ジャンヌカルマンは世界一長生きした女性

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現状人の最長到達点は115才と言われさらに120才まで伸びるのに1万年かかると言われています。それは生命と言うものが遺伝子の破損と修復により営まれている以上揺らぎようの無い事実として存在しています。
それ以上の寿命を求めるのなら、従来の老化防止にはない、何らかのブレイクスルーが必要と言われています。しかし、この定説を覆し115才を越えて生きた人がいるのです。
史実上一番長生きした記録は、ジャンヌカルマンの打ち立てた明治8年2月21日に産まれ平成9年8月4日に没の44,724日間です。
ジャンヌカルマンは世界史上最高齢のギネス保持者

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ジャンヌカルマンは明治8年2月21日南仏のアルルに産まれ、平成9年8月4日に大往生を遂げるまでの122年と164日間生きていました。そして家族には先に旅立たれ、孤独な最期を迎えます。
ジェントロジー・リサーチ・グループ(GRG)の承認を得てギネス社に承認されています。
ジャンヌカルマンの年齢に疑い浮上!

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ロシアの研究チームがジャンヌカルマンの生前の詳録に対する疑惑を公表しました。
関係する身分証などの書類や語った言葉、周囲の人々の言葉を検証した結果、イボンヌが永眠した昭和9年ごろを境にジャンヌカルマンの外見上の特徴が大きく変化した矛盾に気付いたのです。
ジャンヌカルマンの生涯

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誕生日の裏付けが取れる中で史実上最も長生した人の一生はどのようなものだったのでしょうか。
ジャンヌカルマン誕生

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ジャンヌカルマンは明治8年2月21日、南仏のコミューンアルルで、船大工の父親と地元有力者の家系の母親との間に4人兄弟の末子三女として産まれます。
ジャンヌカルマンの家族

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明治29年21才の時に結婚し、明治31年1月20日に娘イボンヌを出産します。それから昭和元年に孫のフレデリックが産まれます。
しかし昭和9年にイボンヌが永眠し、昭和38年にフレデリックも永眠します。孫が死んでしまい、家族が皆死んでしまい、独りになった時88才になっていました。
ジャンヌカルマンは長生きの家系

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長生した人の家族もやはり長生なのでしょうか。家族のなかでも姉と娘、孫は早くに亡くなっていますが、父と兄は90才を超える長生きでした。
122才でジャンヌカルマン死去

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昭和60年に入り110才でアルルにあるジョセフ・アンベール中央病院に併設されていた「ナーシングホーム」と言う介護施設に移りました。
その後122才と164日間と言う偉業とともに、平成9年8月4日に人生に幕を下ろします。明治8年から平成9年までの44,724日間の生涯でした。
ジャンヌカルマンとギネス記録が認定した年齢の信憑性

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実際のところ122才を超えているとアピールする人は何人もいます。それなのにこのアピールだけが認められるのは何故なのでしょうか。
ジャンヌカルマン画家「ゴッホ」と出会う

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先に述べた彼女のアピールだけが全面的に認められている根拠の一つが「ゴッホに会ったことがある」と言う自身の証言です。
ゴッホ百年忌の式典に「ゴッホに会ったことがある唯一の生き証人」として出席して、スピーチしたゴッホの外見の特徴と酒癖が悪かったと言う思い出が、本当に当時生きていたという裏付けとなっています。
ゴッホは飲酒と喫煙で壊れた体の静養のため明治21年2月にパリから南仏アルルに移り住んでいます。

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そして前年に出会ったゴーギャンがアルルにやってくることになり、ゴーギャンを迎える部屋に掛ける絵としてゴッホの代名詞とも言える「ひまわり」を描きはじめています。
この時期に父の経営する画材屋でゴッホと会い、「ゴッホを変人と呼んでいた。」と語ったのですが、当時13~4才の出来事です。
スピーチの場で自身を113才と説明していて、年代的、ゴッホの記録との矛盾、証言の齟齬がないことが証明されたため証言を信用しました。
エッフェル塔建設を見た

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また、12才の頃にパリに行ってエッフェル塔の建設を見たと言う発言もしています。
第四回万国博覧会に間に合わせるため、当時の高層建築ブームを受けてエッフェル塔は明治20年1月28日~明治22年3月31日の2年2ヶ月と言う短期間で建設されました。
ヴィクトル・ユーゴー国葬の記憶

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政治家や「レ・ミゼラブル」・「ノートルダムの鐘」の著書が有名なヴィクトル・ユーゴーは19年の逃亡生活の後、明治18年に行われたヴィクトル・ユーゴーの国葬のことも覚えていました。10才の頃の出来事でした。
これらの歴史的なイベントの経験を詳細に覚えていたので、承認されているのです。
18世紀のヨーロッパを中心に活躍したとされるサンジェルマン伯爵に関する記事はこちら。彼の場合は長生きではなく、不老不死としてですが。
ジャンヌカルマンが長寿なのは生活習慣のおかげ?

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偉業を支えた生活習慣はどのようなものだったのでしょうか。
そして長生きのために何に注意していたのでしょうか。
ジャンヌカルマンの好物はチョコとワイン

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まず野菜が大嫌いでした。代わりに週に1kgのチョコレートを食べ、赤ワインを飲み、オリーブオイルを体に塗りたくっていました。
好きだから食べていた赤ワインとチョコレートですが、ポリフェノールを多く含んだ食べ物として有名です。ポリフェノールの持つ抗酸化作用が、老化防止に効果があるのは今では有名な話です。
好きだからと言う理由で大量に食べていたものがチョコレートとワインだったのはさすがです。
ジャンヌカルマンはタバコ好き

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そして喫煙者でした。一番長生した人が喫煙者だったのはなかなか興味深い話ですが、20代の頃からの喫煙していました。
ガンの発生率が1.9倍に跳ね上がるとか、血流の悪化や肌の老化、心臓への負担増といった一般的に喫煙がもたらす健康被害については枚挙に暇がありません。
117才になってようやく禁煙をはじめますが、それはタバコに火をつけてくれる介護者を慮ってのことでした。
ジャンヌカルマン85才でフェンシングを始める

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そして85才になってフェンシングをはじめ100才になっても自転車に乗っていました。そして110才になるまで一人で暮らしていましたが、料理中に小火をだしたため、施設に入ると決断します。
114才の時に転んで大腿骨を骨折してからは車椅子に頼らざるを得なくなりますが、それまではしっかり歩いていました。また本人役で映画に出演し、更に121才になったときにはCDをリリースしてラップを披露しています。
これらの生活習慣は長生のための習慣ではなく人生を楽しむための習慣だったのだとわかります。やりたいことをやり、食べたいものを食べるストレスの無い生活が長生に繋がったと考えられます。
ジャンヌカルマンの死因は?

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122才まで生きたジャンヌカルマンですが、その死因はどの様なものだったのでしょうか。
ジャンヌカルマンの死因は老衰

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死因は老衰だといわれています。長生きの秘訣を病気にならないことだと語った偉人に相応しい死因です。
ジャンヌカルマンの死因は別にある可能性

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平成9年に老衰が死因だと言われてきましたが2019年になり、彼女のことを分析していたプロジェクトチームがこの定説に異を唱えます。
ジャンヌカルマンの長寿は嘘?娘イボンヌのなりすまし説

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研究チームは従来の定説を否定しましたが、主張の根拠はなんなのでしょうか。
ジャンヌカルマンの娘イボンヌは1934年に死亡

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イボンヌは昭和9年1月19日に永眠しています。死因は胸膜炎で享年36才と言う若さでした。
実際に亡くなったのがジャンヌカルマン説

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しかし研究チームは各種資料の分析の結果、この時永眠したのは娘ではなくジャンヌ本人だった可能性を示唆しています。
母親が死んだタイミングでイボンヌがなりすまし、娘の葬式を挙げることで母親とすり替わったと言うのが、研究チームの主張するなりすまし説です。
ジャンヌカルマンの本当の死因

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この仮説が正しいとなると、ジャンヌカルマンの死因は58才の時に胸膜炎だったということになります。
これがプロジェクトチームの提唱するジャンヌカルマンの本当の死因(仮説)です。
ジャンヌカルマンとニコライ・ザッグ

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ニコライ・ザックはモスクワ大学の数学者です。
どうでもいいことに首を突っ込んで大騒ぎをすると言う噂のある男ですが、彼を含むプロジェクトチームは2019年になって「ジャンヌカルマン その長寿の秘密」と言う分析結果を公表しました。
ジャンヌカルマン長寿の秘訣を研究

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彼を含む研究チームはジャンヌカルマンに関係する生前の写真や書類を取り寄せ、長寿に関する分析を真摯に行っていました。
ジャンヌカルマンの写真や資料から浮かび上がる真実

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各種資料を分析した結果、プロジェクトチームは平成9年に永眠したのはジャンヌカルマンではない別人だったと言う可能性にたどり着きます。