「よっこいしょういち」、使ったことはありますか?
「よっこいしょういち」というフレーズ、聞いたことはありますか?
恐らく、よっこいしょういちは若い世代ではあまり使われないような言葉かもしれませんが、30代から上の世代では、知っている人は多く、中には時々この言葉を使っている人も居るのではないでしょうか。
よっこいしょういちを使っている人、使ったことがある人も、実は元ネタを知らない人も少なくないようなのです。
よっこいしょういちとは?
この言葉の意味はなんとなく分かると思いますが、由来や元ネタはどうでしょうか?
こちらでは、ちょっと気になるこの「よっこいしょういち」という言葉の由来なども含めて、詳しくご紹介していきますので、どうぞご覧ください。
ギャグの語源・日本で昭和50年代に流行る
この言葉は、「よっこいしょ」と、当時話題の中心ともなっていた旧日本軍である「横井庄一」さんをかけあわせたギャグです。
しかし、このギャグは明確な発生源は謎なのですが、「よっこいしょ」と言う時に、似た名前の横井庄一さんが自然とかけられ「よっこいしょういち」と言われるようになります。
それは自然と広がっていき、その当時、皆が使う流行のよっこいしょういちギャグとなりました。
残留日本兵・横井庄一さんが由来
当時話題の横井庄一さん、何がそんなに注目されていたのかと言うと、終戦を知らずに28年もの間、グアムのジャングルに潜伏していたからなんです。
戦争で亡くなったと、30年近く思われていた人物が、実は生きていて、ひょっこり日本に帰還したので、メディアにも取り上げられ、日本中が驚愕しました。
彼が1972年に日本に帰国するまでの間は、横井庄一さんは終戦したとは知らないので、敵地でずっと身を潜めながら、ジャングルでサバイバル生活を余儀なくされていました。
そして、遂に現地の人に発見され、日本に帰国することが出来ました。
横井庄一さん参議院議員落選でギャグも収束?
帰国した横井庄一さんは、講演会や執筆活動などで、自身の戦争などの体験を語る活動をしていました。
一時は誰もが注目していた彼でしたが、1974年に参議院議員選挙に無所属で出馬しますが、残念ながら落選してしまい、それとともに横井庄一さんは時の人となったようです。
「よっこいしょういち」の流行だったギャグも、落選してしまった頃あたりから、だんだんと使われなくなっていき、現在ではよっこいしょういちというと、死語だと言われたりしています。
「よっこいしょういち」は独り歩きし使われ続けた
横井庄一さんがメディアなどで上がらなくなり、若い世代では知らない人が多くなった頃、有名アニメの登場キャラクターや、ドラマの登場人物が「よっこいしょういち」とセリフが使われました。
そのおかげで「よっこいしょういち」は、横井庄一さんを知らない世代でも知られるようになり、横井庄一さん抜きに、広まっていき、ギャグの一人歩きという形で、再び広まりました。
よっこいしょういちの語源・横井庄一とは?
よっこいしょういちの語源である、一時は日本中の注目となった横井庄一さんとは、一体どのような人なのでしょうか?
こちらでは、彼の驚きの人生を振り返りながら、詳しくご紹介していきます。
横井庄一はグアムで28年サバイバル生活していた
昭和20年、ポツダム宣言をきっかけに、日本は負けを認め、戦争から手を引き、日本軍として戦争真っただ中に居る横井庄一さんらの居るグアムでも、日本が負けたことを知らせるビラか撒かれました。
しかし、横井さん達は、ビラを見たにもかかわらず、これは敵の罠だとして信じずに、グアムのジャングルで28年過ごすことになります。
敵軍の捕虜になることは、日本兵として最も不名誉な事だと「軍事教育」されていた彼らは、仲間が助けに来ることを信じ、現地で身を潜める他ありませんでした。
身を潜めてから、しばらく経ち、脱出する事を考え町に偵察しに行った横井庄一さんは、以前よりも道路や町が整備されているのを目撃し、「ここで人目につかずに脱出は不可能だ」と、そこで日本へ自力で行くことは諦めたそうです。
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横井庄一は猟師に殺されそうになっていた?
グアムのジャングルで身を潜めて生活して28年が経過し、横井庄一さんは、食料を採りに出ていた所を、現地住民に見つかり、日本へ帰還することになります。
しかし、彼を見つけた、その現地住民は、日本兵に家族を殺されている恨みを持つ者でした。
その方は、旧日本兵である彼に対しても、当然殺意を抱き、一度は銃口を向けますが、必死に抑えました。そして、横井庄一さんは無事に日本へ帰還することが出来たんです。
横井庄一の日本帰還時の様子
横井庄一さんが28年越しに日本へ帰還した時、「桜のように散れずに申し訳ありませんでした」と、発言しています。
この言葉は、横井庄一さんの誠実で真面目な性格が垣間見える発言で、当時の視聴者から好感が持たれ、有名な発言になりました。
「恥ずかしながら帰ってまいりました」も流行に
日本へ帰還した横井庄一さんは、空港で出迎えられた斎藤厚生大臣と言葉を交わした際には「何かのお役に立てるかと恥を忍んで帰ってまいりました」などと発言したそうです。
また、その後のメディアの取材では、「恥ずかしながらかえってまいりました」とも発言されています。この言葉も当時の流行語のようになりました。
帰国後は自らの経験を語ることで活躍した
帰国した後の彼は、日本に居なかった約30年の期間が空いていたにも関わらず、日本にすぐに馴染みました。
そして、耐貧生活評論家となり、長年異国のジャングルで生活していた事から得た知識を元に、日本各地で講演会で知識を広めました。
執筆もされており、28年間のサバイバル生活についてを語った本なども、いくつか出版したりして、活動されていました。
82歳で亡くなり「横井庄一記念館」開館へ
1997年、82歳で生涯を終えられた横井庄一さんでしたが、亡くなられた後、奥さんの美保子さんが自宅を改装して、「横井庄一記念館」を作りました。
入場料はタダで、日曜日のam10:00~pm4:30のみ開館しており、サバイバル生活していた場所を再現した模型や、使用していた道具を復元したものだったりを展示しています。
よっこいしょういちの語源、横井庄一ジャングル生活【住居編】
敵地の森に潜伏して、戦い続けた30年近くもの間、どういった生活をしていたのか、一番気になる所ですよね。
こちらでは、よっこいしょういちの元である彼の過ごしていた住処などをご紹介していきます。
地下壕を掘った
横井さんは、森の中で潜伏する為に、地下壕を掘って住処を作りました。
深さは2m程度、奥行きは3mくらいの空間を作り、そこで生活していました。
もともとは洋服の仕立て屋を生業としていたこともあってか、自作で機織り機を作成し、ヤシの実の繊維を利用した洋服や草履を器用に作られていました。
よっこいしょういちの語源、横井庄一ジャングル生活【食事編】
サバイバルでの最も重要とも言える、飲食についてはどうしていたのでしょうか。
こちらでは、気になる横井庄一さんのサバイバルでの食事についてご紹介していきます。
最初は植物、のちに肉も
最初の頃は、ジャングルに生える植物を食べて、飢えをしのいでいました。ココナッツでお椀を作ったりもしたようです。
試行錯誤して罠を作り、そのうちネズミ、ヘビ、魚、などの捕獲に成功してからは、豚・牛・鹿などと、立派な食肉を確保することも可能になり、しっかりとエネルギー補給ができるようになりました。
そして、食材調理する上では、もちろん火も必要です。火を起こすのには、レンズを使って火を起こしました。それを無くしてからは、竹をこすり合わせて火を起こしていたそうです。
そのうち、ココナッツから油を取り出すことも可能になり、その油で揚げ物を作ったり、燃料として使ったりもしていました。
よっこいしょういちは死語?使い方は?
幅広い世代に知られているよっこいしょういちギャグですが、昔から知られているギャグなので、「今ではもう死語なのでは?」という声もあります。
こちらでは「よっこいしょういち」は死語なのか?はたまた、どのように使われるのか?ということにも触れていきますので、是非ご覧ください。
世代ごとに認識の差がある
「よっこいしょういち」というギャグは確かに幅広い世代で知られているギャグです。しかし、世代ごとによっこいしょういちの若干の認識の違いがあります。
50代から上の世代は、リアルタイムで横井庄一さんのニュースを見ている世代なので、「よっこいしょういち」といえば、横井庄一!と、直結して浮かんでくる年代です。
また、今だに「よっこいしょういち」とふいに言ってしまう。という方は50代の世代が多いようです。
40代になると、幼少期に聞いたことあるかな?という程度の認知度となります。この辺からギャグの一人歩きが始まったと言えます。
30代から下になると、横井庄一さんを知らない人がほとんどとなりますが、アニメやドラマなどで使われているギャグでもあるので、ギャグだけ知っている人というのが、ほとんどとなります。
しかし、若い世代には、よっこいしょういちと言うと、おやじギャグだという認識が強く、死語だと思われている為に、使用する若者はあまり居ないのが現状です。
「よっこいしょういち」は掛け声として使う
「よっこいしょういち」は、立ち上がったり、座ったり、重いものを持ち上げたりなどした時の掛け声として使います。
よいしょ、よっこいしょ、などと言うような場面で、これらと同じ意味で使用します。