上申書殺人事件の概要!先生・三上静男と後藤良次の生い立ちやその後

事件捜査中の2006年12月31日に仲介をしたとされる工務店経営者が交通事故死しているのです。彼の周りでが謎の死を遂げる人物が多く、この事故死も多くの謎を残していますが第三者の後影もなく事故死と処理されています。

三上の周りでは多くの人物が死を遂げる

自らが計画し、殺人を起こしてもいましたが周りにいる人物の多くが謎の死を遂げたり自決をしています。なにか彼の圧力があったのか、本当に事故死なのか真相解明されないまま闇に消えています。

捜査ができない歯がゆさ

あまりにも不審な出来事が多発しているため、怪しいとマークをしますが徹底した計画性のために、闇に包まれ警察の手が出せないのです。怪しいと思いながらも罪人としてやっつけることができないのです。

上申書殺人事件の判決とは?

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こうした一連の残酷なトラブルは、保険金殺人として刑事裁判となったのです。その判決とはいがかなものだったのでしょうか?世間が注目した事件の真相をご説明します。

後藤良次は懲役20年(別事件で死刑)

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「私はシロです。命がけで争います」という言葉を残しており容疑を全面否定しています。ですが、平成15年に宇都宮地裁は死刑判決という一番重い有罪となります。

この有罪に不満を抱くことから事件の終結が長引きますが、平成19年に最高裁で死刑決定しました。

後藤良次は裁判に不満を抱いていた

他の共謀者の判決は無期懲役などと、自分よりも罪の軽さに不満を抱いていました。あくまでも自分は彼の指示の通りに動いただけで、自分は悪くないと主張しているのです。

後藤良次と三上静男の刑量の違い

彼は3件の殺人事件で指示役を訴えたにもかかわらず、アリバイが不十分として1件の刑事事件のみでした。そのことから罪も軽くなり彼は不満を抱くのです。

三上静男は無期懲役

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事件の主な指示者である頭脳犯は証拠が曖昧だとして無期懲役になります。判決に至るまでの名演技は、今までの冷酷なトラブルの手口と同様、死の錬金術師とも呼ばれるほどの人物であることを物語っています。

三上静男は涙を流しながら大声で訴えた

自分は全く関係なく事実無根だと言い張ります。そして逃げも隠れもしないと正々堂々戦うことも意思表明しますが、病的な虚言癖を持っている頭脳犯は、ここでも頭を働かせ、同情を得ようとします。

暴力団は嫌いだと涙ながらに場違いな発言を繰り返したのです。

異常な精神状態

裁判前では、正々堂々と戦うと宣告していた彼ですが、実際に裁判となると泣きつくように「かわいそうな人はみてられない」などあくまで自分は平和主義だということを訴えトラブルとは関係ないことをアピールしたのです。

インテリアショップ経営家族の判決

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事件当初は警察が事件性はなく自殺と断定していましたが、上申書の詳細と内容が同じだったことから彼が逮捕され、その後に被害者家族が容疑を認めたため、妻と娘に懲役13年、娘婿に至っては懲役15年が言い渡されました。現在も罪を償っています。

三上静男という人物・生い立ちやその後

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人をうまく操り、数々の冷酷なトラブルを起こしていった彼の生い立ちやその後は、いかがなものだったのでしょうか?周囲の評判や人格などご説明していきます。

飼っていたハトや鶏の首を絞め殺していた

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飼育していた小動物に対し、蹴ったり絞め殺す残虐なことを平気でしていたようです。動物が苦しんでいる様子を見て楽しむといった冷酷な内面は幼少期から持っていました。

周囲からは人格者として認知されていた

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無免許で不動産ブローカーと名乗り、顧客に対し仕事の話だけでなく個人的な相談にのったりと熱心な面もありました。失業したお客に対しては格安で住める物件を紹介するなどして、親身だったことから周囲からは人格者として頼られる存在だったのです。

不動産ブローカーとは?

不動産業者は通常、宅地建物取引業者という免許が必要です。彼は免許がないため、直接取引をすると犯罪になるので不動産業者を間に挟み、代わりに取引をしてもらって業者から手数料としてお金を貰う生業です。

お金のためなら何でもできる

お金のためなら善人を演じることもできますし、人を平気で消すことも何とも思いません。あくまで自分中心的な考えであり、自分の懐が潤うなら何でもできるのです。

膨大な財産を手にする「死の錬金術師」

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周囲から頼られる存在だった表の顔とは反対に、お金のためなら人を平気で殺めて後影を残さず用意周到な手口を使って莫大なお金を手に入れていたのです。悪に頭がまわる頭脳犯だったのです。

ためらいもなく無罪を主張し続ける

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後藤に上申書を出され訴えられると、メディアが殺到します。注目されても平然と自分は事実無根で関係ないことを主張し、裁判になっても逃げも隠れもしないと言い残すのです。

現在の様子とは

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有罪判決を受けた彼は、現在も服役中です。無期懲役は死刑の次に重い刑となっています。ですがアメリカのような終身刑とは異なり、一生塀の中で過ごすかと言ったら、そうではありません。

期限が決まっていない刑

服役期間が決まっていない刑であり、刑務所内の態度が良ければ外に出られる可能性があるのです。ただ仮出所扱いになるので、何か犯罪を犯せば即逮捕されます。

後藤良次という人物・生い立ちやその後

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元暴力団という闇の経歴をもつ彼は、一体どんな生い立ちだったのでしょうか?昭和33年に栃木県宇都宮市に生をうけた彼は3人兄弟の次男として育ちます。少年時代から多くの犯罪に手を染め悪の道を突き進みます。

少年時代から数多くの犯罪歴

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14歳のときに窃盗と暴力行為を犯し少年院に送られます。その後16歳で暴力団員となります。10代からさまざまな数えきれないほどの犯罪を犯し、青春時代を日の当たらない塀の中で過ごすのです。

多くの犯罪歴

14歳から始まった彼の悪の道は外れることなく突き進みます。善意の方向へ歩めれば更生できたでしょうが、彼はまっすぐ犯罪の経歴を総取得していくのです。

人を殺すことをためらわない

人を殺めることに何の躊躇もなく次々と悪を重ねていきます。そういった人間の心を持っているとは思えない道徳心のなさから、若くして暴力団の組長まで上り詰めるのです。闇組織のエリートとも言えます。

暴力団組長になり後藤静男を紹介される

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仮出所をした彼は、家族のためにも真面目になろうと決意をし、茨城県へ移住します。そこで以前から交流のあった暴力団関係者から、三上静男を紹介されます。紹介された当初は、不動産の勉強目的でした。熱心に不動産のことを教える先生との関係を親密にしていきます。

2人の犯罪能力の高さ

カタギになろうとしたのもつかの間、また犯罪に手を染めていくのです。彼の持つ飛び抜けた暴力性と、指示役の犯罪能力がタッグしアウトローな道を進むこととなるのです。

宇都宮監禁殺人事件を起こす

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この事件で三上静男は関係なく彼が仲間と共謀し起こしたトラブルなのです。彼がもともと知人である被害者にプライドを潰されたと激昂し手足を縛り暴行を加え、栃木県の川に生きたまま投げ入れるという残酷なことをしました。

関係のない人間も殺める

この他にも、ターゲットとした被害者宅に突如侵入し、その場にいた関係のない仲間4人も一緒に手足を縛って監禁状態にし、高濃度の覚せい剤を投与し1人を殺害。その他の3人には暴行を加え放火したのです。

宇都宮監禁殺人事件の判決

多くの犯罪歴をもち、この事件でも2人の命を奪ったため死刑判決を下されることとなるのです。この事件は、三上とは全く接点のないトラブルで後藤自身が仲間と起こした事件です。

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