リジー・ボーデンとは?生い立ちや事件の真相とマザーグースの歌詞も紹介

そうすると一番疑わしいのはリジー・ボーデンです。犯行時間には納屋で釣りに使う錘を探していたと証言し、アビーが殺された時間にはまだ寝ていたと主張しています。真相は不明ですがそれまでリジーが釣りをする事は一度も無く、釣り自体に興味を持った事すら無かったそうです。

ボーテン夫婦が地元で嫌われており住人の犯行説も出た

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亡くなったアンドリュー・ボーデンは若い頃はそれほど裕福な暮らしを送っていた訳では無かったが父の代から受け継いだ葬儀社の事業に加え銀行業なども手がけ莫大な富を成した事、後妻に入ったアビーも財産目当てで結婚したのではないかと、ボーデン夫妻は地元では嫌われており住民による犯行説も考えられました。

アンドリューがどれだけ地元の名士であっても資産家を鼻にかけ我が物顔で偉ぶる人物であったなら、一人や二人町の人間の中には凶行に及ぶ犯人がいたとしても不思議ではありません。

父の隠し子説まで出た

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全く確証のない根も葉もない噂話は今も昔も変わらず、アンドリューにはウィリアム・ボーデンと言う名の嫡出子がいてその息子がボーデン夫妻を殺害する犯行に及んだのではないかと言う隠し子説まで噂されました。しかし、調査してもアンドリューに隠し子がいたと言う事実は確認できず真相は不明のままです。

日本でも起きた不可解な未解決事件

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結局真犯人も真相も闇の中のリジー・ボーデン事件ですが、ここ日本でも不可思議な未解決事件が起きていました。リジー・ボーデン事件のような100年以上昔ではなくみなさんが新聞やテレビなどのメディアで報じられた事件です。

影の圧力?報道がぷつりと止んだプチエンジェル事件

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無店舗型非合法未成年者デートクラブ「プチエンジェル」ローティーンの少女を勧誘し男性客に斡旋する他、猥褻ビデオ販売なども行っていた犯人の男性29歳は自宅リビングで練炭自殺しました。自宅にあった千本以上のビデオと二千名の顧客リストが押収されましたが、殆どが偽名のため突然捜査は打ち切られ芋づる式の一斉検挙もありません。

その後すぐマスコミも報道をやめてしまいました。事件を追っていたフリーライターは東京湾に浮かび、それ以来この事件はタブーとされており、ウィキペディアでさえこの事件の項目のみ数回に渡り削除されました。(現在は閲覧可能)

18歳以上なら購入可能パラコート連続毒殺事件

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日本各地で発生した自販機に農薬を混入したジュースなどを置く、全てが未解決の迷宮入りした凶悪犯罪です。1985年当時防犯カメラも無く物証が残らないため、犯人は捕まっていません。除草剤であるパラコートは致死量15ccの農薬で18歳以上なら印鑑さえあれば購入可能でした。模倣犯とみられるものを含め34件のうち13人が死亡した無差別殺人です。

警視庁広域重要指定事件初の未解決事件グリコ・森永事件

1984年江崎グリコの社長誘拐を皮切りに大手食品産業を次々と脅迫や放火を繰り返し現金を要求する典型的な劇場型犯罪です。ただの一度も現金の引き渡し場所に姿を現さず、犯人と思しき人物も逃してしまう警察のお粗末さ。その後青酸入り歌詞を小売店に置くなど日本中を不安に陥れました。結局正体不明のままの代表的な未解決事件です。

事件後のリジー・ボーデンの生活

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晴れて無罪放免となり祝福と共に町の住民に迎えられ、莫大な亡き父の遺産を手に入れたしたリジー・ボーデンがそれまで厳格な父が抑えつけていた感情のタガがはずれ、自由奔放な生活の後に亡くなるまでを取り纏めてご紹介します。

事件後のリジー・ボーデン①遺産で豪遊

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リジーの無実を信じ無罪を勝ち取り釈放時には諸手を挙げて祝福したフォールリバーの住民たちも、莫大な遺産を手に入れたリジーと姉のエマの自由奔放な豪遊ぶりを目の当たりにすると、親を殺した財産で豪遊三昧と蔑み次第に犯罪者扱いする噂が立ち始めます。

事件後のリジー・ボーデン②誹謗中傷により引っ越した

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時が経てば酷い誹謗中傷も収まるだろうとボーデン姉妹は、ニューヨークやワシントンにまで出かけ、考えられる限りの贅を尽くし豪遊する生活に溺れてます。しかし一向に収まらない批判と誹謗中傷に耐えきれず、町の中で孤立した姉妹は2マイルほど離れた高級住宅街へ引っ越します。

姉との関係は冷えていった

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1897年にリジーは万引きで逮捕され世間に再び名前を知られますが、これは捏造だったとの見解もあります。当時のリジーのあまりの自由奔放な生活ぶりに姉エマとの関係は徐々に冷え会話を交わす事すら無くなってしまいました。さらに女優ナンス・オニールとリジーの同性愛の噂が囁かれ始めエマは家を出て行きます。

事件後のリジー・ボーデン③女優・ナンスとの交友がはじまった

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リジーは演劇にも興味を持ち始め、ナンス・オニールと言う女優をいたく気に入り熱を上げ、ナンスの劇団が公演を行った際、晩餐会を催したり劇団のスポンサーとして大金を投じます。度々リジーの自宅にナンスを招き入れる事もありました。

ナンスへのあまりの執着ぶりに二人の関係は同性愛ではないかと取り沙汰され、女優としての人気の低下に繋がると危惧したナンスはリジーから次第に距離を取り身を引きます。

事件後のリジー・ボーデン④晩年は動物愛護活動をしていた

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姉とナンスに去られ、心の拠り所の二人を失い完全に孤立無援のリジーは人間不信に陥ったのかそれまでの人生を悔やんでの事か、動物愛護の活動に取り組むようになります。

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