千里眼の力を持つ女性・御船千鶴子とは?
御船千鶴子とは、明治時代生まれで熊本県出身の千里眼といわれる力を持っていた女性のことです。特殊な力を持ったことで様々な人に影響を与え、最後には自らの命を絶ってしまうという波乱万丈の人生を送りました。
明治時代に熊本県で生まれた御船千鶴子
明治19年7月17日に熊本県宇土郡松合村、現在の宇城市不知火町で誕生しました。漢方医である父の秀益と、母のユキの次女になります。生まれつき進行性の難聴があったため、成人するころには左耳が聴こえにくかったようです。
御船千鶴子が千里眼に目覚めたきっかけは“催眠術”
能力に目覚めたのは、姉の夫である義兄の清原猛雄に、当時流行っていた催眠術をかけられたことがきっかけです。
彼女は催眠術にかかりやすく、千里眼が使える人間だと暗示をかけられ、成功してしまったために修練をすることになりました。子供のころから特殊な力が使えたため有名になっていたのですが、催眠術で更に力が高まったとされています。
具体的に御船千鶴子はどんな力を持っていたのか
普通ではありえないような特殊な力を使うことで評判が広まり、活躍することが多くなってきたことによって、千里眼プームに火がつきました。流行に乗って後を追うように自称超能力者が現れ始めました。
透視することができる“千里眼”
千里眼とは、一言で説明するならば透視ができる力です。彼女の場合は、手に透視するものを持って行うことが得意です。他にも無くしたものや、探し物などを見つけることもしていました。
不思議な力は千里眼の他にもあります。霊能力に興味のある方はこちらをご覧ください。
無くした指輪から炭鉱まで見つけ出した御船千鶴子
海で無くした指輪の場所を言い当てたり、とある会社に頼まれてどこにあるかもわからない炭鉱を発見したりしました。炭鉱を見つけたお礼として2万円(現在の価値で約2000万円)を得ていました。
他にも手をかざし、体を透視することによって行う治療など、幅広く活躍していました。
不思議な能力を持つ人たちは身近にいる
千里眼ではない不思議な能力を持つ人たちもいます。絶対音感やサヴァン症候群などを聞いたことがある方は多いのではないでしょうか。今回はあまり聞いたことのないようなスーパー・タスカーやある日急に才能に目覚めた人などを紹介していきます。
スーパー・タスカー
スーパー・タスカーとは、他の作業を同時に行えてしまう人のことを言います。
誰でもできると思われがちですが、作業に一切支障を出さずに同時進行ができる人はなかなかいません。スーパー・タスカーは人口全体の2%しか存在しておらず、一般の人がスーパー・タスカーになることは難しいとされています。
何かのきっかけで能力が目覚める場合もある
今は平凡に過ごしていても、ある日突然特殊な能力に目覚める可能性もあります。特別な力に目覚めた人は外国の方が多いですが、明らかになっていないだけで、私たちの周りにも存在している可能性もあります。
突然ピアニストになった人の事例
彼は電話ボックス会話をしている時に雷に打たれてしまい仮死状態に陥りました。幸いにも生還しましたが、倦怠感に襲われ、記憶にも障害をきたしていました。
症状が治った後、突然ピアノの演奏を聴きたくて仕方がない衝動にかられ、ついにはピアノを弾くまでになりました。今まで一度も引いたことはなかったのですが、プロ並みに素晴らしい演奏をすることができたのです。
フリーハンドでフラクタル図形を描ける世界でただ一人の人間
バーで飲んでいた彼は男2人に飛びかかられたことで脳震盪を起こしました。帰宅すると、あちこちに幾何学的(フラクタル)な模様があることに気がつきました。
目につく模様を描くようになった彼の絵を見た周囲の人々は、それがフラクタル図形(反復パターンの数学的集合)であることに気がつきました。数学が得意などと思ったことはなかったのですが、今はフリーハンドでフラクタル図形を描ける天才となりました。
2人の共通点
共通点は、1度もしたことがないのに何かのきっかけで出来るようになったこと、芸術面で優れるようになったことです。
千里眼事件とは?御船千鶴子が注目を浴びた公開実験とは
公開実験は東京帝国大学文科大学の福来友吉助教授とともにしました。実験結果は見ている人を動揺させるものでした。この出来事はのちに「千里眼事件」と呼ばれることになります。公の場での実験で何が起きたのでしょうか。
御船千鶴子の元へと訪ねて来たのは学者の福来友吉たち
評判を知った京都帝国大学の今村新吉教授や、東京帝国大学の福来友吉助教授などの学者が熊本県を訪れ、研究を始めました。
実際に目の当たりにすることで透視能力を確信した福来助教授は、研究結果を心理学会で発表し、新聞に載ったことにより広まり、大きな話題となりました。
そして東京で行われた御船千鶴子による公開実験
明治43年9月15日、東京帝国大学の山川健次郎が監督として透視実験を行いました。鉛管の中に入っている紙に何が書いてあるかを当てるというシンプルなものです。見事に成功させましたが、不審な点が出てきます。
透視は成功したかと思いきやスリ替えが行われていた
成功はしたものの、透視した鉛管は練習したときに使用したもので、鉛管は福来助教授が御船千鶴子に渡したものだとわかりました。用意してあった鉛管が透視できなかったためスリ替えたと彼女自身が話していました。
御船千鶴子はマスコミからバッシングを受けることに
鉛管のスリ替えが行われたとされた公開実験がきっかけとなって、新聞には透視能力について否定する文章が書かれるようになりました。集まっていた学者たちの反応も悪く、日に日に強い非難を受けるようになっていったのです。
御船千鶴子はどのように千里眼を使っていたのか?
透視の仕方は独特で、人々に怪しいと思わせるようなやり方に見えました。福来助教授はそれまでのやり方を変えさせようとしましたが、結果は全て失敗に終わりました。1つの方法でしか透視ができなかったのです。
御船千鶴子は密室で透視を行っていた
誰もいない密室で透視をしたり、立会人の目の前で行うときは背を向け、対象となるものを持って透視していました。手元が見えないように行なっており、透視の時間は10分以上かかったとされています。
状況が変わると失敗続きとなった御船千鶴子の透視
特殊な力の存在を人々に証明するために、福来助教授によって透視の方法を変えることになりました。背を向けない方法、対象となるものを持たない方法、どれも試しましたがいつも通りの方法ではないので全て失敗となりました。
トリックではないかと疑われた御船千鶴子のその後は
彼女はマスコミから非難を受けるようになり、人生が大きく変わりました。非難が益々強まっていくだろうというときに自ら命を絶ってしまいます。ストレスによって自殺したのかと思われますが、実は他にも原因とされる事実があったのです。
マスコミに“詐欺師”と疑われた御船千鶴子
東京で行われた公開実験によってマスコミからの非難は強まっていきました。彼女だけでなく、研究に関わった科学者達もマスコミの攻撃対象になったため「千里眼は科学ではない」という見解を公表しました。次第に研究がされなくなっていきました。
熱心に研究していた福来助教授も、千里眼は科学的手法では実証できないとして研究は終わりを告げました。