「環ROY」とは?多彩で魅力溢れるラッパー!
環ROYは、鎮座DOPENESSの相棒と結成したユニットKAKATOのメンバーとして、そしてさまざまなアーティストとのコラボ活動によって多彩で独自の世界を展開するラッパーです。
ここではそのような環ROYのプロフィールを、簡単に紹介します。
環ROYのwiki風プロフィール
環ROYは、1981年11月13日生まれのラッパーで本名はたまき りょうといいます。ラッパーとしての活動は2003年ごろから始めました。
個人としてアルバムを発表するだけでなく、他のアーティストとの共同制作も多くあります。特に鎮座DOPENESSとユニットを組んだ、KAKATOとしての活動はよく知られています。
また舞台など、アートの分野に参加しての活動、日常の身近なことをテーマとしたラップなど、環ROYの活動は、他の「ハード」なラッパーの活動とはかなり異なっていることが、彼の持ち味です。
ソロ・コラボ活動でみせる多彩な才能が魅力の環ROY
環ROYの魅力は、従来のラップのイメージを超えた、多彩な展開がなされていることにあります。
そのため、彼はソロで楽曲を発表するだけでなく、他の世界のアーティストとコラボレーションを行って、さまざまな作品を生み出しています。
環ROYの名前は知らなくても、どこかで彼の作った作品を耳にして、大好きになっている人も多いようです。
環ROYはいつからラッパーに?HIPHOPとの出会いは?
環ROYがヒップホップに興味を持って、ラッパーとしての活動を本格的に始めるようになるまでに、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
ここではそのあたりのことを、簡単にまとめることにします。
高校でHIPHOPにハマった環ROY
環ROYが、ヒップホップの世界を知ったのは、高校生のころです。
最初は特別な活動をするわけではなく、ただのファンとして、BUDDHA BRANDなど国内のヒップホップを中心に、曲を聴き込んでいました。
しかしヒップホップの他は興味を持てないなど、そののめり込み方は中途半端なものではありませんでした。海外のヒップホップもすぐに、たくさん聴くようになりました。
22歳の頃にラップに挑戦!DMRに参加することに
環ROY自身がラップを本格的に始めるようになったのは、それからずっと後の22歳ごろでした。
彼の友人のトラックメイカー(楽曲の背景に流れるビートの部分を作る人)にすすめられたのが、直接のきっかっけです。
その後1年ほどして、DMR(Da.Me.Records、ダメレコ)というクルー(仲間、グループ)に参加します。その後はDMRに参加しながら地道な活動を続けます。
環ROYの経歴とは?
ごく普通の高校生であった環ROYがヒップホップに傾倒し、ラッパー(MC)としての活動を始めるようになった経緯は前述の通りです。
それではプロとしてデビューした環ROYの、その後の活動はどのように進んで行ったのでしょうか?
BUDDHA BRANDの影響を受け2004年に活動開始
環ROYが活動をラッパーとしての本格的活動を開始したのは、2003年あるいは2004年の頃です。そのきっかけは、前述の通り知人のトラックメイカーにすすめられたためです。
この時代に環ROYが作った作品には、BUDDHA BRAND(ブッダ・ブランド、日本のヒップホップユニット)の影響が強いといわれています。
2006年ファーストアルバム「少年モンスター」をリリース
します。活動開始後は、あるときはDMR(Da.Me.Records 、ダメレコーズ)に参加したり、またあるときはMC(ラッパー、司会者)バトルで非凡な才能を惜しげなく発揮しながら活動を続けます。
そして2006年にはファーストアルバムである「少年モンスター」をDMRより発表します。
2008年にはフジロックに出演した環ROY
環ROYは、7月に日本最大のロックフェスティバルであるフジロック(Fuji Rock Fesutival)に出演を果たします。
2009年にはコラボミニアルバムを多数リリース!
2009年の環ROYは、さまざまなアーティストとコラボレーションしたミニアルバムをいくつか発表しています。
6月にはDJ Yuiと作った「Copy Dogs」、8月にOlibe Oilと共に作った「Weekly Session」、9月にはNewdealと共に作った「the klash」をリリースしました。
2011年に“KAKATO”として鎮座DOPENESSとユニットを組む
現在の環ROYの活動のうち、鎮座DOPENESSとコンビを組んだ”KAKATO”というユニットが、特に有名です。2011年11月に発表した無料配信アルバム「KARA OK」が、その最初でした。
KAKATOでの環RYOの相棒である鎮座DOPENESS(ちんざドープネス)は1981年3月29日生まれのラッパーで本名は矢野 秀介といいます。鎮座DOPENESSは実力派のラッパーとして有名です。
鎮座DOPENESSは天才と評されることもあり、環ROYと同じように、MCバトルでのさまざまな名勝負で知られています。
その後は様々な企業への出演しメディア芸術祭にも入選
現在の環ROYは、ヒップホップの世界だけにとどまらず、ロックやポップの世界のミュージシャンやさまざまな分野のアーティストと共同制作を発表するなど、より大きなスケールの活動を続けています。
作品をさまざまな芸術祭で発表したり、企業のCMへ音楽を提供するなど、親しみやすい語り口のラップを武器にして、いろいろな世界への挑戦を続けています。
もちろんHIPHOPのグループは、鎮座DOPENESSと環ROYのKAKATO以外にも、いくつもあります。その一例として、SOUL’d OUTを紹介します。
環ROYの魅力とは?他のラッパーとは一線を画すその才能
環ROYは、どうしてこのように、息の長い活動を続けることができるのでしょうか?
それは環ROYが彼独自の世界をしっかりと持っていて、ブレることなく活動を続けていること、そしてその世界が単にヒップホップの世界だけにとどまらないユニークなものであるためです。
ここでは、そのような環ROYの魅力について、紹介します。
環ROYの魅力①ワルイ=HIPHOPからの脱出
環ROYは、従来のヒップホップは「ワルイ」世界のもの、という偏見と結びつく傾向があったけれど、それを何とか打ち破りたかった、と語っています。
そのため、彼の作品は身近な世界をテーマに取り上げることが多く、それが彼の作品の基調になっているといえます。
ところで、HIPHOPの世界を「ワルイ」と思わせる原因のひとつに、大麻との関係があげられます。その点については、次の記事を参照してください。
環ROYの魅力②フリースタイルのクオリティが高い
デビューして間もないころ、環ROYはたくさんのMCバトルに参加して、フリースタイル(即興でラップを作ること)の非凡な才能を惜しげなく発揮していました。
彼のフリースタイルは、あらかじめ言葉を選びよく練り上げて作り上げた楽曲と全く同じように響き、ファンは彼のラップの才能の豊かさに舌を巻いたものです。
彼は、この優れたフリースタイルの楽曲について「極端な集中によって脳が活性化した結果で、今はもう無理」と語っています。