唾奇(つばき)とは?沖縄を代表する若手実力派ラッパー!
唾奇と書いて「つばき」と読むラッパーをご存知ですか?沖縄を代表するラッパーの一人でもあり、唾奇の創り出すリリックはメッセージ性も強くメロウなリズムは耳に残る印象がとても強いのが特徴です。
今までラップを好んで聞いていた人達から、今までラップを聞いていなかったような人達でも興味惹かれるような魅力的な音楽を発信し続けている注目のアーティストです。
唾奇のプロフィールと名前の由来を紹介!
そんな注目を集めているアーティスト唾奇ですが、個性的なネーミングも気になるところです。より詳しいプロフィールから名前の由来までを少し詳しくご紹介します。
もちろん唾奇自身の生い立ちも、彼が奥の人から共感を得ている要因の一つではありますがそれについては後述でより詳しく紹介していきます。
唾奇のプロフィール
沖縄県那覇市生まれ(1991年8月4日)でPitch Odd Mansionというスムースになります&メロウなヒップホップを中心に展開しているレーベルに所属しています。
デビューするまでも音楽活動をしながら働いていたのですが、2017年から本格的に活動を開始し、ネームバリューを築き上げてきました。
たくさんのアーティストとコラボしている
後に詳しく紹介していきますが、CHICO CARLITOをはじめSweet Williamなどの多くのアーティストとコラボをしながら音楽活動を送っています。
唾奇の名前の由来は漫画「ソウルイーター」から
唾奇という個性的な漢字ですが、彼の名前の由来は2004年から少年ガンガンにて連載されていた「ソウルイーター」に登場する「椿」という登場人物から取っているそうです。
この漢字のままだと綺麗すぎてホストのようなので、少し汚れたイメージのある唾奇という名前が自分の生い立ちも含めらしがあるという事で使うようになったようです。
唾奇の生い立ちが壮絶!?姉との関係は
話題になっているのが唾奇の生い立ちです。彼の生い立ちは、周りの人が同情するレベルで壮絶だったと言われています。
彼の生い立ちからくる経験や物事への考え方などはリリックへも反映されているので、そこに激しく共感するファンも多くいるようです。
唾奇の生い立ち①母親に見捨てられた過去
実は唾奇は幼少期に母親にネグレクトを受けていました。元々子供二人を家に残しなかなか母親が帰宅しないような生活をしていたのですが、ある日唾奇を祖母の家の近所に置き去りにしていなくなってしまったのです。
その後、その母親は家に時折家に戻ってくることもあったようですが、その度に違う男性を家に連れ込んでは子供達に迷惑をかけていたようです。
唾奇は高校進学のお金を貯めたが母親に持ち逃げされたことも
唾奇が中学3年の時、「親は高校へ行かせてくれないだろう」と察した唾奇は2年間のバイトで学費を貯めることにしたのでした。
しかし、唾奇がコツコツ働いて貯めていたその貯金さえも母親が持ちっていなくなってしまったのでした。母親が戻ってきた時にはそのお金は使い果たされてしまっていました。
唾奇の生い立ち②祖母に育てられ、親戚からDVも
祖母に育てられた兄弟で、母親も度々戻ってくるのですが、子供達の面倒をみることはなかったようです。そして親戚からはDVを受けていたということも本人が言っているようです。
彼が長い間住んでいた実家は心霊現象が頻繁におこる家だったと言っています。他にも「奇妙」なことについて知りたい人はこちらの記事をお読みください。
唾奇の生い立ち③姉はシンナーを吸っていた
唾奇と2歳年が離れている姉も、その生い立ちや家庭環境のせいかまっすぐには育たなかったようです。昔のヤンキー雑誌に掲載されるほどのTHEヤンキーとして育ちます。
ある日唾奇が学校から戻ると姉の部屋から強烈なシンナーの匂いがしたそうです。扉を開けると、8人ほどの仲間内でシンナーを吸っている姉の姿が会ったと言っています。
唾奇がラップを始めたきっかけは?経歴も紹介!
そんな悲しい生い立ちをバックグラウンドにもつ唾奇ですが、なぜラップに興味を持ったのか?そしてそのラップでここまでの知名度を築きあげることができたのか?をご紹介します。
唾奇は小学6年生の時に「キングギドラ」に衝撃を受ける!
唾奇がラップにハマっていったきっかけというのが、彼が小6当時に活動していた「KGDR(キングギドラ)」の楽曲を聞いたときだと言われています。
1993年から1996年の間に活動しており、活動停止をへて現在でも再結成し活動しています。メンバーにはZeebraも在籍しているので影響力とてつもないものでした。
唾奇がラップにハマったのは姉の彼氏の影響
唾奇がキングギドラを聞くようになったきっかけは、彼の姉が当時交際していた彼氏が好んで聞いていた体と語っています。ヒップホップに加えてファッションもその人からの影響が大きいようです。
唾奇はニコニコ動画などに楽曲をアップしていた
中学三年になるまではヒップホップは好きだが、歌うというよりはダンスで主に作品作りをしていた唾奇は、当時人気だったニコニコ動画でも動画を発信していました。
しかし、ダンスをするために外出するのが億劫になってしまった事がきっかけで、ラップに夢中になるようになったと語っています。
唾奇は店長をしながら音楽活動を開始した!
実は彼は有名になる前は沖縄の国際通りにある「パラバル」というバーで雇われ店長として働いていました。音楽活動をしながら、そのバーで働くことで生計を立てていたのです。
その沖縄にあるバーの外にスピーカーを置いて日本語ラップを流していた時に、偶然立ち寄ったのが今後共に活動していくSweet Williamだったという話にも運命を感じます。
唾奇は「底辺」であることが嫌で音楽で生きていこうと決意
離婚率1位と言われる沖縄では母子家庭が多いのが現状ですが、その中でも特殊な生い立ち、環境で育った唾奇は自分自身を「底辺」の人間であるという劣等感を持っていたと語っています。
そんな底辺にいるにも関わらず「音楽で生計を立てる」というハングリー精神を胸に、音楽で生きていくことを決意していたようです。彼の生い立ちがあってこそ、今の彼の音楽があるのでしょう。
唾奇のおすすめ楽曲を紹介!
それではここで、唾奇の楽曲の中でも代表的でおすすめなものをご紹介したいと思います。それでれのリリックやビートの特徴も踏まえ、ぜひ一度聞いてみてください。
唾奇のおすすめ楽曲①Let me
この曲はCHICO CARLITOと共に作られた楽曲で、その美しい仕上がりにたくさんのファンがいる作品です。リリックの中には沖縄を強く感じる雰囲気で地元愛を強く感じます。
全体的なビートがヒップホップとは思えないように美しく、CHICO CARLITOと唾奇のリリックの中にはとて前向きで応援歌のような雰囲気があります。実はアニソンにも影響を受けているという話もあります。
唾奇のおすすめ楽曲②Cheep Sunday
同じレーベルで活動しているhokutoとタッグを組んだ一曲です。こちらは比べるとよりヒップホップ感が増し、実際にライブ会場でMCを聞いているような暑いリリックが印象的です。
やはり全体的なビートで緩めな仕上がりになっていて、聞いていると安心するという声や落ち着くという感想も多くみられます。
唾奇のおすすめ楽曲③all green
楽曲プロデューサーDJ RYOWとのコラボ作品です。歌詞を聞くと「ドラッグ」「葉っぱ」などの単語が出てくることで、この楽曲は薬物のせいで亡くなった仲間に捧げた歌だという事がわかります。
親しみを感じ、耳に残りやすいビートにも関わらずリリックが際どいラインを攻めていっているのがより印象強く残ります。
唾奇のおすすめ楽曲④愛のままに
韻シストのBASIと唾奇のコラボしたこの楽曲は名曲とも言われています。BASIが長いあいだ温めていたトラックに唾奇が加わることで化学反応を起こしています。
とてもシンプルなトラックに、二人が奏でる人生と愛のリリックが染み渡る一曲です。唾奇の個性的な歌声とBASIのどっしりと落ち着いた歌声のバランスが絶妙です。
唾奇のおすすめ楽曲⑤道-TAO-