と共に記憶は薄くなっていきますが、文字に残してしまうことで色褪せることなく辛いまま残っています。
畠山鈴香は売女と呼ばれていた?
寄せ書き内には、ビューにくるなよという文章もあります。彼女が良く利用していたラブホテルの名前だったようです。同級生の間では有名だったようです。