呪いとは返ってくるものだと言われます。それが「人を呪わば穴二つ」、つまり人を呪う際には相手と自分、二つの墓穴が必要だという意味です。嫌いな人は誰も居ない、恨みなんて一つもない、そんな人間は居ないでしょう。しかし、その嫌う気持ち、恨む気持ちは自分の身を損ねてまで晴らす必要があるでしょうか。
自分がその場から離れるだけではダメ?
相手を呪いたくなるほど嫌う、そんなこともあると思います。それは呪い以外に逃れる手段はないのでしょうか、相手から距離を置く、縁を切る、酷い気持ちで相手と向き合っていくよりも、その相手に関わりのない所で生きて行く、そういう方法はありませんか。
呪いは救いか?
どんな方法もなく、呪い以外に選択肢がないのであれば、呪うことによって救われるのであれば、それでもいいのかもしれません。しかし、日本では呪いが罪ではないと判断されるほど、確実に効くものではありません。
藁人形は呪いの道具だけではない!
藁人形と丑の刻参りを始めとした呪いについて述べてきましたが、藁人形の使い道は呪いだけではありません。人の形を模した藁人形は、呪いを込めるだけではなく、人に降りかかる悪い物を代わりに引き受けてくれるありがたい物でもあるのです。
岩手県の白木野地域での風習
岩手県の白木野では毎年1月19日に「白木野人形送り」という厄払いのお祭りがあります。そこでは藁人形を地区境に置き、集落に災いが入り込まないように、にらみを利かせるというものです。ここでは藁人形が集落を守る役割を持っています。
開運などの儀式にも
小さな藁人形をアクセサリーとして身につけ、悪い物を代わりに引き受けてもらう。そんな身代わり人形としての役割も藁人形にはあります。藁人形が厄を肩代わりしてくれます。キーホルダーやストラップの形で売られているものが多いです。
インテリア?ただの人形として扱う
藁で出来ていても、人形は人形です。草で作られた感触は、畳や藁ぶき屋根といった日本の古い景色によく合います。その年の干支を巨大な藁人形で作る、そんなお祭りも日本には複数ありますし、個人で購入できる小さなものも販売されています。勿論、干支ではない、ただの藁人形を飾るのもダメなわけではありません。厄除けになるかもしれません。
呪うなら己自身も呪われる覚悟を決めよ
呪いとは恐ろしいものです、呪うならば、呪いが効かないことも、呪いが返ってくることも覚悟しなければなりません。それでも呪うのか、呪う以外に方法はないのか、よくよく考えることをお勧めします。呪いでは誰かを不幸にすることはあっても、幸福には出来ないのですから。
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