鈴鹿市ベルシティ女子中学性殺人事件とはどんな事件だったのか
釣りをしに、来ていた男性が浮遊物が浮いている事を発見。場所は鈴鹿市にある池です。浮遊物が浮いている事を発見したことから「鈴鹿市ベルシティ事件」が始まります。
警察が中身を開けて見てみると手足の無い遺体が見つかります。この残忍たる悪質な事件が鈴鹿市ベルシティ事件です。
鈴鹿市在住のごく一般的な女子中学生3年生の女の子。「鈴鹿市ベルシティ事件」予期しない犠牲者となるのです。
2年前から行方不明となっていて、行方が判らなくなった日は警察と家族または身内、学校の関係者、同級生と懸命に探したものの結局見つからず、月日のみ過ぎ去るのみでした。
この事件の張本人 樋田康則は、この遺体が発見される時には鈴鹿市に住んでおらず。
すでに2年前に転居しており、現在は新潟県燕市(つばめし)に住居を構え、自ら自動車修理工場を経営。
また鈴鹿サーキットに出場するチームに所属。チーフメカニックとしても有名な逸材でした。この人物こそが「鈴鹿市ベルシティ事件」の犯人です。
「鈴鹿市ベルシティ事件」が犯人の残忍性極まりない性格。また女子中学生3年生Aさんの夢、何故この事件は起こってしまったのか。
「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者がこの2年間もの間、何故発見に至らなかったのか。
また「鈴鹿市ベルシティ事件」という事件を起こした樋田康則(といだやすのり)の犯人の正体や性格など、順をおって事細かに説明していきます。
鈴鹿市ベルシティ事件の被害者はどんな人物?行方不明になそるまでの経緯も
Aさんは鈴鹿市に住んでいるごく普通の女子中学生3年生でいずれは宝塚歌劇団に入団するという「夢」を持つ女の子でした。Aさんは思いもしない被害を受け「鈴鹿市ベルシティ事件」殺害されてしまいます。
被害者は宝塚歌劇団の予備校に通っていた中学3年生の女の子
被害者「鈴鹿市ベルシティ事件」となったAさんは将来はタカラジェンヌになるとの夢があり、宝塚歌劇団の予備校に通う毎日を過ごしていました。
合格して入学できる事を目指し頑張っており、家出をするといった理由は見当たりません。
被害者は犬の散歩に出かけたまま行方不明になっていた
被害者「鈴鹿市ベルシティ事件」となったAさんは朝早くから日課である犬の散歩に出かけ、そのまま行方不明となってしまいます。
夏休みも終わろうとする平成4年(1992年)8月25日の早朝、自宅近くの県道で同じ中学校に通う中学生に犬と共に散歩をしているAさん、が目撃されています。
この姿がAさんの最後となり、そのまま行方不明となって「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者となってしまうのです。
家族が捜索願を提出し捜査開始!しかし見つからず
「鈴鹿市ベルシティ事件」の思わぬ被害者となったAさんの行方が判らず心配する家族は警察に捜索願を提出。
警察も家族も懸命に探しまたまた身内、学校の関係者や同級生も必死に探しますが、Aさんの行方はようとして知れず発見とはなりません。
その後も警察が探すもAさんは目撃した人が一人もおらず、まるで神がかりにかかったかのようにそのまま行方不明に色濃くなりつつあります。
すでにAさんは「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者となって暗殺されていたのです。
鈴鹿市ベルシティ事件の被害者が見つかるまで
2年後にようやく発見となります。しかし見るに耐えない姿となっていました。「鈴鹿市ベルシティ事件」の悲惨な被害者となっていたのです。
見つかったのは2年後!釣り人により遺体は発見される
鈴鹿市の女子中学生の被害者「鈴鹿市ベルシティ事件」Aさんが行方が判らずになって2年後の平成6年(1994年)8月11日午後6時前後に、通報。
ある男性から「水門付近に見たことがない浮遊物がある。中に人が入っているようだ」と上野署に通報が入ります。
釣りに来ていた男性が携帯電話にて通報。場所は、三重県阿山郡伊賀町です。この町には沢山の池が存在します。
沢山ある池の一つ竹谷池に釣りをしに来ていたのです。そこで疑わしい袋が発見されました。
この夏はまとまった雨が降らずに異常渇水となっていました。その為池の水が干上がっており、遺体が入ったビニール袋が浮き上がっていたのです。
そして人らしき物体が露出していることが確認できます。
同署員が池の干上がった部分に青いビニール製の袋を回収、遺体は家庭用のゴミ袋で包んであり上から金網で覆い、ロープで縛られており、重しにコンクリートブロックが2個ぶら下がっていました。
水門付近にあった袋に入っていたのは手足が切断された遺体
「鈴鹿市ベルシティ事件」に関するごみ袋の中に入っていた遺体は、手足が無い遺体です。
切り口がノコギリの刃らしいもので切断されており、両腕は上腕部から切断両足は太ももの部分から切断され、手足は見つかっていません。
遺体は腐乱が激しく1年半前~5年前のものといわれていた
「鈴鹿市ベルシティ事件」として死体遺棄及び殺害事件として警察は捜査を開始。遺体状況から殺人事件であると警察はみていました。
遺体はかなり腐乱しており、骨が剝き出しとなっている箇所もあり。性別 年齢も不明。1年半前から5年前の遺体と警察はみています。
発見当時は20代~40代の小柄な女性の遺体と予想されていた
「鈴鹿市ベルシティ事件」の遺体は津市の三重大学に移送され、調べた結果、20代~40代の小柄な女性と断定、他は目立った損傷はないとの検視結果でした。
歯の治療跡と血液型から中学3年生の女の子であったと判明
「鈴鹿市ベルシティ事件」で発見された遺体から20日程過ぎた8月31日に歯の治療痕また血液の検視結果。行方不明となってと2年が過ぎ去っていた。
三重県鈴鹿市に住む女子中学生Aさん(当時14歳)のではないかとの検視結果でした。
被害者、島根女子大学生平岡 都さんを視点にした記事です。被害者は山でバラバラ遺体となって発見され、7年後に犯人が判明するが、事故死しています。詳しく知りたい方は是非こちらもご覧ください。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人が逮捕されるまで
「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者Aさんが犬と共に散歩していた場所。また犯人である樋田康則が家族と共に住む住居、また「鈴鹿市ベルシティ事件」犯人である樋田が勤務先としていた会社。
また鈴鹿市ベルシティ事件となる車で樋田がAさんを轢く現場。「被害者である女子中学生Aさんを轢いたとされる場所」が非常に近くに点在しており、半径2kmに集中しています。
また町の中心地のそばであり、近くには近鉄鈴鹿線の平田町駅、鈴鹿市役所があります。早朝でもあり通行人がいる時間帯。鈴鹿市ベルシティ事件の目撃者が一人もいませんでした。
犯人にしてみれば偶然の産物としか云えない場所と云えましょう。不可思議としか思えようのない殺害現場です。
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人は自動車修理業をしていた樋田康則
「鈴鹿市ベルシティ事件」事件当日平成4年(1992年)8月25日。残忍たる殺伐とした犯罪者である樋田康則は、鈴鹿市内の自動車修理業の会社に勤務。この日も午前8時10分にタイムカードを押してます。
それから自家用車で会社を出て午前8時20分には、「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者女子中学生Aさんを見かけ強姦目的で車で撥ねています。
樋田康則の知人からの証言により逮捕に繋がった
警察の必死な聞き込み調査より「鈴鹿市ベルシティ事件」犯人の樋田 康則の知人より有力な証拠となる証言があります。
「犬の死骸を沈めたがどうしても浮き上がってくる。 気味が悪いので手伝ってほしい。」と「鈴鹿市ベルシティ事件」の犯人である樋田康則が知人に協力を頼んだことが証言証拠となり、樋田の逮捕へと繋がりました。
鈴鹿市ベルシティ事件当時の樋田康則の動きとは?遺体から見える残虐性
平成4年(1992年)8月25日早朝、犬と共に散歩をしている「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者女子中学生Aさんを犯人である樋田康則は発見。車を運転して物色している最中に、Aさんを見つけます。
自分の欲求を満たす為に乱暴しようと計画、「鈴鹿市ベルシティ事件」の犯人樋田康則は車で被害者Aさんに気づかれないように背後から車で轢きます。
わいせつ目的のいたずらができないと判断するや、殺害するという人間あるまじき行為は狂気の沙汰と云えるものでしょう。
被害者にわいせつ目的で近づくためにわざと車ではねた
会社に、出勤してタイムカードを押し、直ぐに自家用車で出社しており「鈴鹿市ベルシティ事件」の犯人である樋田康則は色々と物色する為に会社を車で出ています。
まるでタイムカードを押して、自分は会社に勤務しているようにカモフラージュとも思える行為です。
樋田は車で会社を出てその時にたまたま見かけた犬と共に散歩をしている「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者である女子中学3年生Aさん。
わいせつ目的に乱暴をしてやろうと計画。背後から自家用車の4輪駆動車にて背後から、はねます。
思いのほか重症だったので車でひき殺すことを決意
乱暴しようと思い近づくが思いのほか、怪我がひどく断念します。この事が公になることを危惧した樋田康則は更に再度車をバックさせて被害者Aさんを轢き殺します。
この行為がのちに残虐性身勝手な事件として「鈴鹿市ベルシティ事件」と呼ばれます。
死体を運びだして遺体の手足をノコギリで切断
殺害し遺体となった「鈴鹿市ベルシティ事件」の思わぬ被害者となったAさんを亀山市安坂山町の石水溪まで運んだ。
その現場において樋田は臆することなく、ノコギリで両手両足を切断。両腕は上腕部から切断、両足は太ももから切断しました。
胴体と手足を別々のビニール袋に入れて捨てることに
「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者Aさんの胴体と手足を別々の 黒ビニール袋に入れ、伊賀町の鴨山池に沈めます。
池に沈める胴体部分のみ浮かんできたため友人に協力を仰ぐ
鈴鹿市ベルシティ事件の被害者Aさんの遺棄を沈めたものの、一週間後に胴体が浮かび上がる為、「沈めた犬の死骸が浮いてくるので薄気味悪い。手伝ってほしい。」知人に協力を仰ぎます。
被害者の遺体の胴体部分と手足部分は別に池に沈めることに
「鈴鹿市ベルシティ事件」の被害者Aさんの頭部・胴体部分を鴨山池に沈めていたものを一旦遺体を引き上げ。鴨山池から鈴鹿市伊賀町の竹谷池へと移します。
黒のビニール袋で見えない様に上から入れ、重しとして、コンクリートブロックを2個付けて池へと新たに沈めます。
鈴鹿ベルシティ事件の犯人・樋田康則はどんな人物?事件後の行動も紹介
鈴鹿市ベルシティ事件の犯人樋田康則は高校卒業した後、鈴鹿市ベルシティ事件逮捕されるまで整備士の仕事をしています。