よっこいしょういちとは?元ネタや意味・語源となった横井庄一の紹介も!

横井庄一はグアムで28年サバイバル生活していた

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昭和20年、ポツダム宣言をきっかけに、日本は負けを認め、戦争から手を引き、日本軍として戦争真っただ中に居る横井庄一さんらの居るグアムでも、日本が負けたことを知らせるビラか撒かれました。

しかし、横井さん達は、ビラを見たにもかかわらず、これは敵の罠だとして信じずに、グアムのジャングルで28年過ごすことになります。

敵軍の捕虜になることは、日本兵として最も不名誉な事だと「軍事教育」されていた彼らは、仲間が助けに来ることを信じ、現地で身を潜める他ありませんでした。

身を潜めてから、しばらく経ち、脱出する事を考え町に偵察しに行った横井庄一さんは、以前よりも道路や町が整備されているのを目撃し、「ここで人目につかずに脱出は不可能だ」と、そこで日本へ自力で行くことは諦めたそうです。

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横井庄一は猟師に殺されそうになっていた?

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グアムのジャングルで身を潜めて生活して28年が経過し、横井庄一さんは、食料を採りに出ていた所を、現地住民に見つかり、日本へ帰還することになります。

しかし、彼を見つけた、その現地住民は、日本兵に家族を殺されている恨みを持つ者でした。

その方は、旧日本兵である彼に対しても、当然殺意を抱き、一度は銃口を向けますが、必死に抑えました。そして、横井庄一さんは無事に日本へ帰還することが出来たんです。

横井庄一の日本帰還時の様子

横井庄一さんが28年越しに日本へ帰還した時、「桜のように散れずに申し訳ありませんでした」と、発言しています。

この言葉は、横井庄一さんの誠実で真面目な性格が垣間見える発言で、当時の視聴者から好感が持たれ、有名な発言になりました。

「恥ずかしながら帰ってまいりました」も流行に

日本へ帰還した横井庄一さんは、空港で出迎えられた斎藤厚生大臣と言葉を交わした際には「何かのお役に立てるかと恥を忍んで帰ってまいりました」などと発言したそうです。

また、その後のメディアの取材では、「恥ずかしながらかえってまいりました」とも発言されています。この言葉も当時の流行語のようになりました。

帰国後は自らの経験を語ることで活躍した

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帰国した後の彼は、日本に居なかった約30年の期間が空いていたにも関わらず、日本にすぐに馴染みました。

そして、耐貧生活評論家となり、長年異国のジャングルで生活していた事から得た知識を元に、日本各地で講演会で知識を広めました。

執筆もされており、28年間のサバイバル生活についてを語った本なども、いくつか出版したりして、活動されていました。

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82歳で亡くなり「横井庄一記念館」開館へ

1997年、82歳で生涯を終えられた横井庄一さんでしたが、亡くなられた後、奥さんの美保子さんが自宅を改装して、「横井庄一記念館」を作りました。

入場料はタダで、日曜日のam10:00~pm4:30のみ開館しており、サバイバル生活していた場所を再現した模型や、使用していた道具を復元したものだったりを展示しています。

よっこいしょういちの語源、横井庄一ジャングル生活【住居編】

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敵地の森に潜伏して、戦い続けた30年近くもの間、どういった生活をしていたのか、一番気になる所ですよね。

こちらでは、よっこいしょういちの元である彼の過ごしていた住処などをご紹介していきます。

地下壕を掘った

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横井さんは、森の中で潜伏する為に、地下壕を掘って住処を作りました。

深さは2m程度、奥行きは3mくらいの空間を作り、そこで生活していました。

もともとは洋服の仕立て屋を生業としていたこともあってか、自作で機織り機を作成し、ヤシの実の繊維を利用した洋服や草履を器用に作られていました。

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