透視の仕方は独特で、人々に怪しいと思わせるようなやり方に見えました。福来助教授はそれまでのやり方を変えさせようとしましたが、結果は全て失敗に終わりました。1つの方法でしか透視ができなかったのです。
御船千鶴子は密室で透視を行っていた
誰もいない密室で透視をしたり、立会人の目の前で行うときは背を向け、対象となるものを持って透視していました。手元が見えないように行なっており、透視の時間は10分以上かかったとされています。
状況が変わると失敗続きとなった御船千鶴子の透視
特殊な力の存在を人々に証明するために、福来助教授によって透視の方法を変えることになりました。背を向けない方法、対象となるものを持たない方法、どれも試しましたがいつも通りの方法ではないので全て失敗となりました。
トリックではないかと疑われた御船千鶴子のその後は
彼女はマスコミから非難を受けるようになり、人生が大きく変わりました。非難が益々強まっていくだろうというときに自ら命を絶ってしまいます。ストレスによって自殺したのかと思われますが、実は他にも原因とされる事実があったのです。
マスコミに“詐欺師”と疑われた御船千鶴子
東京で行われた公開実験によってマスコミからの非難は強まっていきました。彼女だけでなく、研究に関わった科学者達もマスコミの攻撃対象になったため「千里眼は科学ではない」という見解を公表しました。次第に研究がされなくなっていきました。
熱心に研究していた福来助教授も、千里眼は科学的手法では実証できないとして研究は終わりを告げました。
服毒自殺を図った御船千鶴子は24才という若さでこの世を去ることに
明治44年1月18日に自殺を図り、翌日未明に24歳で若くして亡くなりました。マスコミや世間の非難が原因とされていますが、実は父と義兄との間で彼女を巡る争いがあったとも言われています。
義兄が営む治療院は、彼女の特殊な力の噂を聞きつけた人たちが訪れたために利益があったとされています。それを知った父は彼女を利用しようと考えましたが、義兄が認めなかったこともあり、2人の間で彼女は板挟み状態にありました。
御船千鶴子は結婚していたが子孫は残さず
22歳のとき、陸軍中佐の河地可謙と結婚していました。夫の財布から消えたお金が仏壇の引き出しにあると言い当てましたが、その引き出しは姑の使用していたものだったため姑とうまくいかなくなり、離婚しました。
結婚して早くに離婚したことから子供はいませんでした。
御船千鶴子と小保方晴子の事件は似ている?
御船千鶴子の千里眼事件と小保方晴子のSTAP細胞問題には似ているところがあります。一時的に脚光を浴びた二人ですが、いつもと違う環境や、監視されているところでは成功できませんでした。
小保方晴子のSTAP細胞問題
2014年にSTAP細胞の論文をNature誌に発表したことで「リケジョの星」として一夜にして有名になった小保方晴子ですが、STAP細胞の論文や早稲田大学の博士論文に不正があったため、一転して疑惑の人物となり、大きく話題となりました。