祖母に育てられた兄弟で、母親も度々戻ってくるのですが、子供達の面倒をみることはなかったようです。そして親戚からはDVを受けていたということも本人が言っているようです。
彼が長い間住んでいた実家は心霊現象が頻繁におこる家だったと言っています。他にも「奇妙」なことについて知りたい人はこちらの記事をお読みください。
唾奇の生い立ち③姉はシンナーを吸っていた
唾奇と2歳年が離れている姉も、その生い立ちや家庭環境のせいかまっすぐには育たなかったようです。昔のヤンキー雑誌に掲載されるほどのTHEヤンキーとして育ちます。
ある日唾奇が学校から戻ると姉の部屋から強烈なシンナーの匂いがしたそうです。扉を開けると、8人ほどの仲間内でシンナーを吸っている姉の姿が会ったと言っています。
唾奇がラップを始めたきっかけは?経歴も紹介!
そんな悲しい生い立ちをバックグラウンドにもつ唾奇ですが、なぜラップに興味を持ったのか?そしてそのラップでここまでの知名度を築きあげることができたのか?をご紹介します。
唾奇は小学6年生の時に「キングギドラ」に衝撃を受ける!
唾奇がラップにハマっていったきっかけというのが、彼が小6当時に活動していた「KGDR(キングギドラ)」の楽曲を聞いたときだと言われています。
1993年から1996年の間に活動しており、活動停止をへて現在でも再結成し活動しています。メンバーにはZeebraも在籍しているので影響力とてつもないものでした。
唾奇がラップにハマったのは姉の彼氏の影響
唾奇がキングギドラを聞くようになったきっかけは、彼の姉が当時交際していた彼氏が好んで聞いていた体と語っています。ヒップホップに加えてファッションもその人からの影響が大きいようです。
唾奇はニコニコ動画などに楽曲をアップしていた
中学三年になるまではヒップホップは好きだが、歌うというよりはダンスで主に作品作りをしていた唾奇は、当時人気だったニコニコ動画でも動画を発信していました。
しかし、ダンスをするために外出するのが億劫になってしまった事がきっかけで、ラップに夢中になるようになったと語っています。
唾奇は店長をしながら音楽活動を開始した!
実は彼は有名になる前は沖縄の国際通りにある「パラバル」というバーで雇われ店長として働いていました。音楽活動をしながら、そのバーで働くことで生計を立てていたのです。
その沖縄にあるバーの外にスピーカーを置いて日本語ラップを流していた時に、偶然立ち寄ったのが今後共に活動していくSweet Williamだったという話にも運命を感じます。
唾奇は「底辺」であることが嫌で音楽で生きていこうと決意
離婚率1位と言われる沖縄では母子家庭が多いのが現状ですが、その中でも特殊な生い立ち、環境で育った唾奇は自分自身を「底辺」の人間であるという劣等感を持っていたと語っています。
そんな底辺にいるにも関わらず「音楽で生計を立てる」というハングリー精神を胸に、音楽で生きていくことを決意していたようです。彼の生い立ちがあってこそ、今の彼の音楽があるのでしょう。
唾奇のおすすめ楽曲を紹介!
それではここで、唾奇の楽曲の中でも代表的でおすすめなものをご紹介したいと思います。それでれのリリックやビートの特徴も踏まえ、ぜひ一度聞いてみてください。