「鈴鹿市ベルシティ事件」に関するごみ袋の中に入っていた遺体は、手足が無い遺体です。
切り口がノコギリの刃らしいもので切断されており、両腕は上腕部から切断両足は太ももの部分から切断され、手足は見つかっていません。
遺体は腐乱が激しく1年半前~5年前のものといわれていた
「鈴鹿市ベルシティ事件」として死体遺棄及び殺害事件として警察は捜査を開始。遺体状況から殺人事件であると警察はみていました。
遺体はかなり腐乱しており、骨が剝き出しとなっている箇所もあり。性別 年齢も不明。1年半前から5年前の遺体と警察はみています。
発見当時は20代~40代の小柄な女性の遺体と予想されていた
「鈴鹿市ベルシティ事件」の遺体は津市の三重大学に移送され、調べた結果、20代~40代の小柄な女性と断定、他は目立った損傷はないとの検視結果でした。
歯の治療跡と血液型から中学3年生の女の子であったと判明
「鈴鹿市ベルシティ事件」で発見された遺体から20日程過ぎた8月31日に歯の治療痕また血液の検視結果。行方不明となってと2年が過ぎ去っていた。
三重県鈴鹿市に住む女子中学生Aさん(当時14歳)のではないかとの検視結果でした。
被害者、島根女子大学生平岡 都さんを視点にした記事です。被害者は山でバラバラ遺体となって発見され、7年後に犯人が判明するが、事故死しています。詳しく知りたい方は是非こちらもご覧ください。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人が逮捕されるまで
「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者Aさんが犬と共に散歩していた場所。また犯人である樋田康則が家族と共に住む住居、また「鈴鹿市ベルシティ事件」犯人である樋田が勤務先としていた会社。
また鈴鹿市ベルシティ事件となる車で樋田がAさんを轢く現場。「被害者である女子中学生Aさんを轢いたとされる場所」が非常に近くに点在しており、半径2kmに集中しています。
また町の中心地のそばであり、近くには近鉄鈴鹿線の平田町駅、鈴鹿市役所があります。早朝でもあり通行人がいる時間帯。鈴鹿市ベルシティ事件の目撃者が一人もいませんでした。
犯人にしてみれば偶然の産物としか云えない場所と云えましょう。不可思議としか思えようのない殺害現場です。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人は自動車修理業をしていた樋田康則
「鈴鹿市ベルシティ事件」事件当日平成4年(1992年)8月25日。残忍たる殺伐とした犯罪者である樋田康則は、鈴鹿市内の自動車修理業の会社に勤務。この日も午前8時10分にタイムカードを押してます。
それから自家用車で会社を出て午前8時20分には、「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者女子中学生Aさんを見かけ強姦目的で車で撥ねています。
樋田康則の知人からの証言により逮捕に繋がった
警察の必死な聞き込み調査より「鈴鹿市ベルシティ事件」犯人の樋田 康則の知人より有力な証拠となる証言があります。
「犬の死骸を沈めたがどうしても浮き上がってくる。 気味が悪いので手伝ってほしい。」と「鈴鹿市ベルシティ事件」の犯人である樋田康則が知人に協力を頼んだことが証言証拠となり、樋田の逮捕へと繋がりました。
鈴鹿市ベルシティ事件当時の樋田康則の動きとは?遺体から見える残虐性
平成4年(1992年)8月25日早朝、犬と共に散歩をしている「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者女子中学生Aさんを犯人である樋田康則は発見。車を運転して物色している最中に、Aさんを見つけます。
自分の欲求を満たす為に乱暴しようと計画、「鈴鹿市ベルシティ事件」の犯人樋田康則は車で被害者Aさんに気づかれないように背後から車で轢きます。
わいせつ目的のいたずらができないと判断するや、殺害するという人間あるまじき行為は狂気の沙汰と云えるものでしょう。